まるで満天の星空みたいな、

 

 冬の澄んだ空気が、鼻を抜ける。
 そのひんやりとした冷たい匂いが肺一杯に広がるなか、車のラゲッジから足をぶらぶらと出したまま夜を見る男を、原田はちらりと盗み見た。



 数多くの有名人を輩出している聖高校を卒業したあと原田は東京で俳優になり、隣にいる男もとい神谷は芸能人になる事はなく埼玉にある実家に戻って、親の代から続く電気屋を営んでいる。

 そんな原田と神谷は、高校時代は常にセットだと認識されていた二人だった。
 だが意外にもこの二人は卒業してから一度も会っては居らず、ではなぜそんな二人が今、辺鄙な埼玉の小さな街の、小さな山の頂上付近の駐車場でこうして車のラゲッジに腰掛け並んで夜を見ているかというと、それは遡ること数時間前。


 なんの連絡もなく原田が突然ふらりとやってきては、

「よっ。久しぶり」

 等と言いながら、ずっと待っていたのか電気屋から出てきた神谷に声を掛けてきたからだった。



 店から出た瞬間、見知らぬ車から声を掛けられ訝しみつつ運転席を覗き込み、そしてそれが旧友の原田だという事に目を丸くした神谷だったが、数年前となんら変わらないその穏やかながらも男前な原田の笑顔に破顔しながら、

「……おー、久しぶり。つか免許取ったんだ」

 なんて返し、まあね。てかとりあえず乗れよ。と言う原田の言葉に促されるまま助手席へと乗り込んだのだった。


 それから、腹減った。と言う原田の言葉で近くのファミリーレストランに入り、一年ぶりだとは思えないほど以前のように他愛のない事をあーだこーだと話しては、笑いあった二人。
 そして夕食を終えたあと、

「わざわざ埼玉まで来たのにそのままとんぼ帰りってのも寂しいし、夜景とか見て帰るかなー。ここら辺でさ、夜景とか見れる場所ねーの」

 なんてまたしても真意が掴みにくいあっけらかんとした顔で訪ねてくる原田に、何しにここに来たのだろうという問いは聞けず、……じゃあ、あそこだな。と、麓を一望できる地元じゃちょっとしたデートスポットになっている場所を教えれば、一人で行くのも虚しすぎるからお前も来いよ。なんて有無を言わせない言葉で言いくるめられ、あっという間に助手席へと押し込められ神谷はここに連れてこられたのだ。



 雲も星もない、寒い夜。
 ぼんやりと美しく灯る光を見つめながら、男二人の方がもっと虚しすぎるだろ。なんて思いつつ夜景を眺めていた神谷だったが、ちらりと原田を見ては、

「そういや髪、切ったんだな」

 とぽつり、呟いた。


「え、なんで知ってんの」
「昨日の夜の生番組、たまたま見た」
「あっ、そう」
「ん。若手人気俳優とか言われて、髪の毛後ろで結んじゃったりなんかしちゃったりして、うわー、都会人ってるじゃんこいつ! とか思いながら見てたわ」
「いやもともと都会人だから俺」

 なんて小さく笑う原田の声が、吐息と共に闇に吸い込まれてゆく。
 そんな穏やかな雰囲気のなか、神谷は短くなった原田の襟足を見つめ一度瞬きをしたあと、

「つか、もう帰ろうぜ。さみぃーよ」

 と言った。

 その声に、んー、と生返事をしながら、原田が立つ。
 少しだけ揺れた車体の振動を感じつつつられて神谷も立てば、

「……これで星空だったら完璧だったけど、まぁ夜景すげー綺麗だし、ここならいいかな」

 なんて原田が言ったので、神谷は出会った頃よりも更に目線が高くなった顔を見上げ、

「いいかって、何が?」

 と首を小さく傾げた。
 その神谷の顔を横目で、しかししっかりと見つめ、

「ここなら、振られてもいい」

 と、言った原田。


 真っ直ぐに空気を裂いたその声に、神谷が呆けた顔のまま、原田を見つめ返す。
 そんな神谷の顔から夜景へと視線を戻し、

「空気も澄んでて、景色も最高に綺麗で、ここなら最後の想い出にしてもいい」

 と小さく息を吸って、冷たい空気を肺に落とし込んだあと、

「まさかもう過去の事だって俺が流してるとでも思った? それか去年みたいにしらばっくれるつもりだった? んな訳ねーしんな事させねーよ。わざわざ糞忙しい合間縫って免許取って、今日明日のスケジュールもぎ取って来てやってんだぞ」

