空契 | ナノ
34.願望 (2/5)

    

  

「げほっけほけほ……うえええぇ、水飲んだ鼻に入った気管に入った……」
「当然です。溺れかけていたのですから」
「…ですよねー」

湖の中に沈んでいた俺を、掴み上げてくれたのはあの擬人化したイーブイ────シィだった。
正直意外だったのと、どうして自分がこんなことになっているのかが分からなくて混乱している俺は自力で泳ぐこともできず、シィに抱き抱えられたまま、陸へと上がった。
冬の湖は、恐ろしく寒かった。風もまた半端のない威力の冷たさで、身体は真まで冷えきってしまった。意思など関係なしにガタガタと震え、カチカチとはがぶつかり合い音を出す。顔はきっと蒼白だろう。寒がりじゃなくてもこれは誰だって堪える。

「どうぞ、こちらをお召しください」

地面にしゃがみこみ縮こまっていた俺を包むように、シィが着ていたドルマンスリーブコートをかけてくれた。これではシィが寒いだろうに。
ガタガタと震えながら見上げると、膝をついていた彼はやっぱりずぶ濡れだった。当然だ。俺を助けに湖に飛び込んだのだから。
だが彼の顔は蒼白ではあったが寒さを気にしてるような様子はなく、寧ろ焦りを滲ませていた。躊躇する俺に少し眉をひそめて、いつもより低い声で唸るように言った。

「……お気遣いは大変嬉しいのですが、私はポケモンです。
この程度の寒さなど問題ございません。ご心配なく。
ですが、失礼ながら……レオ様は人間で、しかも女性なのですよ。体を冷やすなんて…」
「わーとてもお母さん……」
「レオ様」
「ごめんなさい」

こんな時でも言葉遣いは丁寧だが、どこか怒っているようで「オカンみたいだ」とぼーとする俺への圧力はとても重苦しくて、素直にコートを着た。「それと、私は向こうを向いておりますので、濡れてる服は全てお脱ぎください」と言われたので、これも従う。
……別に見られるほどの、なにかがあるわけでもないのだが……律儀に彼はこちらに背を向けて正座している。こんな小娘によく尽くしてくれるなとなんだか申し訳なくなったのと、普段自身が他の奴から受ける扱いとの差に落ち着かない。
いそいそと服は全て脱ぎ捨てる。笛のペンダントは付けたままだから、素肌にはとても冷たくて鳥肌が立つ。そんな体をあたためようと慌ててシィのコートを身に纏った。刺激のない優しい花のような香りが鼻を掠った。

「……(あったけ…)」

確かに、あのままだと風邪をひいてしまってもおかしくない。───だろう、か。

ふと、思い出す。夢の記憶。
ディアルガと、パルキアの、言葉たち。



───てめぇの心、魂だけがここに連れてこられたんだ。
そして、その身体に入れられた。



───我があなた様の身体の時間を、パルキアが空間を読み取り、
そしてこの世界に全く同じものを創り出したんですよ。




体を、抱き締めるように自身の腕を掴んで、しゃがんだ。ぺたんと、地面に触れた脚は汚れてしまっただろうが気にしてる余裕などなかった。
なんだか、頭が重い。俺は、人間じゃないのではないか。そういう考えで埋め尽くされていて意味が分からないのだ。
───化け物。
そう、比喩されることは、正直、よくあることだった。それは元々俺が奇妙で、普通とは言い難い生活や行動をとるからである。それは元の世界でもここでも変わらない。それが俺の普通である。
でも所詮は比喩。この眼帯といい、奇妙で化け物みたいだけど、比喩として呼ばれる。俺もそれを納得している。

……けど、こういう事実として、具体的に言われたのが、なんというか、衝撃だった。

「(でも、それでも……“少し、近いだけ”か)」

ポケモンに。カミサマと呼ばれし彼らに。この体が。
───だからと言って、俺が神になれるほどのなにかがあるわけでもないし、なりたくもないし。人間と大差ないと言われればそうだろう。……多分。自信なさげにそう解決すれば、大分頭の中のモヤモヤは消えていった。

えっと、だとして、この身体で、普通と違うのは、

「(……“心を繋げる”……か)」

それなんてSF。いや、サイエントフィクションとは違うか。あえて言うなら……少し不思議? 略してSFとも言う。言わないか。
こんな事を考えれるくらいには、落ち着いてきたらしい思考回路。このコートについているファーがついてるフードも被ってみる。またちょっとだけあったかくなった。

「(あ……そういや)」

落ち着いた頭で思い出した。ノイズ混じりに、頭に響く声。前々からそれに気付いていながらも、正体不明。レオスーパーオリジナルサイキックパワー、とかふざけた名前を密かにつけてみて、たまに使えたら便利かな程度に思っていた。
誰もこれを知らない。知っていたのはディアルガ、パルキア達だったが……その伝説のポケモンである、ディアルガは詳細は分からないようで。

「(曖昧だけど、パルキアが説明してた)」

……程度だ。
誰もが予測していなかった出来事。なのに、誰か、なにか、言っていなかったか。



───心に“あいつ”の“声”が届いたんじゃないのか?



