信徒は居れど信者は一人

夕飯ができたと言峰を呼びに行くのは初めてのことではない。敬われるべき光の御子クー・フーリンを変則的に束縛した男は徹底的に、ランサーとして彼をこき使うし、時に家事と諜報のできる家畜くらいとしか思ってないんじゃないかこいつ?と錯覚できるほどぞんざいな扱いを一貫している。ランサーの手料理など神話時代の恋人だって親友だってそうそう口にできるものではないのだが、さも作って当たり前、などと頚刎ものの態度で、令呪を盾にランサーを見ている。令呪を前に逆らうのも面倒だと割り切ってからは、ランサーも反抗は心の中にとどめ、豪快に野菜を切って肉を炒めるし、せっかく作ったのだからうまいと言わせたいと、己の目の前で出来上がった料理を食べさせる。食事を要求するくせに泰山の劇薬料理を除いてはとくべつ食事に栄養補給以上の関心がない言峰だ、自ら食卓に足を運ぶ頻度は完全にランダムであった。ランサーはエプロンをつけたまま、言峰の自室を見て、書庫を見て、それから教会に向かった。留守にすると言峰があらかじめ宣言しない以上、大体いつもこの三択で発見できる。苦もなく、言峰を発見した。ランサーは声をかけようとして、手を合わせて祈りをささげている彼の姿を一望し、ぐっと黙った。
あ、こいつ神父なんだな、と、思い出したのだ。言峰教会の神父という肩書が周知の相手に何をと彼の説法を受けにミサに参加する信徒たちからは笑われるかもしれないが、聖職者の黒衣も、首から下げた金の十字架も、聖書も、何もかも見覚えはあるのに、彼がそれらを身につけるのがあまりにも見慣れすぎていて、根本的なことを見誤ってしまいそうになる。外面だけではなく、内面も知ってしまったならばなおさらだ。聖職者を名乗るにはあまりにもどす黒い性根を、言峰は飼っている。神話時代のノンモラルな世界を生きたランサーにさえおぞましいと思わせる、おぼろ色の本性を。
やることなすこと人間の悪を煮詰めたような男が、膝を折って神に祈る姿は、異質を通り越して、美しくさえある。陳腐なほど皮肉が利いているし、チープなほど身の程を知らないなあと、思う。
教会全体に声をとおすため口元にあてた右手をおろし、そのままズボンのポケットに突っ込んで、サンダルの底をずりずりとこすりながら、ランサーは言峰の背中に向かう。丸まった背中が等身大に見えた時、ぴたりと立ち止った。見下ろす背丈はいつもとは逆転している。つむじが見えるし、足元が見えない。ぴたりと背後に張り付いているのはわかっているだろうに、言峰はランサーを振り返らない。振り返らない背に、むずりと、何かが首をもたげた。ランサーのスイッチが切り替わった。軽侮は憐憫に。恥辱は包容に。普段どのような暴虐を尽くそうとも、またそれにいくら手を焼こうとも、見下ろすことのできる相手にひどく寛容になれるのが、ランサーという男だった。しっかりとランサーは、言峰の祈りに、普段は出てこない感情が溢れてしまったのを認知した。
あーあ。

「お前が人間だったらよかったのになあ」

床に直接膝をつきステンドグラスの前に首を垂れる言峰の背に、両肩に、手を置いたランサーは言峰の後頭部を見下ろして、少し眉をしかめて、決して言峰の表情を視界に入れないよう注意を払いながら、言った。ランサーの胸中をせせら笑うかのように言峰は突然現れた彼の存在にも、おもむろな手の温度にも、言葉にも、何一つ反応する事もなく、ただ口の中でのりとを唱え続けた。ランサーのことを無視しているのではない。無視してのことならランサーもいくらかむきになって、その肩を握りつぶそうと両手に力を込めただろうが、言峰はランサーのことを拒絶しないし拒否しないうえで、彼の敬う神にのみ祈りをささげ続けた。ランサーは神ではない。他の神に愛をささやく男を見ても、苛立ちを覚えるステージにそもそも立っていない。それを言外に知らしめられるようで、だからこそ暴力でその空間を乱すことは許されないと理解した。ここ数日不在のギルガメッシュならばどうか、と考えて、マアくだらないことだなあとせめて、言峰の声よりも大きくため息をついた。