 と少しだけ口調荒く、鋭く言い放ち神谷を見下ろした原田のその瞳には、ありありと怒りの炎が揺れていた。





『お互い近い事務所だし、卒業してからもよろしくな』

 なんて神谷が言ったのは、卒業式が始まる直前。
 そんな言葉を、俺も芸能事務所決まった。と嬉しそうに数ヵ月前わざわざ報告してきた神谷の言葉を、原田はずっと信じていた。
 自分が芸能界入りする事務所からそう遠くない場所で、神谷も舞台役者になる。そう信じて、疑いすらもしなかった。
 しかしその神谷の言葉がまるっと全て嘘だったと知ったのは、卒業式が終わり、夕暮れが顔を覗かせる教室でだった。


 原田は、神谷が好きだった。
 いつからだとか、きっかけはなんだとか、聞かれても曖昧な事しか言えないだろうけれど胸で燻るそれは、確かに恋だった。
 そして、神谷もきっと、いや絶対に、自分が好きだと原田は分かっていた。
 口にせずともそういうもんは分かるもので、お互いがお互いを好きだと気付いていた。
 だからこそ、門出と共に新しい一歩を共に踏み出そうと、原田は卒業式のあと神谷に告白をするつもりで教室に呼び出したのだ。

 そんな暮れかかる教室で、以前甘いものが好きな神谷の為に慣れないながらも一度だけ不恰好なクッキーをあげた時に美味い美味いだなんて言いながら食べてくれた時の顔を何度も何度も思い描いては、原田は一人きり、以前よりぐっと上手に作れるようになったクッキーが入った袋をそっと撫でていた。


 ところが待てど暮らせど神谷は来ず、携帯も繋がらず、見回りに来た先生にさっさと帰れと怒られ、それでも引けず神谷を待ってるんです。と困ったように笑えば、不思議そうな顔であいつは今ごろ埼玉行きの新幹線に乗ってるだろ。なんて言われてしまった事で、原田は全てを理解した。

 あの言葉は、臆病風に吹かれ始まってすらもいない恋から尻尾を巻いて逃げるための、周到に用意された嘘だったのだ、と。


 それから原田は今日のこの日の為に新人役者のくせに生意気にもマネージャーにスケジュールを調整してもらい、なけなしの睡眠を削ってまで免許を取り、車を買った。

 車は、閉じ込め連れ出し、絶対に逃げられないようにするための檻だった。

 髪を切ったのは、決別のためだった。

 わざわざ景色の良い場所を選んだのは、苦い想い出を少しでも綺麗に終わらせたかったからだった。



「……ここまでお膳立てしてやったんだ。もう一年前みたいには逃がさねぇよ」

 そう底冷えするかのような瞳で神谷を見つめ、

「お前が好きだった」

 と熱い告白とは正反対に、とても冷たい顔で言う原田に、神谷がぐっと唇を噛む。

「俺を受け入れる勇気がなかったのはしょうがねぇって思うよ。けど、逃げるのは卑怯だろ。宙ぶらりんのまま置き去りにして、それでばいばいだなんて、……そんな話ねぇだろ」

 なんて最後の方はぼそりと呟いた原田は俯き一度深く深呼吸をして、

「だから、神谷。ちゃんとお前が終わらせろ。ちゃんと、俺を振れ」

 と、真っ直ぐ、神谷を見つめながら言った。
 そんな原田の射抜くかのような視線に神谷は堪えきれぬと唇をひしゃげ、それから、

「……逃げて、ごめ、ん……」

 と、呟いた。

 初めて聞く、神谷の弱々しい声。

 その声に、戸惑いや不安、後悔や怖じ気が垣間見れて、原田は怒りで目の前が赤くなった気がしたが、その怒りをもう一度深呼吸する事でなんとか鎮めた。


「……好きだった。ずっと好きだった」
「……っ、うん、」
「嘘付かれて、逃げられて、ふざけんなって死ぬほどムカついたけど、それでもまだ好きで、そんな自分が死ぬほど嫌だった」
「……う、ん」
「今もぶん殴ってやりたいぐらい、腹立ってる」
「……う、ん」
「……それでも、今でも、まだお前が好きだよ」
「……っ、」
「……早く振れって。もう一回ごめんって、言えよ」
「……っ、」
「……かみや、」

