◎ 君の温かさを知る
ようやくたどり着いた自宅の最寄り駅の改札を、ふらふらしながら出る。
昼過ぎから降り始めた雪は既に足元まで積もっていて、体の内部から容赦無く熱を奪っていった。今はやんでいるけれど、質の悪い雪が足元を掬うようだ。
今日はクリスマス。
雪も降ったから、ホワイトクリスマス、だ。
本当は素敵なクリスマスになるはずだった。
同棲を始めて数ヶ月が経つ彼、はじめくんが作った美味しい食事を一緒に囲んで、お互い内緒で用意したプレゼントを交換し、暖かい部屋で愛を確かめ合う。
思い描いていたクリスマスは、凄まじい勢いで砕け散った。
人生において、何をしてもツイていない散々な日というのも誰にでもある。
ただなぜ神様は、あえて今日を私に選ばせたのかがわからない。
今日は早く帰るね、そう約束して家を出た。出社して早々、部下のとんでもないミスが発覚しその尻拭いに追われた。そこまではいい、部下を持ったら仕方のないことだ。その後面倒な上司に絡まれそれとなく仕事を押し付けられた。ここまでは百歩譲ってよしとしよう。しかしその仕事の締め切りが、2時間後。昼ごはんも食べれずに膨大な書類に追われた。やっと終わったと思ったら、自分の仕事が終わっていないことに気付き全力で片付けたけれど、今度は鬼上司にいちゃもん付けられ、やり直し。死ぬ思いで会社をでたと思ったら、靴が壊れて買い直すはめに。極め付けは、帰り道の電車で遭遇した人身事故だ。
早く帰る、といいつつ、いつもよりも2時間以上遅い帰宅になってしまった。
数日前から今日の為の食材を準備していてくれたはじめくんに、申し訳ない。どんな顔をしていいのだろうか。きっと私の帰りに合わせて用意されているであろう料理は冷め切っているに違いない。
いつだってはじめくんは、ずっと私を黙って支えてくれた。
今まで仕事一筋だった私を何よりも理解し、今後も仕事を続けたい私の意見を尊重してくれた。
結婚を前提に同居をはじめた今、仕事を辞めたのははじめくんの方だった。
外に出て稼ぐのは、自分の仕事。
家の事を全てやるのが、はじめくんの仕事。
きっちり役割分担をしているから、こうして帰宅が遅くなってしまったのも、仕方ないと言ったら仕方ない。
だけどこういう日くらいは、早く帰る。お互いうまくやって行くためには、そういった形で誠意を見せるのも大切だ。
へとへとに帰って来た私を、はじめくんはどう思うだろうか。
多分はじめくんは優しいから、笑顔で迎えてくれるけど。
内心どう思うだろうか、やっぱり耐えられないと思うだろうか。
重い足取りで、改札口を出た。
駅前のケーキ屋では、既に在庫処分セールが行われていたが、買わないことにした。
はじめくんが用意してくれているだろうから。
ふと浮かんだ彼の顔。早く会いたい、一秒でもいいから早く「ただいま」って言いたい。
裏道へと続く、角をひとつ曲がった。
目の前に息を切らした男性と鉢合わせする。
反射的にすみません、と一言。
だけどそれは、その男性によってかき消された。
「…よかった、無事だったのか。」
街のど真ん中だというのに、人目も気にせず抱きしめられた。
この黒いコート、そしてこの懐かしい香り。
「……はじめ、くん…?」
「帰ると連絡があってから、遅くて心配した……。」
肩で大きく息をしながら、小さな声で言葉を繋いだ。私を心配して、ここまで探しにきたというのか。
「あっ、ごめん。事故ってたの、それに携帯の電池切れちゃって……。」
「ならいい。さ、体も冷えただろう。早く、家に。」
そう言って私の腕を掴んだはじめくんの手は、とっても冷えていた。
二時間も待たせて、連絡もせずに心配だけかかけて、おまけに今日はクリスマス。
「はじめくん……ごめんね。」
私だって、はじめくんとクリスマスを目いっぱい楽しみたかったのに。
そしてはじめくんがせっかく準備してくれたであろう温かいご飯も、台無しだ。
「何を謝る。仕事に電車の事故、仕方あるまい。」
「違う、そうじゃなくて……。せっかくはじめくん、今日のためにご飯作ってくれていたのに。」
「いや、いつも通りだ。」
「知ってるよ?一昨日くらいから、冷蔵庫にチキン入ってたの。」
はじめくんは何にも答えなかった。多分図星なんだろう。それより自分の目で確かめたから、確実だ。
「これじゃあ……私、ダメだなぁ。」
はは、とその場しのぎに笑ってみれば思ったよりも乾いた笑い声がでた。
はじめくんは鋭いから、きっと私が無理して笑ったことにすぐ気付くだろう。
はじめくんは暫く私を見つめ続けた。家へと急いでいた足取りは、ぴたっと止まる。
「俺は、あんたさえ戻ってきてくれれば、それでいい。」
その深い碧の瞳に、吸い込まれそうだった。
ぎゅっと握り締められた手が、痛い。
「仕事が遅くなるなら待てばいい。夕飯が冷めれば温めればいい。だが、あんたがいなければ、何も始まらない。」
「はじめ…くん。」
「仕事に懸命なあんたも好きだ。だからこうして帰ってきてくれれば、俺はそれで十分だ。」
さあ帰ろう、止まっていた足取りがゆっくり動きだした。
無言でひたすらに歩いた。どう返事をしたらいいかわからないくらい、はじめくんからの言葉が嬉しかった。
駅前のジングルベルが聞こえなくなったころ、家まであともう少し、その時だった。
「雪……だ。」
駅にでた時はやんでいたはずの、雪。
とたんに寒さが厳しくなった気がしたけど。
はじめくんが徐にマフラーを取り出した。
今日会社に持って行くのを忘れた、お気に入りのマフラー。気をきかせて、はじめくんが持ってきてくれたようだった。
私の肩に薄く積もった雪を手ではらい、くるくると器用に巻きつける。
「寒く、ないか。部屋は暖めてある。まずはすぐスープを出そう。」
歩調を早めるはじめくんを、私は引き止めた。驚いてこちらを見るはじめくんに、小さなキスをひとつ。
「寒く、ないよ。」
だってはじめくんが、暖かいから。
「もう少し、雪見ていたいの。」
わかった、はじめくんはそっと私の体を抱き寄せたんだ。
君の温かさを知る
(火傷しそうに温かいから)
シチュエーション提供: あいり@メイプル様
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