空契 | ナノ
34.願望 (1/5)

    
   


届かないなんて、思いたくない。

知りたいことはなにもないはずだ。

なにもいらないはずだ。



あいつらさえ、いれば。






なのに、それすらも届かないなんて、



 

「……ユカリ……、
レイ……」





ノイズに紛れた呟きは、夜空に向かっていき、
やがて、掠れて消えていった。

譫言のような、自分の声を、遠くに聞きながら星を見詰めていた。

いつから、こうしていただろう。
いつから、自分はここにいるんだろう。

意識が覚醒してから、
夢から醒めてから、
幾つが過ぎただろうか。

数秒はこうやって、寝袋の中から空を仰いでいたか。
それとも、もう数十分は経っていたか。
有り得ないけど、なんだか、数十年は過ぎたかもしれない。

なんだか、頭と、腕が痛い。じんわりとした痛みだ。
満月が、木の隙間から見えたから、思わず手を伸ばした。手を伸ばして、触れられたら───触れられたら? 触れられたら、俺はどうするんだろうか。なにを求めているのか。なにも分からないくせに、ただ、求める。
なにも掴めやしない手に、なにかが欲しかった。

「……、夢……」

夢を、見た気がする。



───話を聞いてほしいんです。
世界の話を───……。


───てめぇの心、魂だけがここに連れてこられたんだ。
そして、その身体に入れられた。


───全ては…………とある男が、この世界に生み落とされたことで、始まったのです。

───アース、って野郎だ。

───……本来ならば、我らがそれを事前に食い止め、
生み出される前に排除すべき、でしたが、


───…お前が知っている、この物語の主人公たちは───、
アースに、殺された。


───この世界に、あの男を止められる人間は、あなた様しかいないんですよ……───レオサマ…。

───新たな宇宙の創造。
そして、この世界の消滅……。




─────夢、

「じゃ、ない……?」

伸ばした手。ちらりと、手首に紫色の薄い痣ができていたのが眼に飛び込んできた。
誰かに握られたようにじんわりと広がっていたその痣は、寝る前にはあっただろうか。なかった、気がする。ならば、これは、



───てめぇの! 仲間がいる世界じゃねぇのかよ!?
見捨てんのか!?


───は、馬鹿じゃねぇの。

───逃げてるだけのてめぇ如きが!
何も選べねぇって事に気付きやがれ!!




「(……ただの、夢なら…、)」

なんでこんなにはっきりと、記憶に焼き付いて残っているのか。
ついさっきまで行われていたやり取りのように、思い出される。その顔。煮えくり返るような怒りが支配されたその顔。
パルキアと名乗った男の、顔。それと、どこかが痛むような顔でこちらを見据えるディアルガと名乗った男の、顔。
どちらも、悲しそうな、辛そうな、顔をしていたのを確かに覚えていた。
言われた、八つ当たりのような言葉も。全て、記憶していた。

「…なんで……」

起き上がって、覚束ない足取りで立ち上がった。ふらりと木の幹に手をつく。
焚き火は当の前に燃え尽きてしまい、灯りがなくなり月と星の灯りだけが頼りのこの場所で、目が覚めてしまっていたのは自分だけのようだ。皆、それぞれの体制で眠りについていた。
起こさないようにと気を配りながら、音もたてないよう、ゆっくり、ゆっくりと俺は歩き出す。どこへと行く場所はなかった。

俺は、今、何処にいる。
……何処に、向かっている。
何処に、歩いている。

なにを、何を求めている。

「……おれ、は……」

俺は。呟きは、暗闇の森の中に響く。暗がりで足元が覚束ない闇で、歩む。どこにも目指さず、宛もなく歩む。
自問自答を繰り返す。意味のない問いかけばかりだ。そう俺にはそんなの意味がないんだ。

そう、そうだ。意味がないんだ。
俺は、ただ、ただ、帰りたい。

ちゃぷん、と、冷たいものが足に浸かった。ぼんやりとした視界に、月明かりを反射してキラキラと輝かせる水面が映る。
森の中、湖がぽつんとあった。気付かずに俺はそこに片足を浸からせてしまったようだ。
冷たい。痛い。刺すような冷たさが足を包む。
ぼぅと、夢の中にいる感覚で、それを見詰める。なんだか、その痛みが、心地よく思えた。

