50,5.霧の中の物語 (1/2)
自分達の主であり、息子のようなその男は、おおよそ人間味がない。
そう、初老の男───火怨というヘルガーは、常々思っている。
自分の主は、常に黒いコートを身に纏い、ギンガ団としての責務を全うしている。
そのコートのフードの下に隠している顔は、とても美しい男のものだと知っているが、中々見せようとしない。
彼の名は、アース。
ギンガ団のボスに尤も近く、自分達のただ一人の主人。
「お。
やっほ、あーーすーんーー」「う、げ」
任務を終えた火怨、そしてギンガ団幹部であるサターンは、トバリシティにあるギンガ団ビルに帰還していた。
前半は違ったものの、後半の任務は共に行った故、手続きを同時に済ませ、ふたり話し合いながら報告書を纏めたふたり。
火怨はサターンの手持ちでは無いにしても、付き合いはそこそこ長い方で、会話もそれなりに弾んでいた。彼処の飲み屋は良かっただの、あれが飲みたいだの、食いたいだの、今度行こうか、までのんびりと話を繋げていた時だった。
廊下を歩いていると、真っ黒な後ろ姿を見付け、サターンは先程までの緩んでいた頬を引きつらせ、一方、火怨は緩んだまま、軽く声をかけたのだ。
「……」
突然かけた声にも関わらず、大して驚きもしない男。その男は無言で振り向いた、正面から見ても真っ黒だ。
フードは深々と被られ、いつも顔は見えないが、きっと面倒臭そうに眉を寄せているのだろうと、火怨のみならずサターンまで分かるのは、二年間の付き合いだからである。
ふたりの想像通りだったか。
アースはふたりの姿を、一瞬視界に入れると、すぐに踵を返して歩いて行った。
「おい、挨拶くらいすればどうだっ」
アースの態度にむかむかと腹を立てたサターンが、走って追い付いた傍から、そう怒鳴り散らす。サターンの声が反響している廊下を、のんびりとしたまま火怨が歩きながら追い掛ける。
「する理由がない」と短くあっさりと返した自身の主に、やれやれと息をついた。
「せめておかえりーの一言はほしーなー、あーすん」「そのふざけた呼び名を止めれば考え無くも無い」
アースの返しに火怨は苦笑する。さては、自身の主の、この言い方は、考えないと言っているな。
更にアースは冷たく言い放つ。
「それよりも、任務をしくじったのだろう」
ピギッ!
筋肉が引きつる音が横から聞こえた。さっと火怨は眼を逸らす。見ないようにしているのに、サターンがわなわなと震えているのが分かる。
それに気付いているだろうに、アースは何も遠慮することなく続けた。
「あの子供に負けたのだろう」
ビキ、
その度、割れるような悲鳴のような肌音が響く。
「しかもそれのみでは無く、色違いのアブソルの捕獲も失敗したと」
ビキキッ、
その度、その度、火怨の頬も引きつる。
「“材料集め”も失敗したと」
そしてこのとどめだ。
「役立たずめ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
限界点突破。噴火するようにサターンが声にならない声を上げた。
火怨はあーあー、と言うように肩を落とす。
「何様だちくしょおおおおおお」「覚えてろよてめぇえええ」「いつかそのコートごとぎったんぎったんにしてやるうううう」の怒鳴り声は何のその。ぎゃあぎゃあと騒ぐサターンを置き去りに、すたすたとアースが煩い廊下を歩いていく姿を一瞥しつつ、サターンを宥めた。どーどー。
「サターンちゃん、落ち着いて落ち着いて。アースちゃん苛めっこなだけだから」「俺は玩具か!」
あの主の事だ。そんな認識もあり得そうだ。
火怨は何とも言えず苦笑する。サターンは怒りと悔しさでそれすらも見えていないのか、ぎりぎりと歯軋りをしてどんどん遠ざかるアースの後ろ姿を睨む。
「大体、俺の方が先輩だぞ!」
「あー…うん、アース、実力主義だからー…」「それは俺が劣ってると言いたいのか火怨貴様!」