「お前が人間だったら、俺はお前を救えてやれたかもしれないのにな」

触れる言峰の肩は大きい。かたい。だが、この肉体の内にあるものは泥と、己の意義と「愉悦」を求める意志のみだ。ランサーは知っている。この男の全ての感情はたった一つに――しかもたちの悪いことに意識して――統合され、たとえば、他愛のない恋しいとか、眠いとか、馬鹿馬鹿しいとか、助けたいとか、そんなかけらすらも内面には残っていない。そんな男を人間と、誰がよべる。機械ではない、無感情なわけではない、ただ、泥人形としてのあやふやな生を、一心に食いつぶすことに飲み快楽を覚える男を、ひとは、人間とは呼びたがらない。ランサーは神ではない。半分は、人間でもない。それでもランサーは断言できる。言峰綺礼は人間ではない。自分にこの男は救えない。この男の神は自分ではない。

「お前を、殺してやることが、救いなのか、見捨ててやるべきなのか、仕えるべきなのか、守るべきなのか、糾弾してやることが、お前の望みなのか、それすらも、わかんねーんだもんなあ」

振り返らないその言峰の背中に過去、朱色の槍をつきたてる想像を、妄想を何度も行った。背中から貫くことも、胸板から突くことも、自分の体と共に串刺しにすることも、何度も考えた。そうするほうが世界とこの男のためなんじゃないかと思った、これは妄想とは思いたくない、本当に幾度か、まことの死こそが言峰の愉悦に通じるのではないかと思ったのだ。けれど、令呪どうこうをとりあえずおいておくにしても、その空想は実行できなかったのだ、ただの一度も。

「お前だって、ほんとうは、わかってないんだろ。神とか、聖杯に、すがるしかもう他に手がないんだろ」

誰がお前をそうしちまったんだよ。
ギルガメッシュか。衛宮士郎か。父親か。師か、嬢ちゃんか。自死したという妻か。エミヤキリツグか。それともお前自身なのか。結局お前のまえに姿を現した人間たちはお前という人間じゃない男の中に、何も芽生えさせることはできなかったのか。そこには俺も混ざってるんだろう、知ってるよ。過去のお前と出会えなくて良かった。完全にどす黒く染まりきった、もう誰にも取り返しのつかなくなったあとのあとで出会えてよかった。いくらでも言い訳の成り立つ今でよかったよ。
ステンドグラスの光が言峰とランサーの体をすっぽりと覆っている。赤も、青も、みどりもきいろもある。黒もある。ほかに信徒のいない教会の内部で、空々しいほど鮮やかに色を落としている、あたたかいはずなのに、言峰の背は一向温まらない。ランサーの手も、嫌になるくらい冷え切っている。お互いかりそめの命なのだなあ、とこういうとき、感じてしまう。

「おれは優しいんだから、甘えればよかったのによ。そしたらお前が嫌ってくらい、甘やかしてやったのにな」

言峰の囁くような言葉が肩から手のひらをとおしてランサーにも伝わってくる。その詠唱を、そらんじるようになるまで、そらんじられるようになってからも、どれだけ言峰は神に見捨てられてきたのだろう。それでもなお信仰を捨てられない、たったそこだけは、弱い人間であるのかもしれなかった。もはや言峰綺礼をこの世につなぎとめる、たった一つの十字架なのかもしれなかった。
 愛されて生まれ来たはずなのにな。
 愛されるために息をしたはずなのにな。
 愛って何だろな。ランサーは眼を閉じた。俺も知りたい。俺も知らない。目を閉じている。数字を数える。いち、に、さん。目をあける。

「――以上、終わり。はい、ではァ今後平常通りのうるさくて可愛くて家事万能で頼りがいのある、言峰綺礼のことが一等気に食わないそして犬も食わない俺様にもどります。サン、ハイッ。おら言峰、飯が出来たっつってんだろーが。冷めないうちに食えよ。俺以上に飯への冒涜だかんな」
「何を言う。私が貴様の料理を残したことがあるというのかね」

