眩しく美しい朝陽が森の木々を照らし始め、風が柔らかい匂いを纏い始めた、春の朝。
 辺りは霧がかり、しかし皆一様に別れを惜しむよう、何も言わず立っていた。

「……行って参ります」

 そう呟いた青年へと変わり始めている男の声はもう随分と深く、彼の顔はほんの少しのあどけなさの中に男性の魅力を存分に秘めている。

 射抜くような力強さを纏う、真っ暗な瞳。
 凛々しい、眉毛。
 高い鼻に、薄く、だがしっかりと輪郭のある柔そうな唇。
 日に焼けた褐色の美しい肌に、漆黒の髪。

 正しく美青年と言うに相応しい容姿に、狩りを何度も行ってきた為に鍛えられた美しくしなやかな肢体は、彼が完璧なアルファとしての試練を難なく乗り越えるだろうと、言外に示していた。


「シュナ……」

 ぼそりと青年の名を呟き、目の前で涙を耐え自分を見ている母親を真っ直ぐ見つめる、シュナと呼ばれた青年。
 その瞳は力強いものの、けれども別れを同じように惜しんでいて、彼の母親は堪らず背伸びをしてシュナの顔を両手で包み、鼻先をすりすりと擦り合わせた。

 それを受け入れるよう腰を曲げたシュナもまた一度だけすりっと鼻先を自ら擦り合わせ薄く笑い、それから母の隣に立つ父親へと、視線を移した。

 偉大な父であり、そしてこの群れの長である、パックアルファ。
 その尊厳たる姿は何時ものように厳しく、だがしっかりと息子のシュナを、そして十七になり成人の儀式として行われる『洗礼式』に基づいて、これから一年間一人で生き抜いていかねばならない若いアルファを見守っている。
 シュナは母を、父を、そしてその後ろで涙にくれている群れの仲間を見た。
 一つ年が上の、優しくひょうきんな兄、ロアン。
 からかいからかわれ、幼い頃からずっと側に居て一緒に大きくなった、一つ下のいとこでもあり親友である、リカードとアストル。
 そしてシュナの四才下の弟であるウォルは、その兎のような大きい目から涙をぼたぼたと落としながらシュナを見ている。
 その横には叔母や叔父や他の従兄弟達、そして祖母が共に並び立っていて、数十人が家族として共に暮らすこの群れをシュナは今一度ぐるりと見回しながら、息を吸い込んだ。


 近代化が進み、こうして森の一部を開拓し小さな農園を造り、数頭の乳牛や鶏、それから羊などを飼育しながら狩りをしてはなるべく自給自足の生活をするような群れはだんだんと減り、今や群れを作らず街で自由気持ままに暮らしている人々の方が多くなった、世の中。
 もちろんシュナ達も街に出向き、服や日用品、薬などを調達するが、それは文明の恩恵を少しだけ借りるようなもので、今なおシュナの群れは昔ながらの生活をする事を好んでいる。
 そしてそれはシュナにとっても誇りであり、シュナは家族を、そしてこの群れを心から愛していた。そして一年後、成人の儀式を終えれば群れを捨て街に出ていく事も勿論許されているが、シュナはこれからもずっと、この群れと共に生きていく覚悟を決めている。
 それを腹の奥で今一度噛み締めながら、シュナは掟に従って、朝露に濡れる大地を踏み締めゆっくりと背を向けた。


 背中に暖かな視線を常に感じ、シュナはそれだけを胸に抱えながら、どんどんと群れを離れていく。
 たった一年と言えど生まれ育った群れを離れるのは辛く悲しく、来た道を戻りたい衝動に駆られたが、けれども果たさねばならぬ使命感として訴える自身の中のアルファ性が、やはりシュナを奮い立たせてくれた。




 ***



 群れから離れ、一人ずっと歩き続けもう何日経っただろうか。
 シュナはなんの安らぎも安堵も、しかし脅威も感じない森の奥深くで、ようやく立ち止まり辺りを見回した。

 背中に背負っている大きな袋には、必要最低限の荷物が入っている。
 それを慎重に近くの木の根に降ろしたシュナは、ずっと潜め緊張していた息を吐き出すよう、ゆっくりと深呼吸をした。


 肺に広がる、緑と土の匂い。
 それは十分にシュナをリラックスさせ、シュナは先ほど辿ってきた小川に程近いこのぽっかりと開けた場所を寝蔵にしようと決めながら、肩に下げていた弓矢を手にし、そして数本の弓が入ったままの筒を地面に置いた。

 古くから受け継がれてきた弓矢は古く、だがしっかりとシュナの手に馴染んでいる。
 それは代々受け継がれてきたものであり、初めて狩りに成功した十二の時に、父親であるパックアルファからシュナへと渡された弓で、その緩やかなカーブを描く弓を一度撫でたシュナはそれから、足元に置いた筒から一本弓矢を引き抜き、切っ先が欠けていないかを丁寧に確認したあと、弓を構えた。

 十五歳で第二の性であるアルファ性が分かり、しかしそれよりもずっと前から父や叔父達と共に狩りをしてきたシュナがその感覚を研ぎ澄ますよう、弦を引く。
 真っ直ぐに伸びた背中と、力強く筋肉が浮く腕。
 それはもう十七歳になった今立派なアルファの貫禄を滲ませており、シュナは片目を瞑りながら狙いを遠くの木の幹に定め、息を止めた。

 一瞬の静寂。

 それからその武骨な長い指を一気に離したシュナにより素早く放たれた矢は狙い通り深く深く遠くの木の幹に突き刺さり、その振動と空気を裂いた音に驚いた鳥達が一斉に空へと飛び立っていく羽音を聞いたシュナは、満足げに頷いた。


 そうしてここら一帯に住む動物に今日からここが己の縄張りだと主張したシュナは、森で枝を集め火を焚く準備を整えたあと、弓と同じく代々受け継がれてきたナイフで木を切り、頑丈な蔓を集めた。
 それから小さな小屋を建てる為の作業を進めながら夜が来る前に弓矢を背負い森の中へ入ったシュナは、運良く一頭の兎を狩ることができ、ナイフで皮を剥いで血を抜き綺麗にし、素早く火を起こしてはその肉を食べ、早い夕食を終えた。

 夜が深まるにつれて森はざわめきだし、辺りは鬱蒼とし始めている。
 だがそれは慣れ親しんだ森の息吹であり、シュナは小屋の作業を止め、鍋や木じゃく、ほんの少しの薬や最低限の衣服などが入っている袋の隣で出来るだけ身を小さくし、群れを出てからの数日間と同じよう、木の根で野宿をした。
 こうして一人きり眠りにつく度に孤独や喪失感が身を浸したが、けれどもやはりアルファの血が、シュナを勇ましく孤高へと導いてくれた。




 

[ 2/141 ]

[*prev] [next#]

[mokuji]
[しおりを挟む]

[ top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -