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突如近くから聞こえたシャッター音に思わず体を固まらせた翠だったが、
『やば、気付かれたかも!』
『だから撮るなって言ったじゃん!』
『だってめちゃくちゃ綺麗だったからぁ〜!』
『良いからほら! 逃げるよ!』
だなんてコソコソ喋っているつもりだろう二人組の女子高生の声が聞こえ、はぁ。と小さく溜め息を吐いた。
どうやら思わず盗撮をしてしまったようで、そそくさと逃げていく二人。
その華奢な背を見つめた翠は、……まぁ別に今の二人は害は無さそうだし良いか。と勝手に写真を撮られる事など日常茶飯事のせいで最早何も感じず、また歩きだそうとしたが、突然後ろから聞こえた隆之の声に、またしてもびくりと身を跳ねさせ足を止めてしまった。
「ちょっと待ってください!」
そう声を張り上げた隆之に、えっと翠が振り返るよりも速く、翠の横を通りすぎては先程の女子高生二人組の方へと走り出した隆之。
その瞬間ふわりと吹く風で前髪が乱れたが、翠はただただ驚きに目を丸くし、その姿を見つめる事しか出来なかった。
隆之の、広くて大きな背中。
それが瞬く間に遠ざかり、女子高生二人にぐんぐんと近づいてゆく。
そして易々と二人を捉えた隆之がもう一度待ってくださいと声をかければ、女子高生二人も驚きながら足を止めたのが見えた。
それから何を話しているのか詳細までは聞こえなかったが、どうやら隠し撮りした翠の写真を消すように言っているらしい隆之がぺこりとお辞儀をしているのが分かって、翠はもう堪らず、へにゃりと眉を下げ、唇をひしゃげてしまった。
……俺の為にわざわざ呼び止めて注意してくれたんだ。
なんて心のなかでぽつりと呟いた翠が唇を震わせ、か細い息を吐く。
写真の事もそうだが、今までの隆之の行動全てが翠にとっては常にあまりにも優しく、真っ直ぐで美しく感じ、今にも泣き出したいような、叫びたいような幸福さで胸が満たされてしまった翠は、情けなくも一歩も動けずその場で立ち尽くしたままだった。
「……冬月さん?」
もう一度女子高生達にぺこりとお辞儀をしたあとまた軽く走りながら戻ってきた隆之が、しかし翠の顔を見た瞬間心配げに問いかけてくる。
そんな、身長は大差ないのにそっと覗き込むよう少しだけ腰を屈め表情を窺ってくる隆之の仕草にでさえ翠は息を詰まらせながら、ぽつりと呟いた。
「……あり、がと……」
「いえ」
ひりつく喉から絞り出した翠の言葉に、しかしさも当然の事をしたまでだと言わんばかりに言い返す隆之。
だが、もう仕方がないと諦め割りきっていた翠にとって隆之の行動はやはりひどく胸に刺さり、ずびっと鼻を啜った翠が顔を上げて、にへらとだらしなく笑った。
「……ほんと、ありがとね……」
「……俺が勝手にしただけなんで」
「ふはっ、勝手って。……助かったよ凄く。ありがとう。だから次からはちゃんと自分で注意するよう頑張るね」
「……そう、ですね。無断で写真を撮られるのが好きって訳じゃないなら、出来るならそうした方が良いと思います」
何故かどことなく泣きそうになりながら笑う翠に、隆之もこれが翠の日常だと察したのか、何を言えば良いのか分からないという表情をしながらも小さく頷く。
その独特な言い回しが面白く、翠があははとまたしても声をあげて笑えば、未だ少しだけ心配げな顔をしつつも、隆之もふっと微笑んだ。
「ほんと色々ありがとね」
「いえ」
「えへへ……、っあ! ごめん! 行くとこあるって言ってたよね!? 何度も引き止めちゃってごめん! 俺ももう帰るし音無君も気を付けて帰ってね! ばいばい!」
まるで天使のような顔ではにかんでいた翠がしかしハッとしては、これ以上引き止めるのは申し訳ないと慌てて先程と同じように、隆之にバイバイと手を振る。
そして歩きだそうとしたが、だが目の前に立っている隆之はそれを良しとはしないようだった。
「冬月さん」
凛とした、深い声。
その声にたかだか名字を呼ばれただけだというのに性懲りもなくドキリと高鳴る心臓を抑えつつ、翠は何か言いたい事でもあるのだろうかと、小首を傾げた。
