俺はいない





「…今なんて…?」

「何度も言わすな、明日帰れと言ったんだ」



夕餉が終わったら話がある、と言い俺の部屋に杏絵を来させ明日杏絵がいた時代に帰れ、と告げた。

そう告げた瞬間、杏絵はこの世の終わりのような顔をして俺の服をぎゅっと掴み帰りたくない、と涙目で俺を見上げ必死に訴えた。その目を逸らさずにはいられなかった。今目を合わせたら決意が揺るぐ。

…頼む、そんな目で見るな。抱きしめてそのままずっと離したくなくなってしまう。



「どうして、そんな急に…っ!」

「急じゃない。ずっと考えていたんだ」

「だけど明日だなんて、あたしの事嫌いになったの?」

「そうじゃない」

「だったら…、だったらどうして…っ」



自分でもびっくりする程落ち着いて冷たい声で話していた。嫌いになれたらどんなに楽だろうか。

これからこの時代はどんどん危なくなる。それに俺のこの体は目に見える程弱っていた。俺は戦か病かどちらかで死に、杏絵を悲しませる事は明らかだった。
それならば、俺がいない時代に、杏絵が元いた時代に帰れば…きっとそれが一番良いんだ、と自分に言い聞かせた。



「晋作さ…っ」



本当は杏絵の体に腕を回し、今のは嘘だ!と言って明日も明後日も一緒に過ごしたい。



「分かった、じゃあちゃんと明日話し合おうっ」

「…ほんと?」

「ああ、だから今日は安心して寝ろ!」



出来るだけいつも通りの笑顔を作って杏絵の頭をそっと撫でてやる。まだ不安そうな顔の杏絵の手をひいて部屋まで送ってやる。

手を離しておやすみ、と部屋を出ようとすると杏絵が俺の着物の袖を引っ張っていた。



「今日は傍にいて…」



いつもは俺の女だと言ってもすぐ否定する杏絵が…こういう時だけ女の顔をする。帰るな、俺の傍にいろ、この言葉を何度飲み込んだだろうか。今宵もまたその今宵を飲み込んで杏絵を抱きしめた。



「明日帰ると約束するなら今夜は添い寝してやる」

「…っ!」



その言葉をきっかけにずっと溜まっていた涙が杏絵の目からぽろぽろと流れた。
どうしてそんな事言うの?と俺の胸を涙で濡らす杏絵。その涙を拭ってやるのは俺じゃない、俺では幸せに出来ない。



「…すまん。明日話し合うって言ったもんな」



杏絵を布団に寝かせ俺も隣に入る。俺の隣で嗚咽を漏らす杏絵の髪の毛を撫でる。
俺にしがみついて行かないで、と泣きながらも少しずつ眠りに落ちて行く杏絵を、どこにも行かない、と宥め抱きしめた。
やがて安心したのか規則正しい寝息だけしか聞こえなくなった。



杏絵が完全に夢の中に居る頃、俺は杏絵を抱きかかえ、あの神社に向かった。
俺の腕の中で無防備にぐっすり眠る杏絵…もう、見る事はない


神社に着き、杏絵を起こす



「…ここは?」



目を覚ますと青い顔になって俺の顔を見る。杏絵を下ろすと、すぐにしめ縄に触って杏絵から離れた。



「お別れだ」



俺がそう言ったのが合図かのように杏絵がいる所だけが揺れ始めた。



「晋作さん!!!」



俺は知っている
今杏絵の元に走って行き、抱きしめたら未来に帰る事はない。だが、それは杏絵のためにならない



「お前だけを愛してる」

そう言ったのと同時に杏絵は消えた。俺の言葉が聞こえたどうかは分からない。
さっきまで必死に堪えていた涙が次から次へと溢れて止まらなかった。どうして俺はこんな不器用な守り方しか出来ないのか。自分が情けなかった。



「けほっ、ごほっごほっ…」



よろよろと立ち上がり覚束ない足取りで帰路につく。俺の隣にもうあいつはいない。藩邸に帰ってもあいつはいない。どこを探してもこの時代にはあいつはいない。

そして、あいつが生きている時代には、もう…



俺はいない
(哀別を切り出した俺を恨め)

2011.02.23
ハナニラ(悲しい別れ、恨み)







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