2018/06/11
 金槌を持つ。
 杭を打つ。
 金槌を持つ。
 杭を打つ。

 そんな阿呆みたいな夢を、もう百回ほど繰り返している。


2018/06/11
みつめる土地の底から、
奇妙きてれつの手がでる、
足がでる、
くびがでしゃばる、
諸君、
これはいったい、
なんという鵞鳥だい。
みつめる土地の底から、
馬鹿づらをして、
手がでる、
足がでる、
くびがでしゃばる。
(萩原朔太郎「死」より)


 その日、私がそこを通ったというのは全くの偶然というわけではなかった。虫の知らせがあっただとか、何か悪い予感がしただとかではなく、ただ単純に昔お世話になっていた先生に呼ばれたというのが一番の理由だった。だから決して偶然ではないし、どちらかといえば必然と言わざるを得ない状況なのだろうけれど、しかしその時の私にそんなことが分かるわけでもなく、最初、私は目の前に降ってきたそれがなんなのか理解できなかった。
 理解できなかった? 違う。おそらく瞬時に理解はできていたのだ。都会の病院に転院してから、こんな死体ばっかり、とは言わないけれど、救急に回された時はそれなりにそんなような患者さんを何人も見てきた。頭がつぶれたもの、骨が皮膚を突き破って飛び出しているもの、眼球がどこかに家出してしまっているもの、エトセトラ、エトセトラ。だから私はきっと、降ってきたものがなんなのかはそれがアスファルトにたたきつけられる前に理解できていたのだ。感情が、追い付かなかっただけで。
 アスファルトにたたきつけられたそれは少年の形をしていた。男の子にしては髪が長く、その表情は伺えない。じわじわと広がる血だまりに冷静にもああ外傷がこれくらいなら助かるかもしれないと思った。ここで駆け寄って脈を図ったのはもう癖のようなものだ。まだ温かく、脈もあることにほっと息を吐く。


2018/06/10
※人間徹ちゃんともともと人狼で桐敷家についてる夏野さん

 神社の中心で殺された桐敷の女を見て、一番最初に思ったのは夏野を助けなければいけないということだった。先生は桐敷こそが諸悪の根源だと言った。つまり、その中には夏野も当然含まれているということだ。俺の家に足しげく通い、かわいくないことをぽんぽんと放るあの少年も、殺戮の対象になり得ているということだ。俺はそれを理解した瞬間、いや、理解する前に咄嗟に走り出していた。父さんが俺を呼ぶ声がする。若先生が俺を視線で鋭く射貫く気配を感じる。だが俺は、起き上がりが白日の下にさらされた(いや、夜なんだけどね、うん)ことで騒然とする神社を駆け抜けた。夏野を助けなければいけない。それだけしか頭になかった。夏野が起き上がりかどうかは分からないけれど、でもたとえ起き上がりではなく人間だったとしてもきっとただじゃすまない。ざくざくと林を抜ける。枝で頬を切ったが知ることか。俺は無我夢中で闇の中を走った。夏野がどこにいるのか見当もつかないけれど、本能のままに走った。徹ちゃん、と俺を呼ぶ夏野の幻聴が聞こえる。そしてそれはすぐに杭を打たれ苦悶の末にのたうち回る姿に早変わりする。ふざけるな。夏野を殺されてたまるか。


