0,5 | ナノ

50,5.霧の中の物語 (2/2)

    
   
「アース」



怒り心頭だったサターンを何とかフォロー、アンド、報告書は俺が纏めておくから休めと宥めた火怨は、思う事があって自分の主を追った。
匂いを追って、何度か曲がり角を曲がる。何人か、団員(下っ端)とすれ違い、挨拶を交わしながら足を進めていると、漸くその黒いコートの後ろ姿を見付けて、小走りで近付いた。
名前を呼ばれた彼はやはり一瞥しただけだ。いつも通りだと火怨は気にせず、明るく笑った。

「もー、あんま若い子を苛めてやんなよなー?」
「オーバーな程のリアクションをくれる奴が悪い」

やはりそんな理由か。
主情報、そのいくつ目か。アースはこうやって誰かを、得意の口車に乗せて弄るのが好きである。
此処で火怨は、サターンを若い子、と呼んだが実際の歳は知らない。そしてアースの歳も知らない。見た目からして、サターンは20辺り、アースはその上だろうか……くらいの認識である。そういう不詳の人物が集まるのは、良くある事だ。
それなりに歳を食っている火怨からしたら、人などみんな「若い子」だ。
その「年老いた」と思っている火怨は、子供のように可愛がってるアースを、それこそ親のように案じつつ隣を並んだ。

「アース、体調はもういいのかー? 痛いとこねー? 飯ちゃんと食ってるかー?」
「…………お前は父親か」

「あ、それサターンちゃんにも言われた」

呆れを滲ませた声で呟いたアース。そんなに俺は父親父親しているだろうか、と首を傾げる火怨。
事実、このギンガ団では有名である。アースと火怨親子、というのは。
ボスの側近であって、ギンガ団員なら誰しもが時に憧れ、時に慕い、時に畏怖し、時に嫌い───という普通ではない感情を抱かせる、あのアースの頭を撫でれるのなんて、火怨くらいだろう。

「だってアース、たまに飯食い忘れたりすんだもーん」……実験やプログラミング系の仕事をすると集中しすぎて食事を忘れる、寝忘れる、なんてあるのである。


しかも、アースは人前で飲食をするのが苦手なのだ。そしてギンガ団内にある食堂を使うのが嫌いらしい。普段は自炊か、彼の手持ちの火怨だったり、メイとコロナ…という者達が調理している。


本人曰く「倒れる程はしない。自己管理くらいできている」らしい。その通り、倒れた事などは無いのだけど。「心配なもんは心配なんよ」
…この辺りが父親らしい、と言われる訳であろう。本人は心配だからしゃーない、という言い分であるが。
火怨も火怨で、一年程前にはこんな風に主を想うなんて思っても居ないだろうなと感想は持つ。あの頃は、ただただ、“自分の住みかを荒らした”“抗争”を作ったこの男が憎かった。
二年前の───とある、抗争。



「で、」
「うん?」

「そんな事を確認するだけに、此処まで纏わり付いた訳じゃないだろうな」

───先程と打って変わって、静かでひんやりとした廊下を歩く足音は、止まない。沈黙の代わりに、かつかつとふたつの靴が、床を叩く音が聞こえるのみの空間が一瞬生まれた。火怨は返答に一秒遅れると、乾いた笑みを溢す。

「そんな事ってさ〜…」
「火怨」
「………はいはい」

茶化すなと低い声で名を呼ばれ、火怨は肩をすくめた。誤魔化すつもりなど、毛頭なかったが、回りくどいのはお気に召さない。単刀直入に、とアースが前を向いたまま言う。

「俺に何か、聞きたいのだろう」
「……流石エスパー」
「お前は分かりやすい」
「えー? そーかねー?」

どうせ、何が聞きたいのかの当たりもつけているだろうに。
「───あの子供に関係する事か」…尋ねるというよりも、確認としているその言葉に、ほらなとくすくす笑う。エスパーである。つまり当たりだ。
あの子供。名を出さなくても、伝わる。

───今回、火怨が任務で当たった、あの藍色の髪で、眼帯をした少女。そのただ一人だ。

それをずばり当ててしまうアースの観察力と、そんなに分かりやすいだろうかと自分の行動を比べつつ、火怨はそっと口を開く。
重々しく。
パンドラの箱でも、開けるようなのだろうか。
緊張していた。


