其の八



お嬢さん、活動写真を見に行きませんか?

そう誘ってきたのは坂田さんでした。
あの事があってから、私は坂田さんを何と無く避けて居たのですが。

「活動写真ですか?」

「ええ。ほら、竹久夢二が絶賛していた活動写真の」

「まぁ、カリガリ博士ね!」

今巷でひそかな話題となっている活動写真を観たいが為に、私は坂田さんの誘いを受けました。普段、活動写真はお父様かお友達と一緒に見に行くのですが「カリガリ博士」は不気味な内容らしいのでお友達は誰も見に行きたがらないのです。お父様も、最近はお仕事が忙しく中々時間を作れないのです。かといって、一人で行くのも引けてしまいますし……。なので、坂田さんが声を掛けて下さった事が嬉しかったりもするのです。


「まぁ、まぁ!浅草にいつ行きますか?なんでしたら、今からでも行きましょう!」

はぁ、と半ば驚き気味の坂田さんの手を引いて「車を出して下さいな。」と運転手の田中さんに頼みました。

我ながら、なんと馬鹿な行動に出てしまったのだろうかと思いました。
浅草にある帝国館に着くまで、一言も喋りませんでしたが。


「何と言うか、とても斬新な演出でしたね!」

「そうですね……」

「私は、凄い好きだわ!あの異様なまでの不気味さ、そして非現実的のようで、現実味を帯びた雰囲気……。ええと、監督の名前は何と云いましたっけ」

「……ロベルト・ヴィーネ」

「そうそうっ!そんな名前だわ」

活動写真を見終わった後、私達は珈琲屋で休息を取っていました。興奮したように感想を話す私ですが、それとは反対に先程から生返事ばかりする坂田さん。どうしたのかしら。気分でも悪いのかしら。心なしか坂田さんの顔が青白くなっているように見えました。


「坂田さん、大丈夫ですか?」

「は、はぁ、大丈夫ですが……」

「ははん。さては、坂田さん……カリガリ博士が恐かったのですか?」

その瞬間でした。
坂田さんが、口に含んでいた、お砂糖とミルクたっぷりの珈琲を吹き出したのです。

「まぁ!大変!」

「うっげほっ!まっまままッまさか、そそそッそんなことあるわねっ……ないですよっ!……ああ、申し訳ない……」

給仕係が飛んで来て、坂田さんが吹き出した珈琲の後片付けしました。そして、噛みに噛んで否定をする彼に、私は核心しました。

彼は、幽霊といった類いの、所謂、怪談話が苦手なのだと。
カリガリ博士には、幽霊なんて一切出てきません。

ですから、あの時の仕返しとばかりに私は坂田さんに言ってやりました。

「確か、あの有名な落語家三遊亭圓朝が、わざわざ四ツ谷怪談を語りに、東京に来るらしいのですが……。坂田さん聴きに行きませんこと?」

「えっ!?いや、俺は……」

「ああ、それと…書斎に小泉八雲の本もありますが……。坂田さん、お読みになりまして?」

「…い、いえ…あれは未だ読んでいません」

本当に、珍しいものを見てしまいました。
今までの坂田さんは、何処か人を見透かしたような、余裕のあるような人でしたから、目をあちらこちらに泳がせ、冷や汗をだらだら掻く姿なんて想像も付きませんでした。


「……ねぇ、坂田さん。聞いて下さる?」

こほん

咳ばらいをして急に真剣な顔をした私に、坂田さんにも妙な緊張感が走ったのでしょう。

「急に、なんですか?」

今まで泳いでいた紅い瞳が、じっと私の目を捉えました。

「最近、私の叔父夫妻が、古い屋敷を購入しましたの。その屋敷で、不思議な事が起こるらしいのです。毎日、毎日…開かずの扉の前に、赤いクレヨンが落ちていて…流石に、不思議に思った叔父夫妻は、その開かずの扉を開けたんですって…すると、そこには…赤いクレヨンで壁一面に、ごめ」
「ぎぃゃあああっ!」