「あーーーーごめんてばーーーー」フォローの為に吐いた言葉も地雷だったのか、火怨の襟を掴んで凄い勢いで揺らし始める。サターンには申し訳無い事だが、事実である。
アースは実力主義だ。
過大評価はしない。過小評価も。それは自分に対しても、他人に対しても変わらない。
冷静に物事を見れる。その観察眼は、この組織内では随一だろうと火怨は信じて疑わない。
実力があると判断すれば、どんな者でも使う。使えない者は不必要。
そんな徹底された実力主義者がアースであり、その手持ち達もそうである。勿論火怨も。
「(俺なんかを、手持ちに加えた時点でなぁ…)」火怨は身をもって理解している。
何せ、火怨は元々敵意を、殺意をアースに持って手持ちに加わったのだ。それでも、アースは実力を認めて、使い続けたのだ。どんなに反発されようと、殺されかけようと、何があっても。
「あいつは変わり者だからなぁ」サターンの独特な形をする髪を撫でつけながら呟くと「変わり者という域ではない」と言われてしまった。
そう言うサターンも、口ではこう言っているが実際の所、アースを認めている。常に文句は言っているし、先程のように良く絡むし、確かに嫌ってはいるのだけれど。
「そもそも!躾がなってない!火怨!貴様父親だろ!やれよ!」
「無茶だ」躾とは普通主がポケモンにやるものでは、という疑問と、いつから自分は父親になったんだ、という突っ込みは、一先ずサターンを宥めるために飲み込んだ。
人間味のないアースの、ひとつはそれかもしれない。私情を挟まない、実力主義。その徹底ぶりは、見事なものだ。
そして他に挙げるのなら、身体能力。
火怨をはじめたポケモンのみに、全面的に頼ろうとは考えず、自分が出た方が早いと思えば単身でポケモンにも立ち向かう。
それで実際、大した無茶もせずに抗うポケモンだったりを伸してしまったり、どうにかなることが多い。
アースの前回のテンガン山での任務でも、一人でポケモンと思わしき男に突っ込んでいったらしい。悪の波動を乱射している男にだ。それを聞いた時は、またか、と頭を抑えた。
自分達とも何度か手合わせをした事がある。原型姿でだ。その際に実力はしっかりと理解したつもりだったが、毎回毎回心配もするし、頭も胃も痛くなるなので、止めて貰いたい。
例え効率が悪くても、自分達でも問題ないというのに。
そして───思考能力。
上記のように、主は鋭い観察眼で、物事を的確に読み説ける。そして判断能力も高く、彼が不可能だと思ったことは本当に不可能だ。
逆に可能だと思えば可能である。
その先読みに一寸のブレもない。エスパーかと幾度と疑った事か。
そして、彼は独特の思考を持つ。徹底した実力主義もその内の一つである。更に他にも様々な事があるが………彼を語るには少々時が必要である。此処では省略しよう。
まずに、言いたいのは物に執着心のなさ、だ。
彼は物に執着しない。
感情に執着しない。
曰く、「執着は迷いを生む」と言う事らしい。
アースの部屋は、非常に質素だ。
ベッド、机、椅子。数少ない服を収納しているクローゼット。それくらいだろうか。
机には資料や、それに必要なもの。パソコン。そのくらいだろう。
資料と言えども、アースは一回読めば全て記憶する事ができる───俗に言う、映像記憶能力である───ので、一瞬で消える。
直ぐに姿を消しては、また新たな資料や報告書が入れ替わり立ち代わり、彼の元にやって来る。本を読む姿を時折見掛けるが、取り寄せても直ぐに破棄してしまうか譲ってしまうらしい。その本が彼の手に触れられる時間は極端に短い。パラパラ捲ってそれだけで覚えてしまうらしいのだから、時間をかける意味もないのだという。
そんなこんなで、彼の唯一の趣味らしき趣味である本も部屋には置かれていない。
───そういう、人間味のない彼が、一時も手放さない物があるのだ。
「アース」
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