空契 | ナノ
28.俺が駆ける道 (1/7)


    



闇の中で、立っていた。

それを認識してから、数秒が経過した。認識したものの、それを納得するまで時間が必用だった。
ぼんやり立ちすくして、何処かを見詰めて、さていくら過ぎた? その時間は数秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。それか、もっとか。一万年過ぎたよ、なんて言われても俺はあっさり納得するかもしれない。信じ込んでしまうかもしれない。曖昧な時間だったのだ。意識が、感覚が、全てが、
そうしていると、ひとつの事に気付く。
真っ黒な、クレヨンで塗り潰されたような暗い空間に、ぽつりと、水色がひとつ、それと赤がひらひらと靡いて見えた。
自分自身のこの右眼とは違う発色をする水色だ。この空色よりもっと鮮やかな色─────アクアの色だろうか。
その色は、なにかをのみ込もうとしていた。
なにかを、訴えていた。
そんな色を含んでいた気がしたアクアのそれは、半月のような形で、ゆっくり、ゆっくり、こちらへ寄ってくる。赤共に、だ。
そのスピードは、歩むようだ。ゆっくり、ゆっくり、確かめるようにこちらへ向かってくる。
何故か、逃げようとは思わなかった。
奇妙なそれが、目前まで迫ったというのに。
霧がかった意識。眠さを感じた体のように、のろのろと顔を上げる。そのアクアが、こちらを見下ろしていた。
────そこに、暗闇の中に、誰かがいるようだった。
だれだ?と問おったのか、自分の唇が動く。声はなにも聞こえない。なのに、相手には伝わったようで、爛々としたアクアがゆっくりと動く。
ゆっくりと、赤が動いた。
なにかを、言ったようだ。でも、聞こえない。いや、もう、忘れてしまったような、出来事なのか。
そして、なにか告げた“それ”は、
俺の顔に触れる。
感触も覚えていないけれど、その手付きは震えているような気がして、左眼──────眼帯に、確かに触れたのだ。
そして、また赤が動いた。


「──────────────、
────────────」


「───、──────────────、
──、」


それでも尚、覚えていないその台詞に、俺の繰り返しながら意識を、闇へと委ねたのだ。









皆さん、こんにちは。いや、おはようございます。
外でムックルとムクバードとムクホーク親子が鳴いてます。眩しい朝日がきらきら輝いている、いい朝ですね。

────いや、うん、ぶっちゃけ、うん。
やっぱり悪夢を見たようでね、俺。いや、別に内容とか覚えてないような、どうでもいいような内容だった筈なんだけど……、

チクリとした痛みが首をさして、はっと目を覚ました時だ。
毎度お馴染みの身体にまとわりつく、べったりとしたこの汗。こんな季節にそれが暑さからなものの筈がなく、この冷たい嫌な汗は、悪夢のせいに違いない。……どうでもいいけど、忘れたことだし。
それよりも、だ。
何故こんなことを、俺が変なテンションでグチグチと思考を巡らせているかというと、うん、ね。
なんか、目が覚めたらね、目の前にね、ドアップでね……なんかいたんだわ。
黒に近い茶色のなにかが、視界一杯に広がっていたのだ。闇のような、底が見えない綺麗な色だった。それを吸い込まれるように見詰めていた。
そうして、数分後、沈黙の中あれこれと考えていたら、見付かる答え。
──────これ、眼じゃね?
黒い穴のような丸───瞳孔らしき誰かの眼が、俺の視界一杯に広がっている。多分これが答えである。……いや、ええぇ……? だからって、なんで眼? ていうか、さっきからこの眼微動だにしないんだけど瞬きもしないんだけど怖いんだけど。なにこれホラー? ホラーなの?

こうして現実逃避をはじめて、冒頭に戻るわけだが…………うん、あれから一向に状況が変わらない。俺も相手も固まったまま動かない。だって意味不明。なんだこれ?
────こうやってからどれくらい時間が経過したのか……コンコン、とこの部屋─────俺が使っている部屋の扉をノックする音が聞こえた。それに俺はやっと瞬きをした。はっ……あかん、眼が乾くじゃないか自分。やっと思考回路を復活させた俺に、ナミの大人びた声が聞こえた。

「レオ、私だが……」
「あ、うん、ナミさん」
「なんだ、起きているのか」

……うん、一応、結構前から起きている。
しかし、彼は俺が起きている時間より数時間は遅い訳で…………俺はそんなに固まっていたのかと悟る。

「せっかくの鍛練の時間……っ!」

最近朝が異常に早いせいで、鍛練時間を逃していたのだ。そろそろ弛んで来そうだから、今日こそはと思っていたのに。
ショーック! 頭を抱えて唸る、そんな俺が意外だったのか「……鍛練…してんだ……」という声が聞こえた。そうともさ! 鍛練は俺の日課! あれを日々積んでいるからこそ、ケンカが得意でいられるのだ。
これは数少ない、俺の誇りだと胸を張ると「威張るなし」と手刀が額に刺さった。刺さった、というのはものの例えだが、それくらいの衝撃に眼がチカチカも発火するようだ。うぐっと挙がった悲鳴に扉の前のナミが異変に気付いたらしい。
「……レオ?」と心配そうな声に、申し訳ないものの額の痛みで返事ができず……涙を滲ませながら閉じた眼を開けた。すると、視界一杯に広がっていたあの眼が、すっと引いた。眼が少し遠くなり───先程の声の主の顔が見える。
眠そうな半眼。寝癖のような茶色の癖っ毛。少年の、その顔立ち。言わずもがな、サヨリである。

