純愛はセーフです
「いやああああーっ!」 絹を裂いたような悲鳴が聞こえたのは、マゼンダに命じられて体育館周辺のゴミ拾いをしているときだった。体育館の入り口付近から建物を時計回りにぐるっと一周するコースで掃除していた僕は、ゴミ袋を放り出して悲鳴のする方にダッシュした。女性の一大事だ! ゴミ拾いなんてやってられない! 声は体育館の裏手から聞こえた。無駄にでっかい体育館の左壁面に沿って走りバッと裏を覗き込む。大丈夫ですか?! お怪我は……ん? 体育館の壁際、砂利が敷き詰められた足場の上にいるのは一組の男女だった。白い清楚なブラウスに水色のロングスカートを履き、真っ白な長髪をたなびかせた女子(制服じゃないので校則違反だ)。少し長めの緑色の髪を振り乱した学ラン姿の男子(ちなみにうちの学校はブレザー、つまり校則違反だ)。普通なら「可憐な女子に乱暴を働こうとしている不貞の輩、成敗!」って状況のはずだ。でも、僕の目の前の光景は、なんかちょっと違った。 「ああっ、ミドリ、ミドリ! はぁはぁ……」 「くっ、来るなあああっ!」 え? なんで女の子が妙な表情と仕草で男子につめよってんの? キャパシティオーバーな光景に脳の処理が追いつかない。 「はぁはぁ、ミドリ、相変わらず美しいですね! はぁん! 抱きしめてもいいですよね? ね?」 女の子は息を乱し、大きく広げた両手を震わせ、ゆらゆら危ない足取りで男子に詰め寄る。いくら女の子とはいえセリフがヤバい。変態だ。 「いやだああああああああーっ!」 対する男子は悲痛な声を上げて後ずさりしている。心底嫌だという気持ちがひしひし伝わってくる。すでに涙目だ。泣くほど嫌なんだな。うん、たとえ僕でもこんな迫られ方されたら全力で逃げるよ。
そうこうするうちに、女の子と男子の攻防は終わった。 男子の背中が体育館の壁にくっついてしまったのである。もう逃げられないだろう。合掌。しかしタイミングのいいことに、ここで僕は唐突に思い出した。 「うふふ、ミドリ、ミドリぃ」 そうだ。この声、聞き覚えがある。書庫だ! あの時の白髪美女じゃないか! えっと、名前は……たしか女傑集団さんが言ってたな。 「ル、ルファさーん?」 僕が控え目に呼びかけた瞬間、白髪美女の動きがぴたりと止まった。壁伝いにずるずる座り込んでしまっていた男子も涙目でこちらを見る。ばっちり目が合った。何も言わないけれど「助けてくれ」という気持ちがガンガン伝わってくる。ぜひとも助けてやりたいところだ。できたらの話だけど。 「な、何してるんですかー」 もう一度遠巻きに呼びかける。前傾だった白髪美女、もといルファさんの姿勢がぴっ、とまっすぐになった。よし、もうひと押し。 「校内での不純異性交遊は禁止ですよー」 僕が言うと、彼女は長い髪を揺らしながら、ゆっくりこちらに顔を向ける。少しはにかんだ、美しくも可愛らしい笑顔だ。白い頬が興奮のためか上気して、見ようによってはとても愛らしい。興奮に至る状況を目の当たりにした僕にとっては気持ちが冷め切る要因でしかないけれど。彼女は恥ずかしそうに目を伏せ、しかしその直後、さくらんぼのような唇を開いて、こう叫んだ。
「純愛ですので問題ありません!」
だめだこの人。 「そうですか、では僕はこれで」 「いやおいちょっ待てコラァ!」 とばっちりを恐れた僕はそう言い残して去ろうとしたが、呼び止められたので一応停止した。声の主はもちろん男子生徒。 「すみません、無理です、僕じゃ無理です」 「いや待てって! 見捨てんな!」 「無理です。ほんと無理です」 「血も涙もねえな!?」 男子生徒も必死の形相だ。でも僕にだって言い分はある。だって絶対関わらない方がいいタイプの人だろあのルファとかいう人。誰だって面倒ごとは嫌いだ。あれこのセリフどっかで聞いたぞ。 「ルファさん? だっけ? 美人だし、いいじゃないですか」 「はあぁ! 公認ですねミドリ!」 「ぎゃああああ状況悪化させてんじゃねええええええ」 俊敏な動きで男子生徒に飛びかかろうと(抱き着こうと?)したルファさんと、間一髪、彼女の顔面に両腕を突っ張り抵抗する男子生徒。はっはっは、そんな悲鳴をあげたらイケメンが台無しだぞう。 「では末永くお幸せに」 「ふぁい!」 棒読みの祝福を述べると元気な返事が返ってくる。もちろんルファさんのだ。きれいな人は変態でも顔面歪められててもきれいなんだな。新知識だ。別にいらなかった。 何事か喚いている男子生徒にそっと合掌し、僕はそそくさと体育館裏を後にした。