たまご食う少年

 一体いつごろからなのかはもう覚えていないけれども、彼が物心ついたときから、神威の脳の中にはたまごがある。勿論たとえ話であり、実際彼の甘色の髪越しに頭蓋を割って開いてみてもその灰色の脳に卵状のなにがしかを目視することは出来ないであろうが、確かに神威の脳内で、神威の内側には、たまごが存在していた。鶉よりも小さな、赤子の爪ほどのものから、成人の腕でようやく抱えることが出来るほどの大きなものまで幅広く。大きさだけでなく色や模様までも様々で、神威以外は見えないことが勿体ないくらい、そんなたまごが敷き詰められている様子は、それは実に華やかな様子である。そう、一つや二つではない、百どころか、恐らくでも千でも収まりがつかないくらい、神威の内側には数多のたまごがあるのだ。
 神威の脳内の神威は、実年齢から十ほど若い。まだ生誕して数年ほどしか経過していない容姿をしている。ただでさえの童顔が本物の童子のものにまで退行しており、およそ神威が脳内に浮かべる自身の姿は、宇宙海賊春雨の第七師団団長として、些かならず相応しくない。そのときの神威は、簡易な服に「7」と書かれた装いをしている。神威の考えるに、脳内の7の服を着た自分は、そのまま七歳の頃の自分であった。七歳の頃など本当に馬鹿丸出しで、7の服を着た神威はたまごが沢山敷き詰められたその空間を、立ち止まって見渡してもはるかどこまでも続くたまごの群れを、まるっきり食欲を晴らす場所としてしか見ていなかった。現在十七歳であるところの神威は、しかし脳内ではわずか7歳の少年であり、7歳の頃の神威は、異形のたまごをすべて食物であると認識し、目に付いたものから委細構わず殻を割って、中身をすすり、貪り食った。大小さまざま色とりどりの奇形のたまごたちであったが、割ってしまえば何のことはない、ただの生卵だ。しかも案外美味であった。なので現在の神威は毎度、時折脳内で自己を7歳にまで後退させ、何故か自分の脳の中に蔓延っているたまごを気の済むまで食してしまうのが常であった。そして、たまごに飽きたらさっさと現実世界に戻って、また食う寝る殺すの物騒な第七師団団長としての毎日を繰り返していた。
 ある日である。ある日、またいつものように脳内に赴いて、7の自分としてたまごをたらふく食べているときであった。「おい」と、それまで、たまごと7歳の自分しか居なかったはずの空間に、無骨な声がしたのであった。はじめ、7の神威は空耳だと思った。「おい」また声がしたが、気のせいだと思って、無心にたまごを食べ続けた。「おい!」三度目響いた声に込められた、怒気、殺気に体が先に反応した。右手で殻の頂点が割れたたまごを逆さにつかみ、中身を口の中に落としながら、左手は声がする方向に突きを繰り出していた。もさ。なんとも形容しがたい妙な感触に、ようやっと神威は意識を左手に、左手の先にやった。7の神威の左手の先には、――毛玉が居た。
 ぽかん、と7の神威はあっけにとられた。現実の神威もあっけにとられた。今までこの神威の脳内空間は、夥しいたまごと、そして幼い7の自分しか存在していなかったのだ。突如表れた闖入者――毛玉を前に、悩む前に即殺すがモットーの彼からしてみれば大層珍しいことに、追撃をすることをしなかった。ただ、無数のたまごが敷き詰められただけの空間に、右手に殻を握り、左手を毛玉の身体にめり込ませている7の自分を客観視して、そのあまりの間抜けぶりに笑えてしまった。と、7の神威の左手がめり込んだままの毛玉が、むくむくと身じろぎをした。「いてぇじゃねえか!」と毛玉は、声を発した。なんでだよ、どこに声帯があるってんだ、この毛玉。7の神威はユカイで仕方なく、左手から力を抜いた。毛玉はたまごの上に、音を立てずに落ちた。
「いてて」
 毛玉は――なんと、立ち上がった。砂色と形容すればいいのだろうか、彩度の少ない、もさりとした薄黄色の毛が全長10センチほどの塊となっているのだが、その下方から二本、黒い細い棒のようなものがにょきっと生え、それを便宜上7の神威は足と見た。足の生えた毛玉は、およそ一メートル以上身長の違う7の神威を前にしてもまるで物怖じした様子もなく、「ようやく会話できたな、神威よ」などと、馴れ馴れしく7の神威の名前を呼んだ。
 7の神威は殺意も消えうせ今まで遭遇したことのなかった生き物を前に、純粋に興味を抱いた。「おれ、神威だけど、おまえはなに?」7の神威は7歳という年齢に相応しい簡潔な語彙で毛玉を誰何した。毛玉は、どこが顔なのかもさっぱりわからないが、やはりどこも悪びれた様子もなく、「俺はマア、この世界の番人だ」と宣言した。
 ばんにん?
