空契 | ナノ
28.俺が駆ける道 (2/7)

    
    
     
  
鈍い音、それと禍々しい気配にサヨリも気付いたよう。俺に殴られた腹に対して、少し、1mm程度細めただけな無表情だったのに、その気配にはちゃんと反応した。ただし、俺の青白い顔とは全く違う。────やっぱそれでも無表情じゃんか!
なんでそんなに落ち着いてるわけ!? と怒鳴り付けたくなる涼しげな顔が、横を向いて“それ”を見ただろうに……変わろうとしないそれ。
俺は笑みを固まらせれる自信がある。頬を引き攣らせて、ぎこちない笑顔になるんだろうなぁ……と思いながら、サヨリと同じように横を向く……。機械のように固い動きで。仕方ない。だって予想がついていた。
……扉の前で、腕を組んだ我が家のお父さんこと、ナミが立っている、なんて。
…………ただ、予想外だったのは、アイクにそっくりな眉間の深いシワと、彼の足に相当力が込められたのか……陥没している事である。血の気は引くどころかどこかに行ってしまった上に、目眩が襲ってきた。やばい、俺、死ぬのかな……。

「……サ、ヨ、リ?」
「(ヒッ)」

低く震えたナミの声。これはどう頭を巡らせても、怒声だろう。ただし静かな、怒り。───怖い。怖すぎる。マジギレな様子のナミを若干涙眼で恐る恐る見上げる。
対して彼、冷気と覇気を纏った魔王のようなナミは、わなわなと肩を震わせながら俺を見下ろす。ガタガタ震えた俺は多分、この髪に負けないくらい真っ青だろう。仕方ない。だって、怖い! 魔神がおる! そこに! 目の前に!
半分パニックでムンクのような俺だが、うん、本当は気付いてるぞ!? ナミが俺を見下ろしている訳じゃないし、俺にマジギレした訳でもないだろう。じゃないと困る。そうじゃないとマジ泣きしそう……ぐすぐすと鼻をすする。
だってこれ殺気じゃん!? ハンパネェ。威圧パネェ。
───ぴーっと怯えきる俺の上に乗ったまま一時停止していたサヨリは、蛇に睨まれた蛙のように縮まった俺とは違って無表情を貫くと……「…おはよ……ナミさん……」……じゃねぇよ!?

「(少しは危機感覚えろよてめぇ!?)」

……もしかして、この危機を楽しんでいるのだろうか。そんな馬鹿なという疑いを持つも正直、見上げた先にある近い彼の横顔からは特にこれといった感情が感じられない。ので、分からない。が、なにが「おはよ」だ。白々しいし!
ほら!? お前選択ミスだぞ今の!? ナミさんの顔見てみろ! アイクにギャラドスを足したような顔付きだ。眉がひくひくと皺を刻みながら、固く結ばれた口が「何を、している?」と動いた。
小さな声だが、そこに込められた感情がいかがなものなのかは……考えたくない。彼の胸の前で合わされ、ボキボキバキボギミシガッと音をたてた拳を見て、必死に思考を現実から逃がす。

「レオ、襲ってる……」
「、ほぅ……」

逃げられなかった。今から戦が始まりそうな雰囲気に今すぐ気絶したかったのが本音だが、現実は俺を逃がしてはくれなさそうだ。寝たい。眠りたい。
遠い眼で、じどーとサヨリを睨みながら、氷点下を下回りそうな寒さを感じる。さてはて、ナミがサヨリの「襲ってる」というケロッとしたセリフを、どう受け取ったのか……。
と、その時、一瞬でグローブをしたナミが拳を振り上げた。息をヒィイイッと飲むよりも速く繰り出されたナミのその拳は、サヨリの頭を捉える。が、それは未遂と終わり、癖ッ毛な茶髪を掠ると空中で停止した。
サヨリが普段ののろのろした動きからは考えられない、素晴らしき動きで頭を下へと、つまり俺の顔へと寄せる事で拳を避けたのである。─────お前、なに今の素早さ!? こいつナックラーだよな!? もっと素早さ低いよな!? それを言うならナミもナミだ。なんだ今のパンチ。あれ、この子モウカザルかなんかだっけ? ポッタイシだよな?