「───エン」


あの少女が自分の親友だと挙げた、その名を、口にするのが、
もしかしたら、この主に、関係するかもしれない───名。

それに対して、主は、アースはいかなる反応をするのだろうと、隣を覗き込む。
───フードをつけたままの、彼の顔は見えない。
足の動きも、前へ前へと、進める足も、何も変わらず、一定の動きを見せていた。

「………エン」

その名を、確かめるように口にしながら。

それっきり黙ってしまっていて、何も反応を寄越さない。淡々と歩くだけ。
火怨も淡々とついて行きながら、今回の任務で見たものを、感じたものを話し出した。


「…あの嬢ちゃんの胸元に、ペンダントが掛かっていた。
空色の、小さな笛の」

「………」



執着を嫌う彼は、長く物を持たない。
火怨や、ポケモンは別にしても、皆二年ほどの付き合いだ。
未練は、ひとを縛る───。

後悔など、したくないと常に言う、彼が───、
一時も手放さない物が、ある。



それが、小さな笛の、ペンダントだ。



火怨は視線をフードの顔元から、少し視線を下に、胸元を見た。このコートの下で、よく耳を傾けてみれば、ちゃらん、ちゃらん、と、金属音が聞こえた。

───いつもは、こよコートの下に隠している、そして首から下げている───笛の、ペンダント。


明るい緑色の、笛のペンダントだ。

数回ばかり、火怨はそれを見たことがあるが、しっかりとした素材で作られている。
小さくても上等な笛だ。
きっと吹けば甲高い音で、辺りに存在を知らしめる事だろう。



そんなペンダントを、アースは何故か常に持っているらしい。
らしいと言うのは、先程記述したように普段はコートの下に隠しているから定かではないという事。
本人に直接尋ねれば常に、身につけているという。
ちゃりん、ちゃりん、と音もする事から実際つけているのだろう。


今も。


何故、その笛には執着しているのだ。と、当然疑問が出てくる。
それに対して主は「何故だろうな」と彼らしくもないあやふやな答えを返すのみである。

───そんなある日、その笛と同じものを持った、少女が現れた。


「同じ、とは言い切れないかもしれないけど、酷似していたよ」


過去、一度だけ見せてくれた、その緑色のペンダントと。
これは偶然?
偶然同じようなペンダントをふたりは持っていて、互いに対立する立場にあるのは、偶然か?
そうではないと、火怨は思うのは、あの子供の言動。


「あの子は……アースを理解してた。
アースの、強さを、知っていた」


アースが、火怨とサターンとの任務に居れば、なかっただろうミスに漬け込み、あの少女は勝ちを掴んだ。言葉巧みに、自分達を引かせた。
アースの強さを確信していたからこその、あの思いきった作戦だと火怨は感じた。

しかし、聞けば、少女が知るのは「エンという親友」だと言う。
アースなんて知らない。
アースはアースなのか。本当に。アースでしかないのか。

エンではないのだろうか。
すがり付くような眼で、問われて、答えたのは、アースの“以前の名”。


ディンフェクタ。


───その前は?
もしかして、それを、あの少女は知っている?


「アース。
エン、て名に、心当たりは?」



あの少女が自分の親友だと挙げた、その名。
初老の男は、その“前”を知りたくて、問う。


「アース」


それがパンドラの箱としても。



「確か、お前………、
二、三年前の記憶、無かったよな?」





かつん、

ゆっくり、足を、止めた。
冷たい。風が、何処からか入り込んできていた。コートを、揺らす。
フードが揺れた。
僅かに、朱色の眼が、見えた。

静かに、目の前の情報を、的確に奪い取る、眼が、あった。

「エン、」

もう一度。
ぽつり。呟く。


「………」

そして、彼は表情を黒いコートのフード下に隠したまま………答えた。
その言葉を聞いて、火怨は自分がどんな顔をすればいいのか、分からなくなっていた。


その名を聞いて、どうするつもりだったのか。
相も変わらず、その行方は知らず、










「     、
     」
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