 重ねて言うが、神威の脳内空間であるこの世界に存在するものは、何故かしらん計り知れない数存在する鮮やかな色彩のたまごたちと、7という数字の書かれた服を着た7歳の神威のみ。現在の神威は十七歳で、これまでこの世界には何度もダイブしている。それを今日になって突然表れて、俺がこの世界の番人などとほざくこの毛玉は、一体? 無礼を通り越し、7の神威は毛玉の次の言動が気になって仕方なかった。十七の神威であれば瞬殺したかもしれない礼儀知らずな毛玉だが、7の神威にとっては奇異で興味深いだけの存在だった。
「そう、番人だよ。おい、お前。神威。お前なあ、何を思ってそんなに暴食してるのかしらねーけど、あんまりここのたまごを食ってんじゃないよ」
「だって、おなかがすくんだもん。夜兎だから」
「夜兎だからって、ちったあセーブするって方法を覚えなきゃおまえ現実世界でもいずれ共食いするしかねーぞ」
 たかが毛玉の癖にシニカルな口調で言い放った毛玉は、7の神威が満腹に近くそれゆえに丸くなっているだけということにまるで頓着した様子なく、ぽんぽんぽんぽん、言いたいことを言い放ってくる。7の神威の世界に突然入り込んだかと思えば、この説教面。何故初対面の毛玉に説教されねばならないという疑問はとりあえず横に置きつつ、7の神威はやはり毛玉、自称番人の続きを待った。
「なんで? なんで食べちゃだめ?」
「いいか。たまごっつーのはなあ、十七のお前を作った過去であると同時に、いずれ孵化するかもしれない可能性を秘めた、未来の原石な訳だよ。それをなんだ、おめえ。どれがいつどんな風に成長するの変わらない貴重なたまごを、そんなばくばくと。神威、精神のお前が過去の象徴たるたまごを食うのは、過去を昇華する行為であると同時に、未来を一つ潰すことでもあるんだ。現実世界のお前はな、神威。十七歳だろ。でも、この世界のお前は7歳だ。7なんてセンスのないゴチック体がプリントされた服を着なくちゃならないよーなガキだ。いわば、精神と肉体のバランスがつりあってないんだ。人はな、過去を消化し、昇華し、現在を生き、未来を信じることで大人になるんだよ。それを、無数あるたまごを食らい尽くすような勢いで毎度毎度食べやがって。ずっとずっと見てきたけどな、お前のペースはおかしい。無数にあるように見えるたまごでも、無限じゃないんだ。お前がこのペースで食い尽くせば、7のお前が10のお前になる前に、たまごは一つ残らず無くなっちまう」
 どこに口があるのかも判然としないくせに毛玉は、立て板に流れる水のように7の神威が口を挟む暇もなく、べらべらと喋り続けた。「ええ、と」7の神威はなんだか気おされ、目をしばたいた。
「ようするに、なに?」
「――勝手にたまごを食うな」
「え、やだよ」
 流石にむっとして7の神威は毛玉を片手で握り、自分の目の前まで持ち上げた。いて、いてて!と毛玉は、どこに痛覚があるのかわからないけれどとにかく痛そうなそぶりを見せ、ぶんぶんと身体をゆすって7の神威の手から脱出を試みようとするが、そんなことを神威が許すはずがない。7の神威は毛玉の毛をすべて抜くと一体どうなるのかしらんと暴虐な笑みを口元に浮かべ、その毛を残らず抜いてやろうともう片方の手を毛玉に近づけた。その気配を悟ったのか、毛玉は必死な、しかし大きな声で、7の神威にこう言った。
「待て! ……俺がここのたまごを調理してやる!」
 ぴたり、と7の神威の手が止まった。怪訝な声を出す。
「……え?」
「食うにしたってお前って奴は毎度毎度生卵ばっかり! たまご自身はうまいかもしれんが、いつも生だといい加減食い飽きただろ? だから、俺が火を通してやるって言ってんだ。たまごは、なんでもできる。焼くのも、煮るのも、炙るのも、包むのも、固めるのも、思いのままな万能だ、宇宙海賊春雨第七師団団長の未来を宿すたまごとなりゃなおさらだ。だから、俺がお前に、おいしいたまご料理を作ってやるよ。だから、勝手に、お前の未来を潰すようなことをするのはやめろ。適正な量を、うまく、おいしく、番人たる俺が責任を持って提供してやる。頼むから考えなしに、たまごを食い散らさないでくれ。お前はお前の、未来を大事にしてくれ」
「……」
