小説 | ナノ

青年ひとりとオス三頭


 

西原 芳樹(にしはら よしき)
清孝(きよたか)
晴万(はるま)
咲々(ささ)



 買い物に寄る商店街でも職場でも、真面目で明るく爽やかだと評判のいい青年・西原 芳樹。
 会社は一流企業、上背もあり清潔感清涼感満載、さり気なく高級なスーツを着こなしているが買うものは至って庶民派。
 思わずおばちゃんおっちゃんが嫁の世話などしてやりたくなるが、芳樹はそれを上手にかわしていい笑顔でごまかしてゆく。

 今日も仕事帰りに商店街へ寄り、世間話などしながら買い物を終えて、おまけでいっぱいの袋と共に背筋よくバスに乗りこんだ。
 そのバスへ後から乗ってきた、帽子を深く被った中年男。背を丸めて何食わぬ顔で芳樹の後ろの席へ。
 動き出したバス、中年男は青年の健康的な首筋を見てよだれをたらさんばかり。つやつやの黒髪やスポーツでもやっていそうな肩幅を舐めるように見つめる。

 この中年男は半年ほど前にたまたま見かけた芳樹に一目惚れ、勝手に思いを募らせて妄想は加速し、頭の中ではすでにお付き合いした仲。いつもならバスを降りたところから会社へ行くまで、会社を出たところからバスに乗るまで「優しく見守る」が、今日は「恋人の家へ行くために一緒にバスに乗った」のである。

 芳樹は終点で降りた。笑顔でバスの運転手に挨拶をして、軽い足取りで。
 随分長くバスに乗っていたことにも、寂しいところに住んでいることにも中年男は気づかなかった。その目には芳樹の美味しそうな身体しか目に入っていない。

 周りは民家もなく、静かな山道が延々続いた。
 散歩でもするように舗装されていない道を歩き、やがて一軒の家の古びた門を押し開ける。
 廃屋のようなそこに住んでいるのか。どう見てもひとりだ。先に玄関をくぐり、ぴったり戸が閉められたのを門のこちらから見ていた。

 舌なめずりした中年男は門へ太い手をかけた。そこには『この先私有地。危険につき立ち入り禁止』の文字。確かに今にも崩れそうだ。しかし愛しの恋人がいるのだから気にしてはいられない。
 無視して足を踏み入れる。

 広い庭、というよりは山そのものの中に突然あるのは家のほう、という雰囲気である。
 中年男はこの後の妄想に顔をだらしなく緩ませ、錆びた玄関へ手をかけた。

 ほぼ陽が落ち切り、家の中は真っ暗だ。灯りさえつけられていない。それが恥ずかしがりながらの恋人の誘いだと思った男は靴も脱がずに上がり込む。

 ぎしり、と足元が軋んだ。
 畳も敷かれていない、荒れ放題でおよそ人が住んでいるとも思えない正真正銘の廃屋。流石に少し気味が悪い。

 抜き足指し足奥へ進むと微かな光が見えてきた。そちらへ進み、中を伺う。
 ゆらゆら揺れる光は多数の蝋燭によって生み出されていた。電気ほどは明るくなく、薄暗くその室内を照らしている。

 鈍い銀の燭台がいくつも置かれた机を背に芳樹がいた。この部屋だけはきれいに掃除されており、芳樹がいるのは広く丸いローベッドの上。すでに何も身に着けていないようで、立派に張った肩が薄い毛布から覗いている。

 思いがけない姿に中年男はよだれを垂らし、帽子を捨てて飛びついた。
 毛布を剥ぎ取り、芳樹の上に伸し掛かる中年男。仰向けにさせられた芳樹は驚いた顔で中年男を見た。見たこともない、油ぎった男だ。

 驚いたような表情をしたのは一瞬で、すぐに困ったような苦笑いに変わる。
 ぶよぶよした手で芳樹の引き締まった身体を撫で回す中年男、その背後の暗闇で低い鳴き声がしていることに気付かない。


「……入ってきちゃだめ、って見ませんでしたか」
「はぁはぁ、きみとぼくは恋人なんだから、そんなの関係ないだろう」


 胸を撫で回し、唇を近づける。芳樹は微笑んで目を閉じた。

 瑞々しい唇とかさかさの唇が触れようかというところで、空気を震わせたのは紛れもない獣の咆哮だった。テレビかサファリパークでしか聞くことのないような唸りがすぐ背後に迫る。
 振り返る間もなく中年男は凄まじい力に襟首を掴まれ、振り回されて廊下の方へと放り投げられた。
 ガラスのサッシと雨戸を突き破り、庭へ転がる。
 その身体に伸し掛かったのは月夜に光る金毛逞しいしなやかな雄獅子。鋭い爪を備えた大きな前足で中年男を押さえ付け、牙をむき出しにして吼える。

 なにがなんだかわからず、パニックになる中年男の視界へ更に黄色の目をした黒豹と縞の美しい青みがかった虎が現れた。
 三種の肉食獣に囲まれた。
 現実とは思えない状況。
 夢かと思う中年男の肩を虎の爪が容易く傷つけた。痛みに上がる醜い声。紛れもない現実。
 続いて獅子が大きく口を開け、喉笛に食らいつこうとする。


「そんなの食べたら腹壊しちゃうよ」


 穏やかな声に、牙が食いこむ手前で動きが止まった。壊れたサッシのところに毛布を纏って立っている芳樹。場違いな笑みを浮かべ、しなやかな手を差し出した。


「寒いから戻ってこい」


 静かになった獣たちは、理知的な目で芳樹を見る。それから涙と汗と血でべちょべちょになった中年男を放り出して静かにそちらへ戻った。
 それぞれ芳樹の身体へ鼻面を押し付け、撫でてもらって子猫のような声を出す。

 芳樹も獣たちも、もう中年男になど興味はなかった。よろよろ立ち上がり、なんとか敷地から抜け出す。
 そして、目を疑った。

 来るときは確かに山道だったはずだ。何もなかったはずだ。しかし今はどうだ。どう見ても街がある。
 灯りが煌々と屋台の店先を照らし、行き交う人も多数いる。男には何がなんだかわからない。見た目は異国のような彩りの屋台が軒を連ね、ざわざわ騒がしい。
 その中を呆然と歩き、やがてぶつかった相手は獣と人の中間のような。
 よく見れば周りも全てそうで、男は叫び声を上げて駆け出した。


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