そう、言ったのは、誰だったか。
……思い返すも朧気な記憶で、改めて自分の記憶力のなさを痛感する。えぇっと、この言葉は、少なくともアイクたち手持ちに言われたのでは、ない。
ディアルガ、パルキアでもない。

名も知らぬ、彼。



───見ないふりをするのか?

───気付かないふりを、するのか?
───自分の心に。



そう言ったのは、とても強く確信を抱いてる声。

「(あ、)」

思い出した、その映像はハクタイシティ。その時俺はユウを、失って、それでも誤魔化してジムに挑戦しようとしていた所を───彼が、止めた。
“悔いを持つな”と“道を誤るな”と、そう諭して、そして消えてしまった。目深に被ったフードで黒コートを着ていて、アクアの左眼をしていた男の、言葉だ。

見ず知らずの男だ。
そいつは、俺を知っているようで、この能力も、知っているようだった。
そして、

───レオッ!!

さっき、聞こえた気がした、
あの声は───、


「……レオ様?」
「えっ、あ、ハイ…」

ハッとして顔を上げると、まだこちらに背を向けているシィの姿があった。律儀だな。改めて感心しながら返事を出た返すとほっと息をつくのが聞こえた。ああ、まずい。ずっと俺一時停止していた。
着替えたと伝えて、やっとシィはこちらを振り返り、近寄ってくると目の前で座った。眼を合わそうと見詰めてくるグレーの瞳が、ゆらりと揺れて月明かりを煌めかした。

「…お着替えはございませんか」
「ズボンだけなら」

上は寝るときは脱いであったノースリーブのやつしかない。

「……では、せめてそちらに着替えましょう」
「あ、ちょっと待って」

戻ろうと立ち上がったシィの手を引いて、また座らせる。怪訝そうに見詰めてくる目に罰が悪くなってへらりと笑う。

「あー…その、
……まだ戻りたくねぇ、かな」

戻れば、アイク、ユウ、ナミ、サヨリがいる。
───嫌いじゃない、そう思えてしまったようなあのひと達がいる。
会いたくない。……今、そう思った。そう、思ったのは、なんで。



───てめぇの! 仲間がいる世界じゃねぇのかよ!?
見捨てんのか!?




違う。
違うんだ。
仲間だなんて、そんなこと、思ってない。

……少なくとも、シィは、他人にすぎない。ただの、旅の同行者。だからこそここにいたいのだ。
シィは少し困惑しつつも、思案し微笑んだ。

「…皆さん、心配しております」
「はは、ウソだろー」「……」
「あいつらまだ寝てるだろ」
「…………よくぞお分かりで」
「だってあいつらマイペースだしなー」

ユウとナミはマイペースではないけど、やっぱり根が子供だからかぐっすりだ。
アイク? あいつは論外。気配で起きそうな気はするが、寝起きに発動するあれのせいで……まぁ、無理だろ。
サヨリは、多分無関心。
だから大丈夫だろーと笑うと、それでいいのですか、と奴らを呆れたような顔になって呟いた。そんなもんだ。

あいつらは、あれでいいんだと思う。

自分勝手で、我が強くて、意志を曲げることを躊躇する。
…あんな奴らだから、こうやって、ここまでいられたのだろうか。

ふと、月を見上げて、眼を、細める。俺はこの世界をどうしたいのかと、冷静になった今、改めて考えた。


「……レオ、さま」


こちらを呼んだ声に、フードの下からつい、と視線を上げた。

「…無理して笑わなくても、よろしいのですよ」

いつの間にか浮かんでいた笑顔は、どれだけ酷い顔をしていたのだろう。

「悪い夢など、ご覧になったのですか」
「……ゆめ」
「だから、あのような行動を……なさったのですか」
「……」

俺を見詰めるその灰色の瞳は、責めるようなものではなかった。子供を見るような、優しいもので、純粋に俺のことを案じているようである。
無言で、月明かりの下、見据え合う。俺は、それでも、笑っていたのか。眉を寄せていて、思わず肩を竦めて苦笑した。