「うん? なに?」
「あの、もし出来れば家まで送らせてもらっても良いですか」
「……へ?」
「家まで、送らせてください」
突然過ぎる隆之からの言葉を上手く飲み込めず、翠がすっとんきょうな声をあげ、呆けた表情をする。
だがそんな翠に、やはり隆之は何でもない事のよう、送らせてくださいと繰り返すだけで。
それにようやく何を言われたのか理解した翠がボンッと湯気が出てしまいそうなほど顔を真っ赤にしてはくはくと唇を震わせたが、それからぶんぶんと首を横に振った。
「えっなんで!? あ! もしかしてさっきおっさんに絡まれてたから!? それなら大丈夫だからねほんとに! いやそう言ってくれて嬉しいんだけど! まじでめちゃくちゃ嬉しいんだけど!! でも行かないといけない所あるんだよね!? ほんとこれ以上気を遣ってもらわなくても大丈夫っていうか、それに俺女の子でもないし、ていうかこう見えて喧嘩強いし、ほんと平気だから!!」
そう息継ぎする間もなく話す翠が、ここまで人の心配出来るとかあーーもう!! まじでイケメン過ぎる!! と隆之の申し出に内心悶えキュンキュンと顔を赤くしたまま、それでも必死に大丈夫だとアピールする。
だが隆之は尚も真剣な眼差しを崩す事なく、口を開くだけだった。
「気を遣ってるとかそういうんじゃなくて、俺がそうしたいから言ってるだけです」
「っ、」
「用事っていっても急ぎじゃないですし、また戻ってくれば良い話なんで。それに実はさっき冬月さんに帰るのって聞かれた時もそう言おうと思ってたんです。でも咄嗟だったんで帰るだけだって嘘付けなくて行くとこがって口滑らせちゃって。でもそのあと、用事があるのはあるんですけど重要じゃないんで、もし冬月さんさえ良かったら送りたいです。って続けようとしたんですけど、冬月さん凄い勢いで話してたから言葉を続ける隙がなくて」
だなんて数分前の翠の様子を思い浮かべたのか、隆之が小さく困ったように笑いながら言う。
その笑顔が驚くほど格好良く、そして嘘を付くのが下手なのか咄嗟だったから誤魔化せなかったというのもあまりにも可愛くて、ドスンッと心臓を矢で突き刺されたような刺激にうっと息を飲んだ翠は、本当にどこまで魅力的なんだと顔を真っ赤にしながら、もじもじと指を合わせた。
「い、いやでも……、そこまでしてもらわなくてもほんとに、大丈夫だよ……」
「……やっぱ気を遣わせちゃいますよね」
「へ? あっ、いや、気を遣わせちゃってるのは俺の方でしょ!」
「これは俺のエゴなんで気を遣ってるとかじゃないです。家までが嫌なら近くまでとかで良いんで、送らせてください」
気を遣ってくれているのはそっちだろう。と慌てる翠に、俺が送りたいからそう言ってるだけ。というド直球ストレートさを何度も見せつけてくる隆之。
それを直にくらってしまえば翠はもう本当にプシューと煙が出てしまいそうなほど顔を真っ赤にしながらも、何これ願ったり叶ったり過ぎる……! と頷くしか術がなく。
「ぁ、う……、じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……、家まで一緒に、帰ってくれる……?」
だなんてどもりつつ、無意識に睫をはためかせた翠が、隆之を上目で見つめた。
「……」
「……音無君?」
「ゴホッ、すみません……。はい、ありがとうございます」
何故か少しだけ無言になった隆之がそれからゴホッと咳をし、けれどもぺこりと頭を下げている。
そんな隆之を噎せちゃったのかと心配しながらも、いやだからこっちがありがとうだから! と翠もペコペコと頭を下げた。
「……じゃあ、行きますか」
「あっ、う、うん!」
なんて何故かギクシャクとした空気を漂わせながら、駅への道を並んで歩いてゆく二人。
だが翠にとっては夢のような時間でしかなく、心の中でジタバタと悶えてはニヤケそうになる顔をなんとか必死に保ち、共に二人で駅へと向かったのだった。
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