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 サロメ7

手首の腫れがひきはじめたのと同時に、ありすは今まで通り屯所内のほぼ全ての雑用をこなすようになった。

正しくは、それまでやらせてもらえていなかった。
随分と前から自分がやる、と言っているのに、土方がそれを許さなかった。いつの間にか他の隊士に仕事を割り振っていて、ありすが入り込む余地を与えなかったのだ。
おそらくこれ以上芹沢鴨と揉め事になるのが面倒だから自分の側に置いておきたい、という土方の思惑もあったのだろうが、ありすにとって、土方は優し過ぎると思うのには十分だった。

「土方さん、これ終わりました。」

ありすは山積みの紙の束を、土方に渡した。
幸い、負傷した手首は利き手ではなかったので文字は書ける。手持ち無沙汰なありすを見兼ねた土方は、雑用を与える代わりに、自分の仕事をありすに分け与えた。
どうでもいい文の返事や、書物の整理などが主な仕事だ。

「助かった、それじゃあ……」

「お茶を、淹れてまいりますね。」

暫く近くで仕事をしていて、大分土方のことをありすは理解した。
どのように仕事をやれば土方か満足するか、いつどの時に一息つくかなど。

「よく分かったな、やる仕事といい……お前にはかなわねぇよ。本当にお前、芸妓だったのか?」

土方の発言に、一瞬身が凍りついた。
しかし土方の表情はいたって穏和、ありすは彼なりの冗談だったと、肩を撫で下ろした。

温めた湯呑みに、緑色の液体を注ぐ。
きれいな若草色が広がったと思えば、すぐにいい香りが広がった。

土方との距離感は、予想以上に縮まった。だいぶ自分に対する警戒心も解けている、とありすは考えていた。あとは機会さえあれば、いつでもその首を討ち取ることは可能だ。
だが問題が、一つ。ありす自身の動機付けが非常に低下しているということだ。

理由はありす自身なんとなく自覚している。
まぎれもなく、土方に恋心を抱いてしまったということだ。

まさか仕事において、私情を持ち込むとは。

驚いているのは、ありす本人だ。確かに今までの仕事が、表向きの便利屋さん中心だったので、人と触れ合う機会がなかったせいかもしれない。ゴミ拾いや、飼い猫の捜索は一人で十分だ。
そして今まで、ありすの人の輪が小さかったということだ。生まれた時から、あの便利屋にいてそこの仲間だけしか知らず成長した。
ある日突然投げ込まれた場所で、いきなり化け物に襲われたと思った矢先、男にも襲われた。そんな中で助けてくれた土方に、恋心を抱くのはごく自然な流れなのかもしれない。

「お待たせしました、土方さん。お茶をお持ちしました。」

「おう、悪いがこっちまで持ってきてくんねぇか。」

襖を開くと、部屋の中に土方の姿は見えなかった。確かに声は聞こえたのに。あたりを見回していると、遠くの方からありすを呼ぶ声がした。

土方は縁側に腰を下ろし、屯所の庭を眺めていた。頼んでいたものを受け取ると、土方はありすを小さく手招きした。

「どうだ、屯所では不自由していないか。」

「はい、お陰様で。案外楽しいものですよ。」

ありすがにっこり笑ってみせると、土方は苦笑した。
そうか、と茶を啜る。ありすはその動作一つにでも胸が高鳴るのを覚えた。

「……なんか、俺の顔についてるか?」

ありすの視線に気付いたのか、怪訝そうな表情を浮かべている。
ありすは慌てて首を横に振ると、居心地が悪くなって身体ごと土方から背けた。

猫の鳴き声が聞こえる。
見上げれば、きれいな晴天が広がっていた。

「今日は………天気が、いいな。」

「……はい。」

他愛のない会話が、続かない。

「たまには俺も気晴らししねぇとな。」

「そうです、土方さんは働き過ぎでいらっしゃいます。」

くいっ、とありすが淹れたお茶を飲み干せば、土方は大きく体をのばした。
てっぺんまで昇った太陽が、煌々と土方を照らす。
ありすはその姿を、未来の土方の姿と重ねていた。

(彼は、いまここで殺してしまってはいけない……のに。)

土方の未来は、間違いなく照らされている。それをこんな便利屋の町娘が奪ってもよいのだろうか。

「……ありす。」

突然呼ばれた自分の名前に、ありすは驚いた。勢いよく土方の方へ振り返ると、小さくその場に倒れ込む。

「おい、まだ本調子じゃねぇのか。」

「い、いえっ!いたって普通です。な、なんでしょうか?」

「……。」

へにゃりと笑ってみせるありすとは対照に、土方の表情は曇りがちだ。
そっとありすの手を離し、立ち上がる。風が穏やかに吹き込んだ。

「今晩出掛けるぞ。ありす、お前も来い。」

喜んで、そう返事をしたありすはもはや自分がここにいる理由を消し去ろうと、心に決めたのだった。




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