◎エリ・エリ・レマ・サバクタニ
『神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのです』 
キリスト最後の言葉
―マタイの福音書27章46節より―

「銀さん、どうしたの?こんな夜更けに」

眠る準備でもしていたのだろう。夜着姿の千草から、ほのかに香る石鹸の匂い。たまらなくなって、千草が言葉を言い終わらないうちに唇を塞いだ。口付けながら、片手でドアを閉め、鍵を掛ける。
驚く千草を他所に、貪るように口付け、玄関へ押し倒す。
場所を弁えずに盛るなど思春期のガキかと胸内で自嘲するが、千草の温もりが欲しくて仕方なかった。
先ずは玄関で欲を放つ。
息もつかぬまま、千草を抱えあげ、誂えたように敷かれた布団へ雪崩れ込み、再び身体を繋げた。
月明かりに輝く千草の生白い肌。俺の肉欲を美味しそうに咥え、淫らに喘ぐ千草は美しかった。
興奮して、理性を失いそうになったのがいけなかった。千草の胸を掴む手にじわり浮かび上がる呪符。はっとして、慌てて千草の身体を反転させた。尻を突き出す体制になって恥ずかしいのか、千草が身を捩る。

「や、ぎんさっ、かお、みたい」

胸が詰まった。だが、今顔をみられるわけにはいかない。全てバレてしまう。

「だぁめ。このほうがイイとこに擦れて、キモチイイでしょ?」

わざと意地の悪い言葉を囁いて、千草が感じるトコロを擦って、突いてやる。すると、千草はいつも以上に甲高く啼いた。
千草のナカに二度目の欲を吐いた後、背後から千草を抱き締めて、小さな肩に顔を埋める。最後かもしれない。鼻腔を擽る千草の匂いを堪能した。

「銀さん、なにがあっかは知りませんけど……私は銀さんの傍にいますから。うんとおばあちゃんになっても、ずっと」
「……それって、プロポーズ?」

からかって千草の手をとり、指を絡める。千草の華奢な指がきゅっと握り返してきた。
離したくねぇ、行きたくねぇ、別れたくねぇなぁ……。
今更、決心が揺らいだ。
だが、己に巣食う呪いはそのうち身体を侵食し始め、やがて自我も保てなくなるだろう。そうなった時、千草や、神楽と新八を傷付けてしまいそうで恐ろしかった。

「銀さん。ずっと、ずっと好きでいて下さい。私もずっとずっと大好きでいますから」
「ああ、」

愛している、の言葉を飲み込んで変わりに千草の目許に口付けた。

――愛しているから、さよならだ。

千草が寝息を立てる頃、俺はかぶき町から姿を消した。

夜明け前が一番暗く、一番つらい。
明けることのない夜に呑まれてしまいそうだった。



◎メメント・モリ 
ラテン語で『死を忘れるなかれ』


こんな夢を見た。
最近よく夢を見るだ。
流るる雲のようにふわふわと掴み所がなく、だけど何者にも手を差し伸べる銀髪の侍の夢を。
口が悪くて、お金にがめつくて、不器用で、それでいて優しく強い彼の広い背中を追い掛ける夢。
武骨な手で私を撫で、ぶっきらぼうな言葉で愛を伝える夢を。
五年前の或る日、突然姿を消した、私の恋人の夢を。
その後、必ず現れる黒い影の夢。
ざらついた声で「ごめんな」と囁き、躊躇いながら伸ばされる包帯を巻いた手が優しく頭を撫でるのだ。
懐かしい心地よさだった。

「銀さん?」

閉じていた目を開ける。もう殆んど見えなくなってしまった世界。

「そこにいるの?」

身体も思うように動かない。だけど、銀さんがそこに居て、泣いているような気がして、気力を振り絞って腕を伸ばす。

「あ、」

バランスを崩して、ベッドから落ちてしまった。

「いった……」

助けを呼ぼうも、声を張り上げる力が出ない。
どうしようか途方に暮れていると、身体が宙に浮いた。誰かが助け起こしてくれたのだろう。
力強い腕だった。懐かしい、感覚だった。嘗て、私を護ってくれたあの逞しい腕に抱かれているような、気がした。
そっと、ベッドへ下ろされる。

「あなたはだれ?」

顔を上げた先。霞む視界に写る、黒い影。

「銀さん?」

影は答えない。
変わりに頬を掠める温もりが、涙を一滴さらっていった。



◎エリ・エリ・レマ・サバクタニ


――銀さん、あのね。ずっとずっと私のことを好きでいて下さい。私もずっとずっと大好きでいるから。

烏の鳴き声に銀時は目を覚ました。
硬いコンクリートの壁に背中を預けて眠ってしまったせいか、身体の節々が痛い。
崩れ落ちた天井から覗く空は暁に染まり始めていた。ここ数年、何度も目にしている夜明け前の空だ。
黎明を告げる烏の声に、或いは悪夢を、或いは懐かしい夢を見て、ひとりひっそりと目を覚ます。

「夢か、」

ずいぶんと懐かしい夢を見た。
五年前に、別れも告げずに置いていった愛しい千草の夢。
千草は銀時にとって陽だまりのような存在だった。愛しい、護ってやりたいと初めて思った千草だった。叶うことなら、一生添い遂げたいと、思っていた。
だが、それは叶わぬ夢となった。
己の身体を蝕む呪いが、千草を、世界を滅ぼそうとしている。

その日の丑三つ時、銀時は千草に会いに行った。無性に顔が見たくて仕方がなかったからだ。いつも閉まっているはずの窓が小さく開いていた。不用心だな、と思いつつ気配を消して室内へ侵入する。
久しぶりにみる千草はずいぶんと痩せて、白くなっていた。

「すまねぇな」
呟いて、震える手で彼千草の頬を撫でる。

「銀さん?」

突然、懐かしい声で名を呼ばれ、銀時は狼狽えた。
千草は自分を探しているのか、両手を右往左往させて、やがてバランスを崩してベッドから落ちてしまった。自力ではもうベッドへと戻れなくなってしまった千草。

「……っ、」

たまらず、千草を抱き上げた。懐かしい柔らかさ、温もりに胸が詰まった。哭きたくなった。

「銀さんでしょう?」

目も殆んど見えなくなった千草の、あどけない顔をみたら、抱きしめて"ただいま"と言いたかった。
だが、それは出来ない。己には出来る資格などないのだ。
銀時は彼千草の目から溢れる美しい滴を指先ですくってやることしか出来なかった。

病院を抜け出して、荒廃した世界を前に泣きたくなった。だが、涙は出ない。
腹切りを試みようも、内に巣食う呪いが許さない。愛するひとを抱きしめることは愚か、死ぬことさえも出来ないこの忌々しい身体が憎かった。

「誰か、俺を殺してくれ」

銀時の悲願めいた呟きは夜明け前の薄い闇に呑み込まれて、消えた。




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