2018/06/10
※昔から人狼で桐敷家に仕えてる夏野さん

 そういえば、俺もはじめの頃は人を狩ることにひどく抵抗を覚えたな、ということを起き上がったばかりの人間(いや、もう人間じゃないのか)を見ていてふと思い出した。人狼ということもあって血を吸わなくても生きていけないことはなかったから、最初の頃はかたくなに人の血というものに触れないようにしていた記憶がある。他人の血なんて汚いと思っていた面ももちろんある。が、やはり気持ちの問題だったのだと思う。あの頃、たぶん俺はまだ人間でいたかったのだと思う。しかしいつ、そこに踏ん切りがついたのかとんと覚えていなかった。案外すぐ人の血を吸ってしまった気もするし、何十年も喉になめくじのように引っ付く渇きから目をそらしていた気もする。結果として俺は人を狩ることを選んでしまったのだから、どうでもいいとも言えるけれど。今日起き上がった屍鬼は泣きながら人を襲っていた。すまないすまないと何度も謝って、でもしっかりと牙を首に突き立てて。ひどく滑稽だと思った。あいつもしばらくすれば抵抗なく人を襲うのだと思うとなんだか笑えた。ふ、と息を吐きつつ目の前の家を見上げる。いつしか桐敷の家にいる時間よりも、この家にいる時間のほうが長くなってしまった。沙子はまだ何も言ってこないけれど、いい加減襲ってこいとでも言われそうだ。いつまで空蝉のような幻影の平温に浸かっているのかと。付き合いが長い故に何かと自由をさせてもらっているけれど、そろそろそれも限界かもしれない。逆にこれだけ死人が出ているのに肉親で誰一人死んでいないというのはいくらなんでも不審な気もする(いや、これは単純に感覚が麻痺しているだけだ。本来ならば、こんな死人なんてそうそう出るもんじゃない)。肉じゃがのいいかおりが窓の隙間から漂ってくる。おばさんは機嫌がいいのか鼻歌を歌っていた。ぐう、とかりそめの空腹が胃を刺激する。先ほど食事をしたばかりだというのに、と首をかしげる。「お、夏野!」ひょこ、と顔を出した徹ちゃんが俺を見つけてぱっと顔を明るくさせる。目をしぱしぱと何度か瞬きさせ、早く入って来いよと柔和な顔で笑う。この家はまだ俺以外の屍鬼に開かれていない。俺以外が侵入できない、安全な家だ。もう開かれていない家なんてここだけなんじゃないだろうかと思うとなんとも言えない気分になる。「今日は肉じゃがだぞー」「知ってる」頷きながら、手招きする徹ちゃんにすんなりと従う。こんな現場を辰巳に見られた日には後世まで笑い話として語り継がれそうだ。徹ちゃんはよく来たなあと俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。その手はひどく温かい。人狼には体温も脈拍もあるけれど、それとはまったく違う体温だ。久しく体温のある皮膚に触っていなかった俺はつい身構えてしまう。そんな俺に笑いながら、徹ちゃんはおーい夏野が来たぞーと家の人たちに伝える。「なっちゃん、勉強教えて!」と葵。「本当にお前、俺たち以外に友達いないのなあ」と保っちゃん。「よく来たね、夏野くん」とおじさん。「多く作っておいてよかったわ」とおばさん。胃のあたりがしくしくと痛んだ気がした。なんとなしに徹ちゃんの服の裾をつかむ。徹ちゃんはぽけっとした間抜け面をしたあと、さらに頬の筋肉を融解させて破顔した。「お前は本当にかわいいなあ」かわいいなんて言われたの、いつ以来だ。自分のために用意された椅子に腰かけて目の前の肉じゃがを見つめる。いただきます、と一同。俺もそれにならって手を合わせる。いただきますと告げることだって、この家に来るまで忘れてしまっていた。というか、箸の使い方すらおぼつかなかった気がする。箸を使った食事なんてしばらくしていなかった。「夏野ー、今日も泊まってくだろ」「うん」頷きながら肉じゃがを頬張る。この家はあたたかい、とひどく思った。あたたかくて、あたたかくて、どうしようもなくなる。肉じゃがの人参が鮮血に見えて、ひどい自己嫌悪に陥った。こんなの、人間ごっこだ。徹ちゃんが笑う。「お前、人参嫌いなのか」俺が食べてやるよ、と笑う徹ちゃんの顔を見る。徹ちゃんは、きっと屍鬼になったら泣くのだろうな。先ほど起き上がった人間のように。白米を口に運びながら、徹ちゃんが泣くのは嫌だな、とぼんやり思った。この家に、死は似合わない。ごくりと飲み込む。かりそめの空腹が、なぜだか満たされた気がした。


2018/06/09
 獣になった気分だ、といつも思う。口の端についた血を拭う。人を殺したあとはいつも自己嫌悪に陥る。罪の意識からではない、と思う。だいたい罪の意識にとらわれていたらとっくに俺は自殺していることだろう。