敷き詰められた砂利を踏みつけ、回り込んできた角をさっきとは逆に曲がる。急げ急げ。その瞬間。 「きゃっ?!」 「うわあっ?!」 マゼンダ?! 角を曲がった瞬間に見えたのは、真っ赤な髪をツインテールに結ったキツい顔立ちの美人。ルファさんと男子生徒の騒ぎで砂利を踏む音が聞こえなかったんだ、と思うが早いか、僕とマゼンダは、それぞれ鼻とおでこを思いきりぶつけるはめになった。め、目の前に星が飛ぶ……。 「うう……どこ見て歩いてんのよ、このグズ!」 ひどい言われようだ。ぶつけたおでこに手を当てて「いたぁい」なんて泣けば最高に可愛いルックスなのに、この人はどうしてこう可愛げがないんだ。 「そっちこそ、なんでこんな場所に」 問えば、マゼンダは憤然と叫ぶ。 「あんたが帰って来ないからまたサボってんじゃないかと思ったのよ!」 言いがかりも甚だしい、と言いたいところだが、仕事が終わっていないのは事実。いやその、えっと、ちょっとそっちでトラブルがあるみたいで、と言い訳してみるものの、トラブルの解決を放棄した僕ではそれを言い訳に使う権利はない。気がする。 しかしここで初めて体育館裏の異変に気が付いたらしいマゼンダは、興味をそそられたのか僕をガン無視でそちらに向かっていった。ひどい。 さてマゼンダの反応はどんなものかな。 1.不潔よ! と嫌悪感をあらわに絶叫 2.不純異性交遊に激怒 3.呆れて放置 どれもあり得るな。個人的には二番目だと思うけど。 はたして僕の予想は、見事に裏切られた。 「ルファ先輩じゃないですか!」 「はぁはぁ、ミドリ、ミド……はっ?! マゼンダ?!」 「またミドリ先輩にちょっかい出してるんですか?!」 「ひえっ、す、すみません!」 なんだこの会話。 恐る恐る裏を覗くと、ルファさんを正座させて説教を垂れているマゼンダの後姿が見えた。今度はルファさんが涙目になってしょんぼりしている。す、すごいなマゼンダ……負けた気がする……。(あとあの男子生徒は奥の方で膝を抱えて呆然自失。お疲れ様です。) あれ? でも今なら怒られずに業務に戻れるんじゃないか?ちょっとずるいけどね。 音を立てないようゆっくりゆっくり顔を引っ込め、そーっと振り返る。さすがにさっきみたいな衝突は起こらないだろう、と思いながら。結論として衝突は起こらなかった。
「何をしている愚民」
でも会長がいた。もう一度言おう。会長がいた。僕は衝撃で声すら出ない。 会長は空中に、逆さまにぶら下がっていた。言っている意味がわからないかもしれないけれど本当にそうなのだから仕方がない。正確に言うと、体育館二回の窓から張り出した棒に足の甲をひっかけた体操着の女生徒が、会長の足首を掴んで会長をぶら下げていた。会長の金髪ローテールがかすかに揺れている。 「何をしている、と聞いたのだがな」 「えっ……あっ……掃除中です……」 何してるんですかとか、その女の子誰ですかとか、頭に血のぼらないんですかとか、言いたいことは色々あったけれど、全部言葉にならなかった。 「ほう? それはこんな時間までかかることだったのか?」 「あ、いや……ちょっとトラブルがあって……」 「そうか、それはご苦労。そのトラブルは解決したんだろうな?」 「いやっ……マ、マゼンダが対応してくれてる、みたい、です」 「ほうほう」 会長がぶら下がったまま頷いている。僕の声はどんどん小さくなる。気が付けば夕暮れが近付いていていた。西日が逆光となって会長の顔はよく見えなかったが、雰囲気でわかった。ああ、僕、死んだなあ。 「つまり貴様は、与えられた仕事もこなさず、問題の解決に尽力することもなく、こんな時間までサボタージュ行動をとっていた、というわけだな?」 ここで肯定したら確実に死ぬ。でも下手な言い訳しても死ぬ。なんて救われない二択問題だ。 「……はい、そうです」 考えた末に僕が選んだのは、肯定だった。次の瞬間、会長の手がガッシィ、と効果音がつきそうなぐらいの強さで僕の二の腕を掴んだ。そして打ち合わせていたかのようなタイミングで会長の上空の女子生徒が僕の体ごと会長の体を引き上げた。さらにそのままブランコのような動きに移行。腹筋使ってるのかな? でも腹筋だけで大の男二人支えつつこんなことできるのかな?ありえないと思ったけど現実だった。さようなら地面。 マゼンダの説教と会長の笑い声とを聞きながら、僕は短い人生に別れを告げたのだった。
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