ばしりと肩をたたくと、ちょうどのりとが終わったらしく、あれほど頑なに動かなかった背中はあっけなく伸ばされ、言峰は立ち上がった。神への賛歌と問いばかりを述べ続けていたはずの声も枯れていなかった。振り向いた顔も目もいつもどおり生気も光も宿っていなくて、あらゆる意味を持ってしても彼は言峰綺礼でしかなかった。お前泥人形なんだろ知ってるよ、泥で命ながらえてるんだろ。心臓なんか止まってるんだろ、機能していないんだろ。でも十年で背も髪も伸びるんだろ。じゃあ俺が手ずから作ったうまいのかまずいのかもわかんねえ料理だって今後お前の背だったり髪だったり命だったりをのばすかも知れないんだろ。
ぬくいうちに食わしたいし、目の前でうまいって言えばいい。さっさと言えよそろそろ言えよ。めくるめく俺の料理の腕も上がっているだろうが。お前の精神に一切合財影響を及ぼさない俺の料理と食材に感謝して三十路過ぎてようがすくすく成長したらいい。口うるさくて可愛くなくて家事をすすんでやろうとしない挙げ足ばかり取る、言峰綺礼が使役するサーヴァントの手料理であらアンタまた背が伸びたの!?なんて嬢ちゃんに驚愕されてしまえばいい。夕飯のもとにまで先導するランサーから数歩分あけて歩き出した言峰は、笑い声と共にいつもの声を出した。

「私は人間ではないかもしれないが」
「ああ?」
「どの道、お前に救ってもらおうなどとは思わなかった。人間になど十年前に絶望している。神でも人間でもないお前が、そもそも私の何を救えたのかというのかね」
「先立っては空腹をだよ。オラ、レンチンなんか甘えだからな。もっと急げ」
「救うなどと笑わせる。お前ができるのはせいぜい――私を殺すくらいなものだ」
「……言われなくとも」

まあ、そうだろうな。とランサーも思う。
今は見えない言峰の背中に過去、朱色の槍をつきたてる想像を、妄想を何度も行った。背中から貫くことも、胸板から突くことも、自分の体と共に串刺しにすることも、何度も考えた。そうするほうが世界とこの男のためなんじゃないかと思った、本当に思ったのだ。令呪という絶対的な命令権を抜きにしてもそれができなかった理由は、それを救いだと思ってしまったからだ。それが救いなのではないかと、迷ってしまったからだ。自分に言峰を救うことなどできないのだ。言峰が望む結果を、ランサーは決して与えることができない。ランサーは神ではない、言峰の信じる神たりえたならばその沽券にかけてなんとか言峰を救ってやろうと息巻けたのであろうが、生憎というべきか幸いと断言すべきか、それだけはおこりえない関係で落ち着いてしまった。
だが、そういう、救うだとか、言峰の望みだとか、そういうことを一切考慮に入れず、ただただ、ランサーがクー・フーリンとして言峰綺礼に挑んだ場合は、神でも人間でもないランサーがただただ自分の意志のみで言峰と向かい合った場合は、ランサーは言峰を過不足なく殺せるだろう、と理解できる。ランサーはランサーのためだけ、少なくとも言峰のため以外のみに行動すれば言峰を殺せるのだ。言峰もわかっているし、ランサーもとっくに知っている。それをわかっているからこそもともと本意でない家事なんかに従事できるのだ。
言峰が足の長さを見せつけるように距離を詰めてきた。背の高さがようやく「いつも」にもどったとランサーは思う。小さく、見上げなくてはならないこの角度こそが、最も見慣れた言峰綺礼の顔であった。

「今日の晩飯は」
「俺様特製ビーフシチューだよん」
「は、くだらん」
「うまいですしぃーあっつあつとか絶対サイコーですしぃーんなこと言う無礼者にはお代わりなんかあげませんしぃー」

ああいつの間にか、歩調が一緒になっている。ランサーはふとそのことに気付いて、吐き気を催すほどぞっとした。ここで歩調をずらしたら、負けだよなあなんてくだらないことを考えながら、食卓に向かった。







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