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 Normal Question.1

(ど、どうしよう……)

元からあまり、人混みは得意な方ではなかった。とにかく人を掻き分けるので精一杯で、ましてや誰かとこの中を歩くなんて無理な話だったのだ。

久しぶりに恋人のトシくんと休みが重なったのは、三連休の中日だった。何処に行っても大混雑は予想できたけど、それでもいいからと有名な水族館に遊びに来たのだ。

案の定館内は大混雑。
大きな水槽を見るのでさえわ人影が気になって仕方ない。気が付かないうちに押されたり押したりで、気を抜けばあっという間に人波に攫われそうになる。

中盤まではなんとかトシくんの横を歩いていた。この前の休日に一緒に選んだトシくんの新しいグレーのコートを目印に、はぐれないようにしていた。

……はずだった。

ひょんなことからそのグレーのコートの裾を掴んだのはよかったのだけれど、振り返ったらまさかの人違い。
トシくんだと思っていたから、声までかけてしまった。……恥ずかしい。

だけど恥ずかしい気持ちが過ぎ去れば、大きな不安が押し寄せてきた。この大きな館内で、しかもこの人混みの中、たった一人を見つけるのは至難の技だ。

(そうだ、電話しよう……!)

慌ててスマートフォンを取り出し、トシ君の番号にかける。
しかし聞こえてきたのは、プツリという何かが切れる音だった。不審に思い、画面を見直す。そこには今の状況に更に追い打ちをかけるような表示がされていた。

(うそ…!電波たってない…!)

普通に考えたら電波がたちそうな場所だ。とにかくスマートフォンを振ったり、色んなところにかざしてみても、圏外の2文字は消えなかったのだ。

(も、最悪………)

とりあえず、辛うじて見つけたベンチに腰掛けた。ダメ元で目の前を通り過ぎて行く人たちを眺める。少しでも辺りをきょろきょろしてる人がもしかしたらトシくんなんじゃないかって、思ったり。
でもさっきまで隣にいたのがトシくんだって勘違いしていたような私が、こんな多くの人の中から見つけられるわけがない。完全な自信喪失。

(...今頃トシくんは、どう思っているのかな。)

きっとトシくんのことだから、私とはぐれたことは既に気づいているだろう。
探してくれていると、思う。だけど内心呆れられているかもしれない。
こんないい年して、はぐれるなんて。ドジにも程がある。

トシくんはすごくしっかりした人だ。
対して私はどちらかというと、ドジでのろまな方。トシくんにとって私のこの性格が、ごんな風に思われているか知らないけれど、もし私が逆の立場だったらイライラしてしまうと思う。
今日だってせっかくの休日に無理言って私がこんな混雑した所に引っ張り出した。その挙句、見失っちゃいました、なんてふざけている。

今日で完全に見限られてしまったかもしれない。

「...っ、そんなの...嫌だ..っ」

悪循環するような思考に、思わず涙が滲んだ。
何度もこのドジな性格をどうにかしようとした。だけど改まった試しがない。
手料理を振舞おうとすれば砂糖と塩を間違えるし、アイロン掛けをしてあげようと思ったら袖を焦がした。
「何もやらない方がいいんじゃないか」と思ったけれど、トシくんの為にどうしても何かしてあげたい気持ちに、歯止めがかからない。

思い出せば思い出すほど、涙をこらえきれなくなる。
人前だから、声は必死になって抑えた。だけど両手で顔を覆っている姿は周りから見れば不自然だと思う。隣に座ってソフトクリームを頬張っていた子供でさえ、その異変に気づいている。

「トシ、く、ん...。」

こんな私で、ごめんね。
どうか嫌いにだけはならないで。

「....ありす。」

そう祈りを込めたとき、今一番聞きたかった声の主が現れた。

「トシ、くんっ....。」

「馬鹿野郎、俺の前からいなくなるんじゃねぇよ!」

だけどその声は、決して優しいものじゃなかった。
間違いなく怒っている。
腕を強く引っ張られ、私の体は無理やり立たされた。涙が否応無しに零れる。

「ご、ごめんなさい...。」

「お、おいありす。泣いてんのか...?」

トシくんはバツが悪そうな表情をしながら、さりげなくハンカチを差し出した。
私はそれを無言で受け取る。

(あ、あれ....)

ハンカチを受け取るときにそっと触れたトシくんの手が、妙に汗ばんでいた。
改めてトシくんを見れば、呼吸は上下に乱れ、例のグレーのコートを脱いでいる。それほど館内は暑くないのに、異常なくらい滴る汗。

「トシくん...探していて、くれたの...?」

くしゃりとハンカチを握り、かすかな声を絞り出した。

「当たり前だろ。...心配させんじゃねぇ。」

「……ごめん、なさい。」

もう一度涙が頬を伝う。
幸いトシくんの大きな背中に隠れているから、今度こそ周囲の人に気付かれることはなかった。
だから尚更こうやって守られてる、そう思ったらもっと涙が止まらなくなる。

「まずは……泣き止め。怒鳴って悪かった、怒ってねぇから安心しろ。」

「トシくんに……嫌われちゃうかと……そしたら、どうしようって……」

自分で言ったことなのに、呆れてしまう。ほんの数分離れただけなのに、こんなに取り乱してしまうなど。

ふう、とトシくんが大きなため息をつく音が聞こえた。伏せていた顔を上げてみれば、キレイなトシくんの瞳が私をしっかりと捉えていた。

「どうして、そうなるんだ。」

「だって、私……やっぱりドジでマヌケで泣き虫で……最悪じゃん……。」

手持ち無沙汰に、トシくんのハンカチを丁寧に折り畳んだ。トシくんの紫色の瞳に捕まるのが怖くて、思わず斜め向こうの水槽に目をやる。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。」

「私、馬鹿だもん。馬鹿ばっかり言うよ。」

「ったく……。ほら、しっかりこっち向け。」

トシくんの細くしなやかな指が、私の顎を引き上げる。
抵抗はできなかった。あまりにも強い力で、導かれるように視線が重なり合う。

「ト、トシ……くん?」

「俺はな、今まで一度もお前を嫌いになったことはねぇ。」

涙の通り道が、乾いていくのが分かる。
それは頬の温度が急上昇しているから、そう気付くのに時間は要らなかった。

「ドジな性格がなんだ?そこんとこ含めてお前に惚れてんだよ。覚えておけ。」

「す、すみません……?」

言葉が見つからなくて、反射的に謝罪の言葉が口から飛び出していった。
トシくんは小さく微笑むと、突然私に背中を見せる。

「次、行くぞ。イルカのショー、見るんだろ?」

その代わりに差し出されたのは、掌だった。
指がちょんちょんと動き、まるでそれは「私のそれを重ねろ」と言わんばかりに。

「うん、みたい!」

だから迷うことなく、まだ熱が冷めないその掌に私のを重ねた。
重ねた瞬間に巻きつく指と指。きつく握りしめられた。






「はじめから、こうしとけば良かったね。」

「……ああ、もう離さねぇよ。」




fin.












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