だからだろうか。───水面に映る自分の顔が歪みながら笑んでいたのは。
その醜いそれと共に満月も映り込んでいて、手を伸ばせば、届く気がした。今度、こそ。

ちゃぷん、ちゃぷん……、ちゃぷん、
水面を揺らしながら、踏み込む。徐々に、氷のような冷たさが足から腹、そして肩まで徐々に競り上がっては蝕んでいく。
痛い、痛い、痛い……身体中を蝕む、そして凍えさせ体温を根こそぎ奪う。最初こそは痛みを覚えていた。だけどそれすらも遠く感じて、感覚もどこか違う世界のようにぼんやりしていて、やがてどうでもよくなったように感じない気がした。

その時、また声が過るのだ。
彼の、あの声だ。



───こっちが下手に出てりゃぁ好き勝手言いやがってよぉ……。
てめぇがそれを言える義理かよ!!




込み上げてくる怒りを堪えきれなかった、そんな怒鳴り声で俺を責め立てていた。

「(言える義理、ない、の……?)」

わからない。知らない。呟きが、首まで浸かった水音に紛れる。



───“また”てめぇは!
“大切な奴を見殺しにする気なのかよ”!?




──────なにそれ。なんだそれ。なんだそれ。なにそれ。なんで。どうして、なんで。なんのこと。
知らない。知らない。知らない。知らない。呟きを、囁きを飲み込むように、釣り上がった口に押し寄せる水。
全て全て全てすべて、どうだっていい。ごぽり、息を吐く。



───っもし!
あなた様が元の世界に帰れるとしても……ですか!?




「っ───……!」

知るか……っ。叫び声は、気泡となって水の中に溶けていった瞬間だ。
その時には俺の体は、ガクン、と足が滑り落ちたように一気沈み込んでいた。
深く暗く冷たい奈落の底だ。ちゃぷん、と頭上の水面が揺らいだのを遠くで聞いた。
冷たいどっしりとした感覚が頭から爪先まで包み込んで重い。寒さなんて分からない。無重力空間に似たような感覚。でも、力が抜ききった体は沈む一方だ。
ぼんやり、ぼんやり、空を眺めるように顔を上げると、月光が揺らいで見えた。

「(とど、かない)」

届いた。と思った。
でも、また、体は沈む一方で、遠ざかっていって、
息を吸うかのように呼吸をするも気管に入るのは水ばかりで、ゴボリと気泡ばかりが逃げていく。
苦しくなっていくのを他人事のように感じながら、眼を、閉じた。


このまま、閉じたら、なにもきこえなくなるのではないか。
なにも、きかなくて、いいんじゃないか。

世界だとか、仲間だとか、救うだとか、見殺しだとか、そういう、意味の分からないものを、知らずにいられるだろうか。

───こんな夢から、醒めれるだろうか。

「(起きたら、きっと、あいつらが笑ってる)」

あいつらが、なにごともないように、笑ってる。

レイと、
ユカリと、

あと、

───あと……?

なんだっけ。

忘れた。

もう、わからない。

しりたくない。

しらなくて、いいだろうか。


このまま、



───レオッ!!───



なにも聞かずに、消え去りたかったのに。
頭の中でノイズと共に、
喚くようなこの声をあげたのは、誰?






「っ、レオ、さま……!」

「、げほ! けほ…っ」


───俺の腕を掴んで、引き上げてくれた貴方は、


「ゴホッゲホ……っは…………なんで、しぃ、さん……?」
「、貴女様は………なにを、して、らっしゃるんで、す……!」



……あれ、?
意識を確定させた俺は、抱えられていて、
その、抱き抱えながら水面を浮いているその青年に、へらりと笑みを向けながら首を傾げた。

……あれ?
…………俺、今、なにしてた?

─────秋風と夜風が、水浸しで呆然とする俺を容赦なく吹き付け冷やしていった。


    
   
    

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