「……ポケモンが主に牙を向くとは……良い度胸だなサヨリ…」
「(……襲うの意味、違うけど、まぁ、いいや……)」

ポッタイシ、な、ん、だ、よ、な!?
思わず彼の種族を疑いたくなるスピードや、威力でナミはギラギラとその瞳を輝かしながら次は蹴りを繰り出した。俺の鼻の上を通過したその蹴りは流石に、あの状態からは避けられなかったようで、サヨリは一瞬息を吐くと、跳んだ。
ベットがギシッと軋んだ。サヨリが思い切り蹴りあげたのだ。埃を巻き上げながらサヨリは世界を逆さにする。足を上げ、頭を下へと向ける逆立ちをすることで、ナミの攻撃を避けたようである。
俺の真上をサヨリに髪がふわりと過ぎ、そのまま彼はぼふんっと枕元にしゃがみこむ様に着地すると、彼は間髪入れずに前へと更に跳ぶ。転げるようにベットから下りると、その背後にナミの拳が床に穴を開けていた。ボコリと破損された床の破片がゆっくりと吹き飛ぶ。飛んでいく破片の中、ナミはサヨリを追跡するように飛び込む。空中を舞う破片が地面に落ちるより速く、ナミが付き出した右手はサヨリのアホ毛を少し、また掠る。そして、サヨリは後ろに飛んでから一瞬俺に視線を向けると、

ぐっ、

何故か親指を立てて、キラーンとむかつく星を飛ばすと、一目散に俺の部屋から出ていった。つまり逃走である。それをナミも追う。……トラみたいな目付きで、更に鬼神の顔なナミに、かける言葉とかどこにあるんだ……。
俺はベットに縫い止められたように寝転がったまま、茫然と天井を見詰めていた。なんだか嵐が過ぎたみたいだ。え、なに今の。え、え、え、なんだ今のサヨリ。結局なにがしたかったんだ。最後のぐっ、とかなんだ。楽しめたという意思表示だろうか。なに、今の楽しいのか。どこがだ。彼はナミのあの陰った顔を見たのだろうか。ちゃんと。だって、あれをどう見たら楽しくなるんだ。え、ちょ、怖すぎる怖い怖い怖い怖い怖いこわくねぇええ!?

「……生きた心地、しねぇ……」

ぽつりと呟いた言葉は、部屋の外から聞こえる破壊音に紛れていった。うわぁ、と笑みが真っ青になりながら肩を落とす。
なんだ……あいつがアイ君にちょっかいかけて、こうなるのはよくあったけど……なんで、ナミさんとサヨリが乱闘してるわけ……? というか、まだやってるよ奴ら……。

…………………………。

……あれ。

「…………ん、?」

バッリーンなにかが割れる音、ボコッなにかがヘコむ音、ぐしゃなにかが潰れた音、ドンッなにかが壊れた音、それらをBGMにしながらしばらく放心して、俺は俺自身の思考回路に疑問を抱く。
……今、ズッシャーンとかなんか凄い音がリビングから聞こえたけど、知らぬ顔で起き上がる。視線を天井から壁へと向ける。あまり変わらない真っ白な景色をまた見詰めて、飽きたように窓へ顔を向ける。
ピィピィと鳥ポケモンの鳴き声。白い朝日が差し込んでる。
清々しい朝。
その真ん中で、背を丸めて眠いようなへらりとした笑顔で、ぼんやりする。
──────あれれ、

「……“あいつがアイ君にちょっかいかけて”……?」

──────“あいつ”?
“あいつ”……って、誰?
問い掛けてたそれに答えれたのは俺しかいなかった。
──────────あれ?
…答えれた……?
“あいつ”…………アイクと、いつも、争っていた“あいつ”……。

