空契 | ナノ
29.とおまわり (1/7)

      

    
   


自分の弱さを、
認めるのが怖かったわけじゃない。


ただ、
彼女がいなくなっただけで、
弱くなる自分を認めるのが怖かった。







『ぅ……っ、』

寒くて、冷たい空気で、ピチューはハッと目を冷ました。
何だか、嫌な夢を見ていた気がする。汗がじんわりと滲んでいる。冷たいこの部屋も相まって、この小さな体の体温が徐々に奪われていく。───地面が冷たい。

『……?』

此処は、何処だろう。仰向けで倒れていた自分の視線の先は真っ暗であった。
だが、よく見ればそこには低い天井があるだけ。鉄製の、少し錆び付いた天井。見覚えなんてなく、ピチューはぼんやりした頭を傾げた。
此処は、何処?
身を起こそうと力を込めるが、びしりと走った痛みに呻いた。大した傷ではないが、戦闘不能になっても仕方がない傷が、自分の体に負っていた。しかも、何故か体全体が重い。───そこで、薄々と記憶が甦ってきた。

『…おや、お気付きになりましたか』
『え?』

頭を渦巻く靄を振り払いながら、ゆっくりと鉛のように重い体を持ち上げている時だ。
横から、ふんわりとした声が聞こえてきた。穏やかで、春のようなあたたかさを含んだようなその声は、低すぎもなく、高すぎもなく聞き心地の良いもの。
はっとした。気配が幾つもある。全員ポケモンだ。声の方に顔を向けると……何故か見える、二重の鉄格子越しに、茶色の塊が見えた。
かなり暗くて人間には分からないかもしれないが、それはふわふわな茶色の毛並みを持ったポケモンである。ピチューはそれを見て首を傾げる。……あれ、何で鉄格子……?
ぼーと意識が定まらなくて、働かない頭で考えながらその茶色のポケモンを見詰める。そのポケモンほ兎のような耳とふわふわな尻尾を持つ。実際に見たことはないが、ピチューの知識に当てはまるものがあった。

『えぇ…と……、
イーブイ、だっけぇ……』

『おや、珍しい。私の種族名をご存じで』
『あー、そうかもねぇ…』

そのポケモン、イーブイはちょこんと座りながら、微笑みながら小首を傾げている。
ああ、ここに“彼女”が居たらきっと可愛いと奇声をあげて抱き付きにいっただろう。思わず旅の感覚で思い浮かべた日常の風景に違和感などなくて、ユウは苦笑を溢すだけで気付かない。
彼がそのポケモンの種族名を知っているのは、以前テレビで見たことがあるからだ。確か、ポケモンの転送システムやボックスを作った女性の特集だ。そこに、今目の前に居るイーブイと似たようなポケモンが映っていた気がする。そこからの情報だ。
それ以外では見たことがない。以前読んだことがある、ナナカマド博士が作り出したポケモン図鑑と比べたら、随分とお粗末な内容の本には乗っていなかった。一般的ではない。野生ではまず見かけない。そんなポケモンが今何故か、鉄格子越しではあるものの、目の前にいるのだ。少なからずユウは混乱した。

『…なんで、イーブイなんて珍しいポケモンが……?』

くらりと揺れた頭が、ずきんと痛みを僅かに訴える。抑えながら、起き上がったピチューは何も状況が掴めていないと悟ったようなイーブイは、少し動きを止める。それから少し思案して、少し笑顔を浮かべて見せた。

『珍しい、からですよ』
『え……と……』

珍しいから、此処にいる。それはどういう事だろうかと、一瞬の疑問。すぐに、はっとする。
───鈍い、貸すかな痛みと共に、ピチューは自分が、何故此処にいるのか、その経緯を思い出したのだ。
自分は、捕まったのだ。コトブキシティで戦った男達と、同じような服装の集団に。
顔を上げ、辺りを見渡した。薄暗い、窓などひとつもない広めなこの部屋は、埃っぽく、さらに獣臭い。
棚のようなものに、檻のようなものが並べられている。そこには、ポケモンが入っているようだ。
そこ辺りに行けばすぐ見付かるようなポケモンもいるが、ピッピ、ルクシオ、ミノムッチ、ゴンベ……など少し珍しいポケモンもいた。
───ここは、何処だろうか。

『ここは何処かの建物の……地下、のようですね』
『あ……ギンガハクタイビル……っていう、派手なビルの地下かなぁ』
『……ハクタイ…?
それは確か、テンガン山の西側にある町でしたね』
『え、知らなかったの…?』
『はい。
私は捕らえられてから、場所を転々と変えられていたので……』

