2018/06/12
 目を覚ました時、夜目を利かせなくても天井が見えたから、朝なのだと思った。もう朝なのか、徹ちゃんを隠してやんなきゃ。やけどは治りにくい。ぎゃあぎゃあ騒ぐ徹ちゃんを空想して、可哀想だとも哀れだとも思わず、ただコップに水を入れるようなそんな感覚で、ああ、暗い所に閉じ込めてやんなきゃと思った。しかし一度開いたはずの瞼はすぐに閉じられ、アロンアルフアで接着されたかのように上がらない。起きなきゃ。そう思った。早く起きて、徹ちゃんを隠してやんなきゃ。何から。太陽から。日光から。それから、それから。
 次に目を覚ました時、右腕に冷たい感触がしたから、あああんた、隠れないで俺の手を握ってたのかと今度こそ呆れた。ため息を吐きたかったけれど、溜息を吐いてあんたの肩をびくりとおびえさせたかったけれど、どうやら血液に石膏でも流し込まれたかのようで、全く身体が動かなかった。ただ右腕の感触だけが俺を現実に縫い付けている。


2018/06/12
 あ、徹ちゃん起きた? グッドタイミング、と言いたいところだけどもうちょっと眠ってくれていたほうがよかったかな。まあもうすぐ終わるんだけど、まあちょっと待っててよ。適当に自分の睫毛の数でも数えてて。は? この格好じゃそれも見えないって? まあ確かにあんた今ガムテでぐるぐる巻きだから鏡一つ持てないし、その態勢じゃあ鏡の前に立つこともできないもんな。しょうがないからこれが終わったら俺があんたの睫毛の数数えてやるよ。でも徹ちゃん、髪の色もそうだけど睫毛も薄い色してるから数えるの大変そうだな。まあ時間はたっぷりあるんだ、その時にでも数えるよ。……は? 俺が何をしようとしてるか分からないって。馬鹿だな徹ちゃん。いや馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、徹ちゃんって空気読むのうまいしなだめるのもうまいから察してくれるかなって考えてたけどそうでもないみたいだね。まあ俺もこうするのは初めてだから許してよ。こうして何も始まらないうちから行動を起こしたことはあったけどどれもこれも結局おんなじような結末になって、結局俺が徹ちゃんに殺されるって未来は変えられなくて、だから俺はこうしてあんたを殺そうとしてるんだけど。は? 何を言ってるか分からないって? まあそうだろうね。俺だってあんたの立場だったらこいつ勉強のし過ぎで頭おかしくなっちゃったのかなとか思うよ。でもさあ残念ながら俺の頭は正常でいたって健全で今数学を解いたところで正解に普通にたどり着けちゃうわけ。でもまあ最近はそれすらやってないんだけどね。勉強なんて無駄だよ、死んじまったら。だからどうにかこうにかして俺と徹ちゃんが生き残る世界を手に入れようとするのに、あんたったらいつも殺されちゃうんだよ。清水じゃなかったときもあったし、こいつ誰だろうってやつに殺された時はさすがに堪忍袋の緒が切れそうだったよ。