面白いまでの叫び声を出して焦った坂田さんが立ち上がると、彼が座っていた椅子が派手な音を立てて倒れました。店内に居た人々の視線が一斉にこちらに集まりました。

ああ、しまった。
やり過ぎた

と思った時には、既に遅し。

「他のお客様に迷惑です!」

私達二人は、青筋を立てた給仕係の方に、つまみ出されてしまいました。



「…あの」

「……。」

「…坂田さん?」

「……。」

帰り道の車の中、坂田さんは一言も喋りませんでした。私が名前を呼んでも、うんともすんとも云いません。ただ、拗ねているのか、怒っているのか判断の付かない仏頂面な表情をして、坂田さんは、窓の外を眺めて居たのです。

「坂田さん、怒って居らっしゃるのなら、謝ります。ごめんなさい、やり過ぎたわ」

「……。」

「でも、これで、おあいこになりました」

「あいこ?」

此処で、ようやく坂田さんが口を開きました。顔は相変わらず窓に向いたままでしたが、流し目で私に視線を移しました。

「ええ。貴方も先日…私を恐がらせました…ですから、おあいこです」

ふむ、と彼は顎を摩ると、今度はきちんと私に向き直りました。

「お嬢さんは、あの出来事を何とも思っていらっしゃらないのですか?」

「……いいえ、何もって訳ではありませんが……。ずっと気まずいままでは埒が明きませんでしょ?それに、誰にだって、表に出せない自分というものが存在するはずですし」

「それは、お嬢さんにも?」

「ええ」

「良家の娘なのに、裁縫や、お茶、華、日舞等が出来ない、お嬢さんという奴ですか?」

「それとこれとは別です!失礼なっ、酷いわ!私が云いたいのはですね、水に流して仲直りしましょうという事です!」

「……くっ、ははっ……。貴方は、やっぱりお人よし過ぎるっ」

何が可笑しいのか。坂田さんは、ひとしきりクスクス笑った後、銀色の髪を掻きあげて

「ありがとうございます、お嬢さん」

と、微笑みました。
普段、長い前髪に隠れていた彼の額と銀色の眉毛が見え、不覚にも色っぽいと思ってしまいました。ドキドキと高鳴る鼓動を抑え、彼から視線を反らすと話題を変えようと口を開きました。

「それにしても、坂田さんが怖がりだなんて」

「まだ、言いますか。俺は、別に怖いわけではありません。幽霊なんて、これっぽっちも信じてませんから」

「あ、あの柳の下に女の幽霊が……。」

「また、人をからかって……。どうせ、何も居ないでしょう。お嬢さん、流石の俺でも、そんな古い手引っかかるわけ……って、ぎゃあああっ!!」

窓の外を見た坂田さんは、暗い夜道に街頭でぼんやり照らされた枝垂れ柳の下に立っていた女性を見た瞬間、叫んで飛び上がりました。

坂田さん、よく見て下さい。
あのご婦人は、足もありますし、何より、あのお方は新八君のお姉様、お妙さんではありませんか。

ほらほら、向こうから旦那様である近藤さんが、走って来ますし。

などと、皮張りのシートにうずくまって、何やら念仏らしき言葉をぶつぶつ唱えている坂田さんには、云いませんでした。
とても面白い光景ですし、何より可愛いらしいと思ってしまったからです。




活動写真とは今でいう映画のことです。
「カリガリ博士」は、ドイツのサイレント映画でホラー映画の先駆けとなった作品と云われています。

竹久夢二は、大正を代表する画家・詩人です。活動写真が好きでなかった彼が、「カリガリ博士」を観て、後に雑誌で押絵付きの感想を述べていたそうです。

落語家遊楽亭圓朝は幕末〜明治中期に活躍した方ですが、落語で怪談噺をし始めた人なので、使わせて頂きました。




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