0,5 | ナノ

37,5.混色ストレンジ (1/2)

   
    
      


「陽恵殿」



───はっとして瞳を、開いた。
一瞬、自分が何処にいるのか、自分が何をしているのか分からなくてぼんやりとする。そのぼんやりとした視界に写り込んでいたのは、ひんやりと肌寒く薄暗い廊下だ。

ああ。合点がいったと瞬きをした。此処は───自分達が所属している組織の、アジト───本部だ。

自分でもあの少女と似ている色をしていると思う、その空色の瞳をきょろりと動かせば、赤髪のポニーテールをしていて、まるで戦国時代のような武将の格好をした古風な男が自分を見据えていた。
冷酷な黄色のその目はもう慣れていて、とりあえず見返す。なんですか、と。

「……アース殿の具合は、いかがだ」

恐らく先程も同じ様な問い掛けをしてきたのにも関わらず、自分はぼんやりしていて聞いていなかったのだろうと陽恵は思いながら、溜め息を付きながら自分の後ろに視線を向ける男を見詰めた。
彼は、江臨である。アースの為に擬人化をとる、ハッサムだ。
そして、その視線の先、陽恵が立つ後ろの扉の部屋はアース───我等が主の部屋である。

「……アース様は、先程寝てくれました」
「…そうでござるか」
「はい」

……。
沈黙が走る。
会話が此処で切れる。
会話はこれのみである。毎度の事で、陽恵と江臨の間で交わされる会話などこんなものである。最低限の事務的な会話。それで困らないからだ。
しかし、今回は沈黙のまま江臨はじっと陽恵を見据える。いつもならさっさと別れてしまうというのに。
陽恵は内心首を傾げながらも顔にはあまり出ず、機械的な固い表情のまま歩き出した。
軽くお辞儀をして、去ろうとする陽恵の後ろ姿を、江臨は睨んだ。そこに疑いの感情を孕んだまま、彼は陽恵の隣へと並んで共に歩き出した。

陽恵のブーツの音と江臨の草履の音が廊下に微かに響く。

「───貴殿は、」

静かな空間で、沈黙を江臨が破った。
低く、そして威圧的な声だ。
じろりと黄色の目が陽恵を品定めするように見た。

「貴殿は、何者だ」
「……何者、とは」

沈黙が再び流れる。
陽恵が視線を向ける。江臨に。
しかしそれのみで、探るその視線とこの何でも無い、ただの視線がぶつかるのをぼんやりと認識していた陽恵に、その問いを投げ付けた。


「───何故、
あの娘を助けたのでござるか」



きらりと陽恵の紅色の飾りが揺れた。
だがそれのみ。問いただすようにと威圧を高めて、擬人化時に身に付けている刀に手を添えていつでも攻撃できるような体制で、睨み上げる。それでと、陽恵は機械的なその無表情で、否定も肯定もせず、しばらく無言で見返した。

───確かに、陽恵は敵である、あの化け物のようなポケモントレーナーを、
危機から救った。


あの少女が江臨にとどめを刺されそうになった時だ。
突然、その相棒、碧眼のジュプトルがボールから突然に飛び出して来て少女を救ったのだ。

ボールに、少女は触れてもいない。…本来ならば内部から自らボールの外へと飛び出してしまうなんて、エスパータイプなどごく一部のポケモンのみしか有り得ないだろうに。

アースのその特殊な眼には…………陽恵の波動がゆらりと揺れたように見えた。

そして事実、
陽恵があの少女を助けたのだ。


「……私は陽恵です」


ぽつりと呟いた言葉に、そんな事分かりきっていると言わんばかりに睨みを無視して、続けた。
私は陽恵でしかないんだ、と。

「私は、アース様の従者です……。
私は、アース様の為に生きています……。
私は、アース様の未来を守ります……」


感情が映らない、だけど空虚とも違うその空色の眼でじっと江臨を見詰め、足を止める。

「……私、は、」

淡々と自分の決して豊富ではない語彙。
それに淡々と、淡々と、感情は見せず、いつも通りに、言い切る。

「私は、
アース様に後悔してほしくないんです」


───後悔などしたくない。後悔などしない。
そう公言しているアースは、いつでも冷静で、周りを良く観察し、読み取り、その場で最善の選択をする。
自分の悔いが残らないように、生きているのだ。