 そう名を呼んでみてもぼたぼたと涙を溢しながらそれでもごめんとは言わずだんまりを決め込む神谷に、原田はやっぱりぶん殴ってやりたいと舌打ちをしてから深く深く息を吐き、その腕を強く引いた。


 冷たい髪の毛の感触が、唇に当たる。

 初めて抱き締めた体は自分よりも当たり前に小さくて、それでもごつごつと痛くて、可愛らしさのひとつもなかった。


「……ぶっ細工な顔で泣いて、俺の最後の振ってくれって望みすら叶えられないくらい俺をまだ好きなら、最初から逃げんなよ、ばか。振られに来てやったなんて嘘だよ、ばか。もういい加減観念して俺を受け入れろよ、ばか」

 そう苛立ちに任せ馬鹿と言いながらも抱き締める腕に力を込める、原田。
 二人の唇から漏れる苦しいほどの吐息が、白く揺蕩っていく。

 なけなしの睡眠を削って免許を取って、車を買って、髪を切ったのは、先程も言った通り絶対にもう逃がさないと、こんな苦い想い出とはおさらばしてやる、と誓ったからだった。
 だが、誰が振られてやるか。そう思いながらわざわざしおらしい台詞を吐いてやったのは、神谷の本音を引き出すためだった。

 周到に用意してまで実らそうとはしなかった恋を、ならばこっちも周到に用意して苦い想い出を恋に変えてやろうと思ったのだ。

 そんな原田の心境など知らず、しかし痛いほどの抱擁にずびずびと鼻をならし、

「ふっ、ううっ、ごめ、ん、はらだ……、逃げてごめん、おれ、こわ、くて……、未来とか、周りの目とか、それにお前は役者になるし、もっとずっと良い奴が現れて、そしたら捨てられるんじゃないかって……怖くて。お前から、逃げた……。でも、おれもすきだった、ずっとすきだった。ずっと、いまでも、やっぱりどうしようもなくすきだよぉ、はらだぁ……」

 と堰を切ったかのように泣き叫びながらも精一杯背中に回した腕で抱き締め返す、神谷。


 その一年越しのようやく聞けた言葉に、抱き締め返す腕に小さく息を飲み、それでも余裕のあるふりをして、

「……知ってるよ、ばかみや」

 と呟いた原田は、冷たい髪の毛に頬を寄せどうしようもなさに埋め尽くされるまま、空を見た。

 雲も、星のひとつすらもない、真っ暗な夜。

 それだというのに今視界に映る空はなぜだかゆらゆらと、きらきらと波打っている。
 それがまるで沢山の星が頭上で瞬いているかのようにも見えて、原田は感嘆の息を溢したあと、ああ全て計画通りだ。と神谷の髪の毛に頬を寄せ、涙を堪えながら笑みを漏らした。


「つか、逃げ出して受け入れもしなかったくせに何が捨てられるのが怖くてだよ。ほんとムカつくわ」
「ずびっ……ごめん」
「役者になるどころか電気屋継いでるし」
「……ごめん」
「いやもう許さねぇわ」
「っ、」
「お前がじいさんになって死ぬ直前にもっかいごめんって言え。そしたら許してやる」
「っ、ぐす……ん……」
「今度また俺から逃げようとしたらぶっ殺すからな」
「……ふはっ、うん……もう逃げねぇよ」
「……俺の胸ポケット、探ってみ」
「え?…………あ、これ、」
「お前のせいで俺すっかり女の子よりお菓子作り上手になったじゃねぇかよ。俺甘いもん好きじゃねぇのに。だから責任取ってお前が食えよ、このクッキー」
「っ、……へへ、うん、……うん……」
「……あーあー、また泣く」
「へへっ。ずびっ……おいしい、せかいいち、おいしい、よ……」
「当たり前だろうが。呪うくらいの愛情込めてっからな」
「……ふはっ、こえー」
「いやもうそこはいっそ本望って言っとけ。ばかみや」



【 アイラブユー、ミートゥー、を何度だって繰り返して、買ったばかりの車に新しい想い出を詰め込んで、不安なんて全部蹴散らして、いっそ僕と銀河までドライブしてみませんか 】






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