2018/06/14
 俺はいったい夏野に何を期待していたのだろう。あのまま腐り落ちてくれること? 灰になってくれること? それとも、起き上がってくれること。どれも違う気がして気が滅入る。もうすぐ夜明けが近いということは身体をめぐる血液が悲鳴を上げていることから嫌でも察せられる。目の前の夏野は太陽だろうが月だろうがどちらが昇ろうが関係ありませんという顔で俺の話を聞いている。その横顔は見慣れたものなはずなのに、まるでよくできたマネキンを見ている感覚に陥ってわけが分からなくなる。目の前のこれは、いったい何なのだろう。誰、ではなく、何、と俺は思った。目の前にいるこいつは本当に結城夏野なのだろうか。出来の良くない頭がショートを起こしざあっと音を立てて血が落下していく。めまいがした。夏野、と、目の前の少年をそう呼びたくなかった。これが夏野だと思いたくなかった。という考えに至って、ああ、と涙をこぼす。俺はきっと、夏野にゆるされることを望んでいたんだ。そんな機会は、もう二度と訪れないのだけれど。


2018/06/14
 両手の震えがいまだにおさまらない。寒さからのものではない。この身体になってからというもの、そういった気温の変化に異常なほど強くなってしまった。当然だ。もう風邪をひくことも、凍え死ぬことも、干からびて死ぬこともないのだから。いや、これは少し違うか。干からびて死ぬことは、できる。日の光で死ぬことも、渇きで死ぬことも。そこだけは人間くさいかもしれない、と思って、普通の人間は日光で皮膚が溶けて焼け死ぬようなことはない、と考えて、頭皮を掻きむしりたくなる。がりがり、がりがりと削って、死ねもしないのに死にたくなってしまう。震える手でアスファルトに爪を立てる。いびつな円を描く爪が悲鳴を上げ、血を噴き出す。でもそれは一瞬で空気に溶け、そこには何も残さない。そう! 何も! 残してくれなどしない!
 は、と、もうしていない呼吸が乱れる幻聴を聞く。実際息が乱れていたのは夏野のほうで、まだゲホゲホとせき込んでいた。俺はそこに駆け寄れない。駆け寄って、大丈夫かと肩を支えることができない。間抜けに尻餅をついて、無様に震えながら涙を流すばかり。ああ、なんて惨めなんだろう。でも、怖くて仕方がなかった。この感覚は初めてだった。あの村でだって、俺はこれを味わったことはなかった。怖くて怖くて仕方がなかった。



2018/06/13
 屍鬼として起き上がることと、そのまま腐り落ちて骸骨になることのどちらのほうが幸福なのか俺には分からない。仲間の中には第二の人生(人ではないから屍鬼生とでもいうのだろうか)を謳歌している輩だって山ほどいたし、逆に俺のようにうじうじといつまでたってもうだつの上がらないまま泣いていた奴もいるし、家族や友達を起き上がらせようと躍起になっている屍鬼ももちろんいた。なぜあそこまで俺たちは罪の意識にとらわれずに生きて、いや、死に続けていられたのだろうかと考えて、ひとえにそれが自分と同じように人を殺している仲間がいたという仲間意識と、相手を殺さないと自分が死ぬという二者択一を迫られていたからだろう。もしも片方がかけていたら、きっと俺はとっくの昔に発狂していたに違いない。俺は自分で認識しているよりもずっと臆病で弱虫だ。


2018/06/12
 徹ちゃんと俺、果たしてどっちがクズなのだろうかと考えて、まあ俺なんだろうなということに落ち着くのはいつものことだ。徹ちゃんのこれはクズというより俺に同情したゆえのなんというか、なんていうかなあ、子犬に餌をやったらなつかれてしまって、しょうがなくそのまま餌をやり続けているような、そんな無責任な優しさだ。まあ一回こっきり餌をやってさよならばいばいしようとしていた背中に飛びついてぎゃんぎゃん鳴いているのは俺だから、まあ、俺がクズということになるのだろう。悲しいことに。徹ちゃんのそういうところにいらつくとともに、そこに安寧も求めているのだから本当に救えない。


2018/06/12
  手首を切ってみた。骨が見えるほど切れたけど、神経やら血管やらがぶちぶち千切れる瞬間を見れたけれど、血がどばどばと流れ出ていく様子がうかがえたけれど、あ、死ねるかなと思う前にそれは音もなく修復されていき三十秒も経った頃にはべっとりとこびり付く赤黒い液体以外俺が自殺未遂を図った形跡を残してくれなかった。ならば首つり、と思ってロープを持ちながらふらついてたら、ちょうど帰ってきたらしい徹ちゃんが俺を見て慌ててロープをひったくった。このアパートは不便だ。首を吊る鴨居もなければドアノブすら二つしかない。徹ちゃんはロープをそこらへんに放って俺の横っ面を叩いた。