 毛玉がなにやら熱心に言っていることはさっぱり7の神威には要領を得なくて、何を言っているのかわからなかったけれど、ただ一点、毛玉がどのようにしてか、ここにあるたまごを料理してやろうと提案しているのだけはわかった。
 そして、それだけわかれば十分だった。たまごは文句なく美味であったが、確かに、生卵ばかりで食べ飽きてきたところだ。食べるのではなく、足や手のひらで殻を潰し、その割れる感触を楽しもうかという発想さえ最近は生まれていたほどだ。だが、毛玉の言うように違った味付けをまた味わえるというのなら、その考えも諦めていい。少なくとも7の神威にとっては、単にたまごをつぶして遊ぶよりも、うまい飯を食べられるほうがよっぽど魅力的だったのだ。
 7の神威は手の、毛玉をひねり潰さんばかりに込めていた力をふっと緩める。どこに目玉があるのかもわからないくせに、なんとなく、毛玉と目が合った、気がした。
「なに、作ってくれるの」
「……そうだな。最初だから、俺とお前が出会った記念だ。ケーキでも焼いてやるよ」
「え!」
 ぴょんと7の神威の手から飛び降りた毛玉は、体の側面と思わしき部分から、にょきり!と黒い棒を新たに生やして見せた。その新規の棒ふたつで足元にあった拳三つ分ほどの大きさのたまごをひょいと拾い上げると、そのままどこかへと走り去った。
 五分後、もしや適当なことを言って逃げたのかと怪しみ始めた7の神威のもとに、とっとっとと毛玉が戻ってきた。――恐らく手と称してよい二本の棒に、白い皿、丸いホットケーキを載せて。くん、と7の神威は、毛玉に対する怒りを鎮火させ、そのにおいをかいだ。バターと砂糖とたまごに、火を通したにおい。鼻腔いっぱいに広がった香りは、ただただ、甘美だった。この世界で加工されたたまご料理を、7の神威ははじめて、みた。
「食えよ」
 毛玉に言われるまでもなく、7の神威は毛玉が持った皿に手を伸ばした。手づかみをして、ばくり、と一口。……ほわほわに膨らんだたまごの味。「おいしい」
 その瞬間、7の神威が着た服の7の数字が、8に変わった。8になった神威は、おいしいともう一度呟く前に、現実に帰ってきた。
「……」
 脳内で食べただけなのに口にリアルなホットケーキの味が残っていた。思わずといった調子で口元に手をやり、唇を弧に描いた神威を、徹夜明けの隈を目の下に盛大にこしらえた阿伏兎が見咎めた。
「人が死ぬ気で報告書代筆したってーのに、なに笑ってんだよアンタ」
「ふふ。……いやね、阿伏兎。お前、俺の頭の中じゃあ毛玉だから」
「はっ? なにそれ俺こんなにあんたに尽くしてんのにまだ人間扱いされてないわけっ」
 信じらんねー副団長とかもうまじやってらんねー転職してーと徹夜した人間特有の甲高いテンションでのたまう阿伏兎に、本気の色は見出さなかったが小さな瑕疵を感じて聞き返す。「……俺の下じゃ不満か?」「…………いいえぇ。そんな不安そうなツラしなくたって辞表出したりしねーよバーカ」「馬鹿とはなんだ馬鹿とは」「いって!」
 毛玉と同じような声を出して、モデルなんだから当たり前かと神威は胸のうちで思う。こんだけこき使ってやってんのに昔っから変わらず俺の未来を案じるような馬鹿はこいつだけだ。呆れ半分、どうしようもなさ半分で、神威は珍しくため息をついた。「……阿伏兎、ホットケーキ作って」
「ああ? ホットケーキだあ?」
「昔作ってくれたでしょ」
「んーなこともあったかねえ……いや、ていうか団長、俺三徹明けなんですわ。ようやっと管轄外の事務仕事のほうも終わったし、まじもう寝たいんですけど24時間くらい」
「作って」
「……せめて、三十分、仮眠、ねえ。おねがい神威」
 砂色の頭を抱えて三本指を立てる阿伏兎に、神威は最上級の笑顔を持って言う。「じゃあ、三十五分後に待ってる」
 神威の脳内では、7の神威が8になった。神威は譲歩を覚えたのであった。しかし8の神威は今後、あの毛玉の料理を食べ続けるのだろうか。うらやましい。8の神威が現在の神威の年齢に追いついたとき、自分は一体どんな人間になっているんだろう。――土気色の顔をし、その場によろよろと横になって目を閉じた阿伏兎を見て、神威は微笑んだ。
 

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