すんなりと答えが出て、すんなりとその姿が浮かんだ、そんな自分に、

「……うそだろ」

────思わず口を押さえた。見開いた右眼がゆらゆらゆらん、ゆらりゆらゆらら、

その眼に写った、あの姿────、
黄色の、小さな、背────、を、


「──────え、……?」


なんで、
そう呟いて、眼に焼き付いている黄色を拭うように見上げた空は、
いつもとなにも変わった様子など、どこにもなかった。




──────どこにも──────、




「……てめぇら、何してんだ」
「ん? お、おぉ」

肩だしの服の上に、ノースリーブの服を合わせて着て、旅の支度をした俺。
そんな俺が、ソファーに昨日と同じように、ゴロゴロしていたらやっと起きてきたアイクが声をかけてきた。今の時刻は12時過ぎである。勿論昼のだ。
今頃起きてきたよ……と頬杖を付きながら、眉を上げて彼を見上げる。どうやら、ここに来たのはきちんと意識を覚醒させてきてかららしい。それでも、少し眠そうに細められた碧眼が、応えるようにこちらを見下ろしている。
……綺麗な碧眼。それに心が、狼狽していた、心が静まる。笑みを緩やかにして、眼を細めてゆらりと手を振った。

「おはよ、アイクー」

俺のその態度になにかを感じたようで、眉がぴくりと動いた。誤魔化す。俺はへらっと笑って彼から視線を逃がした。
代わりに向けた先は、アイクの後ろでいそいそと片付けに追われるナミとサヨリだった。今、俺らがいるこのリビングは、爆弾が投げ込まれた戦場のように、破損した壁やテーブルをはじめ、技のせいで水浸しになった床と、積もった砂の山で───荒れ放題である。
そして、無言で、しかもナミがものすごく泣きそうな顔で片付けているのが疑問だったらしい、アイクは。……サヨリはやりそうだ。だが、ナミがここまで破壊活動をした上、俺が容赦なく片付けを命じているのだ。
確かに“いつも”なら、だいたいナミは悪くない。ナミが暴れまわる奴らを止めるために空回った結果が“いつも”のことである。

「今回はな……サヨリがナミを挑発してこうなったワケだけど、
ナミが勝手に思い違いした上に暴れまわった結果がこれだからさ……」

流石に、なぁ? うん、怒るぞ俺も。

「なー、ナミさーん? サヨちゃーん?」
「す、すまないレオ……!
サヨリが、レオに反逆したのかと…てっきり……」


「……俺、悪くない……」
「どの口がほざくのかな、サ、ヨ、ちゃ、ん?」
「……ん……」

人はキレると悪魔になる所か天使に化けれるらしい。きっと俺が今浮かべてる、この満面の笑み。キラキラと朝日に負けないくらい輝いているこれは、何日かぶりのよい笑顔だ。
その輝きはアイクが思わず遠い眼で一歩後退してしまう程だったようだ。それでも読めない表情でダラダラと床掃除をするサヨリに、ナイフを投げといた。ダーツのようにザクッとサヨリの手元に刺さると、皆の頬に汗が滑る。走った沈黙に、俺は満足感を味わいながらニコニコニコと笑みを嫌みのように花を咲かすように浮かべる。一面の菜の花が咲き誇った。
……まぁ、そんな微笑ましいものではなく、彼らはさっと視線を反らしていくワケで。きまずい くうきが こおった ! ポケモンバトル風に。経験値は俺のもの。
ほら、サヨリもさっきの瞬発力を見せろ?と、更にナイフを袖からちらつかせると、無言で技を使うまでして砂を集めていた。彼の珍しい本気に拍手をすると「今度犯す」と聞こえた気がした。懲りてねぇこの腹黒……。とりあえず、サヨちゃんはあとで私刑。誰がさせるか馬鹿野郎。
そんなサヨちゃんと共に、先程ジョーイさんに土下座してきたナミは、今にも泣きそうな瞳である。うるうると涙で光を反射させるという子供のような仕草をしながら、俺より数倍は重そうな機材を無数、しかも軽々と持ち上げながら運ぶその姿は中々シュールだ。……反省はしてるんだな。サヨリも見習え。



     
     

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