「…夢」

ああ、そうだな。

「夢、だった」

分かってるくせに。

「ただの夢だから、」

言い聞かせるように、暗示をするかのように呟いて。

「大丈夫」

どの口が、こんなことをほざいているのか。眼を閉じて笑う俺は、凍えた体をもっと縮めた。コートの裾を握る手首についた、この青アザは見ないようにして。シィにもバレないようにそっと隠す。こんな行動をする時点で、俺は半ば夢を夢じゃないと認めているようなものである。

「……夢を見て、思い出した気がした」

気がしただけ。呟いて、湖を眺めた。

「……大切な、人」

ザァ……、と、吹き抜け、フードを揺らして剥がしそうになった風が湖に映った月を揺らす。コート越しに風を感じて眼を瞑る。
ぽつりと口にしたそれは、嫌によく響いた気がした。たいせつなひと。たった7文字。それだけを口にするだけ、しただけ、それだけで唇がカサカサに乾き、どくんと心臓が跳ねた。

思い浮かぶのは、

真っ白で、空っぽに近い記憶の中、
ちゃんと思い浮かぶのは、彼らのこと。

レイと、ユカリの存在。親友の話。いつもなら───ユウに誰だと問われても、多くを語ろうとはしなかった話だ。
シィを見れば、少しだけ驚いたようにしながらも、なにも言うことなく静かに俺の言葉を待っていた。
言える気がしたのだ。彼にならば。───赤の他人である、彼にならば。再び湖を眺めながら、穏やかな口調で話はじめた。

「…親友、なんだ。
レイ、…………レイは年下。妹みたいな存在で、臆病で、会ったときから変にひねくれてたけど、凄く優しくて素直で、笑顔が可愛い」

出会ったのは、夏の青空。その下の屋上で。

「ユカリ……あいつは、年上。年上のくせに、間抜けでバカ。なんか帰国子女とかで、ハーフ。いっつもテンション高くて、テキトーで……うざかったけどさ……ムードメーカーみたいなやつで、気遣いもできる。こいつも、すっごく、優しかった」

こいつとの出会いは、そう、レイより前で、春。
覚えていた。記憶力が壊滅的に悪いからか、鮮明にとは言えない。うろ覚えのものとかもある。空白の記憶もある。それでも、楽しかった、その記憶は、感情は確かにあった気がした。

所々、霧が掛かったようにぼかされた記憶もあるけど、そんなものだろう。俺だもの。

そんな記憶のなかにいるあいつらは、いつも笑っていた。だから俺も笑っていた。
……ああしていたのは、どれくらい前の話だったっけ。

「1年? ……2年前、……だったけか。
……なんか、レイとケンカ、したんだ」

どんなケンカだったかは忘れてしまった。思い出そうとも思わないのはいつも通り。そんな程度の、くだらないケンカだったのだろう。多分。

「……覚えてないくせに」

思い出した気がした。
夢を見て、パルキアに、言われた言葉で、

「………俺が悪かったんだな、って、
…思い出した、気がした」

───ばか、レオの、ばか……!
そうやって、泣きわめくあの子の姿が、思い出された。そんな、気が、した。
それが本当の記憶だとか、思いたくはないけど、

「…俺、多分、謝らなきゃダメなんだと思う」

自分がなにをしたのか、忘れてしまったけど、俺はあの子を泣かせたんだ。

「……だから、ですか?」
「え?」
「だから、湖に飛び込んだ、と……?」
「…さぁな」

シィの言葉は支離滅裂のように聞こえた。だから、湖に……なんて。普通は意味も分からない戯言。
でも、会ってるんだよなと見た先程自分が命を投げ落としてしまった湖は、今じゃとても穏やかだ。俺らの存在など気にしないように、水面に浮かんだ月がゆらゆらと揺らめいていて、見ていたらやっぱり手が届く気がした。
手が届かないなんて、知ってたのに。

「……死にたかったのかもな」

笑みのまま、呟いた。シィが、眼を大きく見開き、息を詰まらせる。そして、俺の肩を掴んだ。
それは駄目だと訴えるような眼だった。どうにかして、止めようとする、必死な眼でそこに優しさがあって……「大丈夫さ」と肩をすくめて、俺は笑う。

「…今は、死にたいなんて、思ってねーよ」

そう、微塵も。
不思議と俺の心には先程まで侵食してきていた暗い影のようなものが、見えなくなっていた。
今は大丈夫だ。さっきは、自暴自棄……いや、違うな。

多分、そう。
寝惚けてたんだ。
……どっかの、碧眼のあいつと同じなんじゃないか。


死にたいと願ってた訳じゃない。
ただ、消えたかった。
誰からの記憶にも、残りたくなかった。


ただ、古い、もう記憶にはないはずの残骸のような幻影を、

求めていただけなんじゃ、ないのか。


へらりと微笑んで、そう適当に言った。
  


     
      

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