あんた、どうやっても死ぬ運命なんだな。それは俺もだけど。もう何回繰り返したかわかんないけど、俺とあんたの順番が変わることも、あんたが俺を殺すっていうのも全然変わんなかった。あんたはいつも起き上がったし、でも俺は起き上がったり起き上がらなかったりでまちまちだったけど、でもほんと、あんたすぐ死んじゃうのな。マリオのほうがもうちょっと根性見せてるぜ。まあどうでもいいけど。は? だから俺は正常だって。いたってまとももまとも、きっとあんたよか冷静だね。だからそんなあがいても無駄だって。骨悪くするよ。死んじゃうからどうでもいいと思ってるならいいんだけど。で、何の話だったっけ? ああそういつもあんたは死んじゃうって話だ。俺、本当にいろんなことしたよ。清水が起き上がらないように手はずを済ませたり桐敷の家に火を付けたり。でも全部だめだった。あんたはいつだって死んじゃうし起き上がるし泣いてた。俺は別にあんたに泣いてほしかったわけじゃないんだよ。柄にもないこと言うけど、俺、あんたの笑顔、けっこう好きなんだよ。だからできれば今も笑っていてほしいんだけど、さすがにそれは無理か。まあガムテープでぐるぐる巻きにされた挙句、部屋も目張りされて目の前に豆炭あったら冷静でもいられないよな。わかるよ。いや俺はそっちの立場になったことないから薄っぺらい共感でしかないんだけど。まあでも本当に、俺、徹ちゃんのこと好きなんだよ。ああこれは別に恋愛的な意味じゃないからねほんと。でも徹ちゃんのためなら人殺してもいいかなって思い始めてきたんだ。だから前回は清水を殺してみたんだけどやっぱり駄目だった。あいつがいなくても惨劇は始まるし村は丸焦げになった。別に惨劇が始まろうが村が焦げようがどうでもいいよ。最初は違ったかもしんない。俺も村を守ろうかとかそんな主人公じみたヒーロー思想にあふれていたわけだけれど、でも繰り返すうちに分かったんだ。全部を守るなんて無理だって。だったら俺は徹ちゃんを守りたくて守りたくて何度も繰り返したのに、ほんと、あんた、ねえ前世で何したわけ? どうしてこう、何度も死ぬかな……。あんたが死んだ数だけ俺も死んでるってことを自覚してほしいね。それも全部が全部あんたに殺されるって話なんだからもう笑けてくるよ。はあ、うんざりだ。で、俺は思ったわけ。全部救えるわけじゃないなら、せめて徹ちゃんだけは助けてやりたいなって。思ったわけ。で、考え付いたのがこれ。まさかここまで来て自分が何されるかわかってないわけじゃないよな? は? わかんない? 徹ちゃん日本語わかる? 大丈夫? まあいいよこの際わかんなくても。怖くないよ、大丈夫、大丈夫。あんたはそこで見てくれてるだけでいいんだ。これから俺、死ぬからさ。徹ちゃんもちょっと付き合ってくれない? もうこの世界だと清水死んじまってるし、そろそろ徹ちゃんが狙われる頃かなって。だったら一回くらい、俺と一緒に死んでもらったってバチは当たらないだろ。