「……よう、おはよう」
「………ん……」

相変わらずの抑揚もない小さな声が降ってきて苦笑。俺の腹を跨ぐように座るそいつはいつものジャージを着ておらず、だぼだぼな服を更に下げるように肩を落とすような体制で座っていた。いつ見ても怠そうだ。

「………なんでいんのさ」

しかもさっき人の顔ガン見してたよな。
おかしいな、ここは俺の部屋なのに。いつの間に? 気配とか気付かんかった……。

「……観察……」
「なんの?」
「…………あおの…」
「なんの!?」

あおってなんだ。……彼曰く、碧とはアイクのことらしい。碧ってあれか、あの碧眼のことかと察する。こいつのあだ名のセンスって……。
思い返せば、彼が例のオカッパ集団に捕まっている時出会った、シィさんとやらも……なんだっけ? グレって呼んでたっけ? グレってなんだ? あれかな、目の色? ……グレー? まんまだな。

「…碧が、見てたの…面白い…の、か…て、」

思って見てたそうです。俺の顔を。………………ああ、あれな。眼が遠くなる。
きっと彼が言っているのは、あの森の洋館での───俺と朝限定素直アイク(なんかの商品みたいだ)のやり取りのことだろう。その時、アイクは俺を押し倒してきたりしたが……それを真似した訳なのか。
ふぅとため息をついて「で?」と睨み上げた。

「ご感想は?」
「…ん……あんま、面白く…ない……。
……反応……薄かったし……なんで……」

「そりゃあ……だってさぁ……」

アイクだからこそ、自分はあんなに取り乱したのだろう。ギャップというヤツに負けてしまったのだ、俺の精神力が。普段聞いたこともない艶やかな声に、表情、手付き……それら全てが意外すぎた。心臓に悪い。
ていうか目の前にいるこいつ、サヨリは普段から抱き付いてきたり変態発言を度々したりと……そういうキャラなのだとは理解してきたのだ。……大人しそうで無関心そうな顔しといて……むっつり? むっつりってやつなのかこいつ?
それを踏まえているから、今更こんなに密着してもドキがムネムネなんてしないのだ。どちらかと言うと呆れの方が強い。そう突っぱねると、彼はその読み辛い顔で「ふぅん」と呟いた。眠そうな半眼がじっとこちらを見詰める。
ただ、あるだけの視線に居心地悪さを感じて、さりげなく視線を外しながら身を起こそうとする。ていうか、なんでまだこいつは俺の腹に座ってんの?
「そろそろ退こーぜ」と軽く息を吐きながら、サヨリの
肩を邪魔だと押した。そろそろ重いの意思表示である。
が、彼は表情を変えずにその意思を無視。───何故か、俺の両手を掴むと強い力で、ベットへと押し付けたのだ。
予想しなかった事態に呆然とした俺を見詰めるその眼には、なにも変わらない。好奇も戸惑いも快然も憤怒も……なにも感じないのだ。俺はなにもできなかった。笑みをピキッと固まらせ、絶句する俺に顔を寄せると、サヨリは唇を震わせた。
───あれ、どこぞの誰かみたいに、色気が……?

「───もう少し……面白くなる……」
「は……?」

「レオ? ……他に誰かいるのか?」
「あっ」

……すっかりナミのことを忘れていた。すっぽ抜けた声に扉の前の彼が反応した気配がした。彼は心配性だ。サヨリは変態だ。ぐっと更に距離を縮めてきて、彼の髪と吐息が顔にかかる。───いやいや待て待て待ておかしくないかおかしくないか!? かぱっと口を開けて再び沈黙する俺の困惑した気配を、ナミも感じ取ったのだろう。

「っ、レオ!?」

───オトンだ。俺がそう思わず呟いてしまいそうになる過保護的な勢いで、部屋のドアが開け放たれた。とても素晴らしい、そう、そんな勢いで。
ダァアンッとまるで弾丸が撃ち込まれたような音を、朝の乾燥した空気を震わせたそのドアは、壁にのめり込んで破片が飛び散った。破片の一部がサヨリのアホ毛をかすって隣の壁に深々と突き刺さる。その情景を見て、サッと血の気が引いた。笑みが凍り付く。極寒の地で晒されたように。

「っ、おいこらサヨ……、」

これ、マジでやばいぞ!?
血相を変えた自分の今の顔は、引き攣っていてきっと凄まじい形相なんだろうけど、そんな事を気にしていられるほど俺の女子力は高くない。女子力は全て物理に回ってます。
サヨリの腹を割りと本気で殴り付けると、ドコッと鈍い音が聞こえた。上と横から。
──────嫌な予感で冷や汗が頬を辿った。




       
         

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