一.風待月

※グロテスクな表現があります。


その日、土方は一日中、部屋に籠って溜まった書類を片付けていた。仕事が一段落着き、一服しようと台所に行けばマヨネーズの在庫が一つもない。山崎め、あれほどマヨネーズを切らすなと言ったのに、と舌打ちする。今すぐにでも買いに走らせたいが、彼は自分が指示を出した任務を絶賛、遂行中である。小姓である鉄之助は悪さをしていた時につるんでいた友人の結婚式だかなんだかで今日明日とも有給を使ってハワイに行っている。

仕方ねぇ、気分転換ついでにコンビニまで行くか。

土方は、部屋に戻ると刀と財布を持って屯所を出た。六月も半ばに差しかかるが、晴天日和が続いている。梅雨の時期の湿っぽい風とは程遠い、さらりとした風が頬を撫で気持ちが良い。風に乗って祭り囃子の音が聞こえてくる。何処かの町内会が練習をしているのだろう。夏が直ぐ傍まで来ている事に、土方は口許を緩めた。夏は嫌いではない。隊服を身に付けていれば地獄であるが、こうやって着流しひとつで夜風に包まれながら歩くのは好きだ。風鈴の音や蚊取り線香の匂い。風情があって実にいい。

ふと、気配を感じた。なんでもない風を装って数を数える。ひとり、ふたり、さんにん、よにん……暗闇に身を潜めているのか姿は見えないが、隠しきれない殺気が面白いほどに伝わってくる。雑魚だ、と心内で呟いて、土方は目的地であるコンビニとは逆方向の路地裏へと足を進めた。

「真選組副長、土方十四郎だな。」

人気のない薄暗い道へ入った瞬間、声をかけられた。四つの影がぬらりと現れる。

「貴様に斬られた同胞の敵だ。死んでもらう」

「ここんとこ、運動不足だったからな。丁度いい。相手になってやらぁ」

土方は薄い笑みを浮かべて鯉口を切った。ひとり、でっぷりとした体格の男が刀を降り下ろしてくる。それを軽々と受け止めて、払う流れで脂肪に覆われた腹を斬る。ぐぇ、と蛙が鳴いたような短い悲鳴を上げ鮮血が散る。刃が腹の半ばまで食い込んでいた。肉に挟まったのか抜けない。舌打ちをして腹を蹴ると、刃がずるりと抜けるが、否応なしに臓物が飛び出してくる。こればかりは流石に慣れない。土方は眉間に皺を寄せながら、血糊を払うついでに二番目に襲ってきた男の喉笛を斬った。渋いた血が土方の顔に掛かった。

三番目と四番目の男は中々手強かった。土方よりも体格のいい男たちだった。
刀を受け止め、凪ぎ払って斬る。
不意をつかれ肩を斬られた。焼き付くような痛みが走り、思わず眉を寄せた。

嗚呼、この感覚は久しぶりだ。ここんとこ、事務仕事ばかりで斬り合いなんてんしていなかった。やっぱり、俺はこうやって刀を降るっているほうが好きだわ。あー畜生、痛ぇ。

ひとりごちながら、土方はゆるゆると顔を上げた。口の端に付いた誰のかも分からぬ血を舐めとる。鉄の味がした。知らずと笑みが溢れる。目をぎらつかせ、口端を持ち上げて嗤う姿は鬼そのものだと、隊士達が囁いていたのを思い出した。
土方のその恐ろしい鬼のような形相を見て、最後にひとり残っていた男が、ひっと声帯を萎縮させたが、男は刀を握り直し叫びながら土方に斬り掛かる。
圧倒的な力の差を見せつけられても、最後まで諦めない、その姿勢だけは誉めてやる。うちの隊士にも欲しいもんだ、と呑気なことを思いながら、容赦なく袈裟斬りに斬った。

赤い血がパッと暗闇に飛び散る。
男が、ぐらりと倒れた。その先、ひとり誰かが立っていた。
街灯の薄明かりの下に揺れる影。

「誰だ。面をみせろ。俺は警察だ」

土方が鋭い声で短く問えば、影は大きく揺れ動き、やがて、ゆっくりと街灯の下へ移動する。薄明かりに照らされた顔に見覚えがあった。
それは真選組お抱えの町医者、松本良玄の下で働く助手の女であった。
女は大きな目を丸々と見開いて、酷く怯えたような表情を浮かべていた。