2018/06/11
※若先生と人狼夏野さん

 君が浴槽で死んでいる。いや、まだ死んではいないのだろう。だってその薄い唇からはこぽりこぽりと小さな空気の泡が水に溶け込もうと躍起になっている。また死のうとしたのかい、と訊いても答えは返ってこない。紫煙を溜息とともに吐き出しつつその細い腕を引っ張る。氷のように冷え切ったそれは、でも確かに鼓動を脈々と俺の掌に伝えた。もう一度問う。また死のうとしたのかい。返事はない。今はまだ、それでいいのかもしれない。



2018/06/11
※何が書きたかったのか

 人の首が掻っ切られる瞬間を見たことがあるだろうか。少なくとも俺は初めてで、映画でだって見たことがなくて、ゲームだとしてももっと規制がかかっていて、だからこんな、顎の斜め後ろにある頸動脈が綺麗に切断される場面など見たこともなければ想像したこともなかった。ゲームをしている昨今の子供にしては珍しいことなのかもしれない。自分の健全ぶりを感心する暇もなく、鮮血が目の前に飛び散る。ああ確か、首というのは刺し傷に弱かったか知らん。そんな雑学が脳漿の海に浮かび上がる。とびかかってきた、というより、もはや空から流星のように降ってきた少年は、ぱっと、一瞬だけその両手を刃物から離した。そして再度握りなおすと、血で脂肪で組織液でぬめるその柄をしっかりとつかみ、勢いよく引き抜いた。刺した時とは比べ物にならないほどの血液があたりに飛び散り、誰かが悲鳴を上げる。俺だって悲鳴を上げたかった。でも上げられなかったのは、今口を開けたら血液が口の中にどばどばと入ってしまうぞ、という冷静な部分が悲鳴を上げたからでもあるし、ただ単純に、見惚れていただけということもある。そう、俺は見惚れていたのだ、その少年に! 鮮血をまとう、むらさき色の少年に! どっかりと、刺された男が膝をつく。その拍子に男が握っていた拳銃が床に落下した。平成の世、この日本でまさか本物に出会えるとは思っていなかった、いや、本物なのか? 素人目だからよく分からない。ただそれが俺に向けられ、発砲されそうになったのは事実だった。そう、発砲されそうになったのだ、俺は! その瞬間に降ってきたのがこの少年だった。少年は手にあった刃物をくるりと回して反転させる。よく見ればそれは包丁だった。肉片がところどころこびり付くそれは鈍く光っている。少年は端正な顔を血色に染めながらじっと俺を見下ろしていた。首を押さえ倒れ込む男ではなく、その先にある俺を見ていた。少年のむらさき色の瞳に俺が映る。俺はその少年のことを全く知らないはずなのに、なぜか名を口にしていた。少年の顔が驚きに見開かれる。なつの、ともう一度呼べば、少年は少しだけ目を閉じた後、大きく包丁を振りかぶっていた。あ、と思ったときにはもう遅い。少年は自分の首を掻ききっていたのだった。


2018/06/11
 死んだ人間の指というものはどういう風なのか、そんな質問を彼から受けたのは初夏の頃だったと思う。梅雨に入るにはまだ日が足りず、紫外線をこれでもかと降り注がせる太陽に辟易し、そして俺なんかより太陽の影響を受けやすい彼はぐったりと気だるそうにしながら、ある日のリビングでそんなことを俺に訊いた。死人の指というものは、どんなものかと。
 俺は最初、何を問われているのか分からなかった。というか、そもそもとして彼が俺に話しかけていることすら気が付かなかった。彼と一緒に住み始めてからかれこれ十年ほどになるが、その間で俺と彼が仲睦まじく談笑したことなど一度もない。彼はただ口を縫い付けられたかのようにだんまりを決め込んだままリビングのソファに寝そべっていることがほとんどだった。むしろ俺は、彼がそこ以外にいることを一度も見たことがなかった。十年間、一度もだ。彼が食事をしているところも、読書をしているところも、風呂に入っているところも、俺は見たことがない。ただ俺がいない間はさすがに行動しているのか、彼が餓死するようなことはなかった。ただぐったりと、まるで部屋のインテリアのように居座り続ける彼のことを知る人は俺以外いない。彼は十年前、不孝な急死をとげたことになっているのだから、当然といえば当然なのだけれど。
 だから俺は、彼が俺に声をかけた時、空耳か何かかと思ったのだ。連日の激務で疲れているのかと、本気でそう思った。だが実際はそうではなく、実際に彼が口を開き喉を震わせ舌を使い俺に言葉を放ったのだ。
「先生」
 最初は、そんな一言だった。煙草に火をつけ一服していた俺の背中に、それは処女のようにべったりとしなだれた。俺は驚いて振り向いた。彼はソファに寝転がって顔を腕で隠していたけれど、それでもしっかりと覚醒しているらしかった。そして彼はこう言った。死体の指とは、どんなものかと。十五歳の姿のままである彼は、みずみずしい声でそう問うた。
 指? と俺は返した。彼はそう、指、とだけ返し、言葉に連動させるかのようにつ、とその細い指を床に這わせた。
「死体の指って、どんな感じ?」
 死体の話をするのはずいぶん久しぶりだった。それこそ、十年前であればその会話に違和感はなかったのだろうけれど、今となってみればそれは俺たちに傷すら残してくれない結果となり、そして虚像の生傷を今でも引きずっている。俺たちのほうがよっぽど死体のようだ、と思わないことは、なくもなかった。
 彼は黙ったままの俺にしびれを切らしたのか、むくりと起き上がった。そしてぐるりと、それこそ首がちぎれ落ちそうな角度で俺を穿つと、面倒そうに瞬いてもう一度先ほどの質問を投げた。