◎ いま、さよならを告げよう2
貴方が、ここに来てから七本目の煙草に火をつけた。
「ちょーだい」
それを横から奪えば、貴方は舌打ちを一つ。
でもそれ以上は何も言わず、もう一度新しい煙草を取り出した。
唇に咥えて吸い込めば、貴方の匂い。
煙草は好きじゃないけれど、この匂いは嫌いじゃなかった。
しばらく、お互いに黙り込んだまま煙草を吸った。
先に吸い終わったのは貴方だった。
ガラスの灰皿に押し付けられる、白いフィルター。
火を揉み消した貴方は、一つ大きな溜息を吐いてから私に向き直った。
「……明日、いや、今日の予定は?」
「は?」
不意打ちみたいな質問に、首を傾げる。
そんなことを聞かれたのは初めてだった。
「今日……は、特に何も。とりあえずそろそろ眠い、かな」
そう返せば、貴方はそうか、と一言呟いて。
いきなり手を伸ばし、私の唇から煙草を奪い取った。
白い指先が再び、フィルターを灰皿に押し付ける。
火種は黒くなり、煙は霧散した。
「口直しは出来たか?」
「うんまあ、」
唇に残った、どこの誰とも知らない男の感触。
それを掻き消してくれた、貴方の煙草。
「なら後は仕上げだな?」
「………何の話?」
意味が分からず、視線を向けると。
薄暗い間接照明を受けた紫紺の瞳が、真っ直ぐに私を見ていた。
「ついでにあっちの口直しも手伝ってやるよ、って言ってんだよ」
その意味が分からないほど、私は馬鹿じゃないし、可愛くもない。
だけど、それは。
貴方が決して越えない、一線だったのに。
「待って……、なんで、」
初めて、だったかもしれない。
男に誘われて、待って、なんて馬鹿げた科白を吐いたのは。
なんで、なんて下らないことを聞いたのは。
「何で、だあ?お前、今更何を言ってやがる。俺がお前のことをどう思ってるかなんざ、とっくに知ってんだろうが」
そう、知っていた。
知っているということを知られているということも、知っていた。
だけど貴方は、決してこの距離を詰めようとはしなかった。
「そう、だけど……なんで、いま、」
恋人が一番、だなんて誰が決めた。
私にとっては彼氏なんて、自分よりも友人よりもその他の色々よりも、ずっと価値の低い存在で。
肩書きだけの彼氏になんて、これっぽっちも興味はなかった。
好きだの愛してるだの、そんな言葉も必要なかった。
「何でだろうな。……まあ、そろそろ俺も限界ってやつだろうよ」
そう言って苦笑した貴方は、それを知っているはずなのに。
「そろそろいいんじゃねえか、ありす」
敢えて、この関係を崩そうというの。
「……私は別に、」
「別に、なんだ?」
貴方は挑発的に、唇の端を吊り上げた。
すごく、居心地の悪い空気だった。
「別に、構わない。別に、付き合いたいなんて思ってない。別に、どっちでもいい」
黙り込んだ私を他所に、貴方は続きを予想して挙げ連ねていく。
その笑みは愉しげだった。
「………別に、待ってたわけじゃない、か?」
最後に、そう言った貴方は。
もしかしたら、気付いていたのかもしれない。
「なあ、ありす」
心の奥底で、私が求めていたものに。
適当に、厭世的に、歪んだ上っ面を他人事のように笑って見ていた私が、どこかで望んでいたものに。
「俺を選べ。後悔は、させねえ」
この、下らない日常に。
この、つまらない世俗に。
貴方は、色をつけてくれるのかもしれない、と。
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