連れてこられた場所が、ハクタイシティというのを知ったのは、今らしい。
今まで石以上に固く全く壊れない(試しにピチューがアイアンテールをしてみたが、効果は見れなかった)とても頑丈な檻に入れられ、窓もないコンクリートの壁と床の冷たい───この部屋と似たようや所に、他のポケモン達と共に閉じ込められていたようだ。外からの情報収集は不可能だったという。
移動も2回程したらしいが、檻が何か箱に入れられ、やはり外の情報は何も得れなかったというのだから、それは相当の……。

あれ? この話は、以前何処かで聞いたことがある。
似たような状況を、聞いたことがある。
首を捻り、過去の記憶を探っているピチューを、静かに微笑みながら、ぱたり、尻尾を大きく振って床を叩いたイーブイは慌てた様子もなくただ冷静だった。───苛立ちを抱いてはいるように、ピチューには見えたが。
その態度にピチューが疑問を抱き問うと、彼(彼女?)(中性的な声、立ち振舞いで分からない)は少し首を傾げた。『…冷静に見えますか?』と不思議そうに微笑んでいる。
子供っぽいその笑顔に恐怖や、焦りは見えはしない。だからと言って、レオのように不自然には見えないのだ。

『いい加減、慣れましたから』
『え?』
『私、こちらに連れてこられたのはこれで二度目ですので』
『…それは……、』
『奴等に捕まってしまったのは、これで二度目、という事ですよ』

だから、慣れてしまっている。そうイーブイは言う。
珍しいイーブイだからこそ、有り得る事なのかイーブイは顔色を変えることはない。
冷静でいいな、と思ってぼんやりしたピチューも、また動じてはいない。

『……あなたも、
捕まったにしては、大分冷静ですね』

イーブイは、ここでは中々の古株だ。新たに捕まり、此処へ連れてこられたポケモン達をいくつも見てきた。
その者達は皆、疲労や落胆、恐怖、絶望の色を顔に浮かべていたのを良く覚えている。今では、彼らに生気も正気も僅かしかない。
───無理もない。目の前で、次々と仲間だった者達が消されていくのだから。
それに比べて、イーブイの隣の檻に入れられている彼は、しっかりとした足で立っていた。ぼんやりとしたその目は、格子を見詰めている。浮かんでいても致し方がない暗い感情───それは、そこにはなかった。
ただ、夢を見ているかのような、ぼんやりとしていて、光は薄暗く見えたのが気になって声を掛けると、彼は苦笑した。

『……まぁ、
僕もこれが二回目………だからかな』


今にも泣き出しそうで、下手くそで、不完全な笑顔、だった。
それを笑顔だと名付けていいものだろうかと、イーブイが困っていると、その空気を感じたのかピチューはひとつ頭(かぶり)を振った。
この話はいいか。違う情報を求める。

『…僕が此処に連れてこられてから、何時間くらい経ったか分かるかな……』
『そうですね……、
私の記憶が間違っていなければ、9時間27分、ですか』
『へっ!? それ本当!?』
『はい。私の記憶が間違っていなければ、ですけども』

何となく、大体の、大まかな時間を訊ねたピチューなのだが、詳しすぎる答えに思わず声を上げた。妙に部屋に反響して、捕まっているポケモンの内の数匹がびっくりしておりピチューは誤魔化すように、ごほんと咳払いをする。
対するイーブイはけろっとした顔だが、さらりと言ったその言葉はとても微妙な時間で、寧ろそれがリアルである。
更に『因みに、今何時…?』と試しに問うってみると、やはり何でもないような顔で『はい、午後1時56分ですね』と言われる。ついでに日付と曜日まで教えられた。
唖然としてピチューは綺麗な笑顔から、辺りへ視線を巡らせた。ここに、カレンダーや時計など、時刻を表すものは一切ない。質素な部屋である。

『……じゃ、じゃあ、
君がこの変な団体に捕まってから、いくら経った?』


まさかな、と思いつつ聞く。
するとイーブイは少し沈黙してから、おもむろに口を開いた。

『…今日で42日目、でしょうか』
『なんで覚えてんの!?』

そう、涼しい顔で言ってのけるのだから、ピチューが衝撃を受けて再び声を挙げてしまい、この部屋に存在するポケモンの注目を集めてしまったのも仕方がない事である。




   
   


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