本当に、厄日だ。ツイてねぇ。

喉元まで出掛けた言葉を呑み込んで、口の中で転がす。
顔は見覚えがあるが、名が思い出せない。

「……あんた、松本先生のところの……。こんな所で何をしている」

「こ、此処の道が近道でして……たまたまっ……」

女の声が上擦っていた。明らかに恐怖を含んだ声だ。無理もない。人が人に殺される場面を目撃したのだ。辺りには噎せ返るような血の臭いと死臭が漂っている。
いくら医者の助手を務めているとて、臓物が飛び出した死体を見慣れているはずがない。

「酷いもん見せちまったな。帰れっつてもこんな状況で女ひとりを帰すわけにやぁ行かねぇし。……少し待ってろ。今、応援を呼ぶから。送ってく。死体みんのが嫌だったらさっきの街灯の影で顔を背けてろ」

そう言って、女の返事を待たずに土方は懐から携帯を取り出すと隊の者に連絡を入れる。

「嗚呼、俺だ。あ?詐欺じゃねぇよ。殺すぞ。一寸、斬り合いになっちまってよ。◯◯町の××まで応援を頼む」

手短に用件を済ませ通話を切った。

「あ、あの……お怪我を……」

ふいに伸びてきた女の手が土方の腕に触れた。あまりにふいをつかれ、土方は反射的に女の手を払った。

「いや、いい。大丈夫だ」

「で、でも……その血が出ています!血を止めないと……此のままでは出血死してしまいます」

先程の怯えた表情は何処へやら。真剣な眼差しで土方を見上げる女は、自分の髪を結わえていたリボンをほどいて土方の肩、心臓に近い部分に慣れた手付きで巻き付けていった。

「応急処置なので、これぐらいしか出来ませんが……」

記憶のなかにある女の手は白く細い。そんな細腕で自分の倍はあろう体躯の隊士たちの傷の処置をしていた。そう言えば、土方自身も女の手当てを受けた事がある。血や薬品の匂いに交じって鈴蘭の匂いがする女だったと思い出す。

風が吹いて女の髪を揺るがす。血と死臭に交じって、鈴蘭の香りがした。
ぞわり、と土方の背筋が粟立つ。治まりかけていた熱が身体の奥底で再び孕んだような、気がした。
刀を交えていると神経が昂り、どうにもならない時がある。熱を鎮めるために女を抱きたくなる、そんな感覚に似ていた。
女の手が離れる。土方は咄嗟に女の手首をむんずと掴んだ。記憶通りの細い手首。女の手首を流れる血脈に生を感じた。

「土方……さん?」

女は不思議そうに首を傾ける。
肩に掛かった髪がさらりと揺れ、また鈴蘭の香りが土方の鼻腔を擽った。
ぐら、ぐらぁ……と理性が崩れていくような、気がした。
時折、どうしようもなく女を抱きたくなる衝動が沸き起こる。柔く温かな身体に身を埋めて生を感じたくなるからだ。命のやり取りをしている仕事柄、女とセックスをすることで、生きていると確認したくなるのだ。

こいつはダメだ。遊女でもなんでもない。しかも顔見知りの女だ。
土方は必死に、そう言い聞かせた。

近付くサイレンの音に土方は、はっと我に返った。女の手首を掴んだままだと気付き慌てて手を離す。
俺は今、何を考えていた、と心内で自分を叱咤する。

「副長、ご無事ですか」

数分もしない内に数名の隊士たちがやってきた。

「此れが無事に見えるか」

「って、あれ千草さんじゃないですか。なんで此処に」

千草と隊士の一人が呼んだ。そこで漸く女の名前を思い出した。歳の頃は土方と同じぐらいで平々凡々な容姿。口が悪く手荒な治療ー腕は幕府お墨付きであるーで有名な松本医師よりも、優しく丁寧に治療をしてくれると、隊士達から人気のある女。

「嗚呼、偶々居合わせちまってな。大丈夫だ、こいつに怪我はない。おい、志野。こいつを送ってってやれ」

近くにいた若い隊士に声をかけた。直ぐ様、志野という若い男が飛んで来て千草をパトカーへと促す。
千草は土方に目を向け、おずおずと口を開いた。

「土方さん、一緒に来てください。先生に診て貰わないと」

「んな訳にはいかねーよ。俺が此処を離れるわけにゃいかねぇから。心配すんなって。直ぐに片付けて松本先生に診てもらうさ。いいから、いけ。一般人がここにいちゃ迷惑だ」

と有無を言わさぬ口調で言って、志野に向かって行けと命じた。

千草を見送った土方は隊士達に指示を出しながら懐から煙草を取りだし火を点ける。肺を満たす煙に落ち着く。昂っていた熱もいつの間にか治まっていた。

今度、診療所に何か差し入れを持っていって詫びをしなくてはならない、何がいいか。女なら甘味が喜ぶか……。
そんなことを考えながら土方は紫煙を吐き出した。




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