特等席

 

 このクラスには幽霊が居る。



 といっても本当の幽霊などではなく、陰気で影が薄く、誰ともつるまずただぼうやりと教室の自分の席に座っているだけの歴とした人間、そいつのクラスでのあだ名が幽霊なのだ。

 その幽霊の本当の名前は、田辺修。

 長い前髪のせいで誰も田辺の目を見たことがなく、ひょろりとした細長い体を九の字に曲げて座っている姿はどこか奇っ怪に見え、そして誰一人田辺の声を聞いたことがない。

 そんな幽霊と呼ぶに相応しい無駄に広い背中を眺めながら、相変わらずでかくて黒板が見えねぇ。なんて思いつつ、鼻の下に差し込んだシャーペンの匂いを無駄に嗅ぐ。
 午後の麗らかな陽射しは退屈な授業から意識を遠退けさせるのに拍車をかけ、真っ白な塗り壁めいたその背を見つめては、幽霊、か。なんて誰が言い始めたか知らぬ酷いあだ名を心のなかで呟き、それでもこの間見てしまった俺が田辺を田辺と認識するに値した出来事を頭の中で反芻させた。



 それは、夕陽がひっそりと影を落とすような暮れかかる校舎のなか、サッカー部の練習中に足を怪我してしまい一人保健室へと向かっていた時。

 そこで俺は、初めて田辺の目を、見た。



【美術室】と書かれたきな臭そうな部屋のなか、一心不乱にキャンバスに向かって何かを描いていた田辺。
 そこで初めて俺は田辺が美術部だった事、そしてその長い長い前髪の隙間から覗く瞳が、まるで鋭利なナイフのような、それでいて深い深い熱さを湛えるような色を滲ませている事を、知ったのだ。



 そしてそれ以来、目の前のデカイ幽霊だというぐらいの認識だった田辺の存在が嫌に目につき、あの日見たあの燃えるような瞳が忘れられず部活の練習中に抜け出してはこっそりと田辺を眺める事が俺の日課になりつつあって、それを誰かに知られればストーカーかと言われてしまうだろうとは分かっているものの、止める事は出来なさそうだと自覚すらしているほど、俺は今田辺の事が気になっている。
 何度見てもやはり美術室に居る時だけ田辺は教室に居る時とは比べ物にならないほどありありと存在感を主張していて、その筆を握る長く骨ばった指やキャンバスを真っ直ぐ見つめる射抜くような視線に、とても心惹かれているのである。


 しかしいざ教室で声を掛けようと試みても特に今更話す事もきっかけもなく、実はお前の事前から見ててさ。だなんて言えば気持ち悪がられてしまうだろうと分かっているからこそやはり声は掛けられず、こうして今もひっそりと授業中後ろから田辺の背中を眺める事しか出来ない毎日だ。
 けれどもクラスでは生きているのか死んでいるのか分からない田辺の、あの生気を込めるような力強い瞳を知っているのは自分だけだと思うとなんとも言えぬ優越感があるのも事実で、新しい玩具を手に入れた時のような高揚感で胸をいっぱいにさせたまま、午後の麗らかな日差しを浴びながら艶々と輝く田辺の真っ黒な髪の毛や真っ白なシャツを眺めてはまたしてもひっそりと鼻の下のシャーペンの匂いを嗅いだのだった。

 何故だか、今度はほんのり甘い匂いがした気がした。




【 互い、秘めやかに滲む熱を眼差しに宿して 】






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