強く、しなやかで、真っ直ぐな彼の意志に、記憶に、未来に、運命に──────触れて、
守りたい。そう思った。

「……私は、あのお方の為ならば……何でもします。
…私を疑うのは、大丈夫です。仕方無いです。
けど、私はあのお方の望みではない事は……しません」

───アース様の為にのみ、私は動く。


そう、誓った、彼と出会ったあの明け方。
優しい太陽の光が包むあの島で。


その思い出に、記憶を思い起こす瞳には、やはり全て奥へと閉じ込められ、表の日に浴びることはなかった。


感情などない、ただの瞳がそこにあるだけ。
それが奇妙で仕方無くて、江臨はいつもこの女を訝しんでいた。
普段は抱かない警戒心─────……普段は黙認しているのだ。
我等が主、アースが許しているから、ならば良いと。

───だが、今回は見過ごせなかった。

あと一歩の所で、我等の邪魔ばかりをする、忌々しい小娘を亡き物にする機会を───仲間である筈の陽恵に、邪魔をされたのだから。
それを、アースも何故か許している。
受け入れている。
それが解せなくて、尚言及しようとした時だ。


「こらこら、江臨。
そんなこえー顔で睨むなって」


陽恵が困ってるだろ? そう、たしなめる……大らかな声の持ち主が、廊下の曲がり角から現れた。
がたいが良く、そして無精髭を顎に生やした顔には傷。パッと見て厳ついような見た目の初老とも呼べそうな歳の男が、長身をぬっと出したのを認めて江臨は軽く息をついた。


「……火怨(かえん)殿、でござるか」


火の怨みと書いて、かえんと読む名の男。
響きからしても見た目からしても、その男はとても威圧感がある。初対面ならば子供も泣いてしまいそうだ。
しかし、次の瞬間、男はへにゃりと気の抜けた笑みを浮かべ、人懐っこそうに手を振ってきた。


「おー、俺俺ー」
「……」


見た目とは裏腹に、ほわほわと脱力仕切ったその雰囲気に江臨の毒気がするりと抜かれていった。……思わず眼を逸らす。
江臨は彼が嫌いという訳でもないものの、自身のペースを乱されるのをとても嫌う。現に、あからさまな無視であるこの態度も、火怨はへらと笑うと「任務、お疲れサン」───ぽんぽんと江臨と陽恵の頭を優しく撫でた。
……振り払う気力もなく、江臨は再び息をつくと、瞳をしゅぱしゅぱと瞬きする陽恵と同様にされるがままになっていた。
する側のその男、火怨は満足そうにひとつ頷くと、江臨と陽恵をまじまじと見詰めた。

「……うん、大した怪我はしてないな。
いやぁ、驚いたぜー。
お前らの任務が失敗、しかもアースがぶっ倒れたって聞いたときはさー」


回復はある程度済んだらしい、ふたりの姿に安心したらしい火怨は、アースが帰ってきて早々倒れたと人伝に聞いて慌ててやって来たのだ。
しかも、任務は失敗と聞いて、何か大きな怪我でもしたのではないかと胆を冷やしたものだと、火怨はゆったりと笑った。

「アースは大丈夫かー? 生きてる? 死んでねーよな?」
「……生きておられる。
縁起でもない事を申すな、火怨」

「先程、寝たばかりです……」

「そっかそっか、生きてんなら良かった良かった」

今度こそ大きく笑って、肩の力を抜いた。
心底安心したらしく、元々脱力していた体の力をふにゃんと更に抜く。
そんな嬉しそうな火怨の姿に慣れてしまったが、陽恵は少しその空色の瞳を伏せた。僅かに、ほんの、少しだけ。
その変化に気付ける者は今この場にはおらず「けどさ」と火怨の声に掻き消された。

「どうしたんだよ?
あいつが倒れたって……余程の事だろ?
そんなに難しい任務だったのかよ?」


少しだけ眉間にシワを寄せて、怪訝そうに尋ねてくる火怨の心配は尤もだった。
アースには体力があり、そして冷静沈着。波動で情報を得て、そして勘と───稀にその、独特な朱色の眼を使い、相手の感情を、考えを読み取りそれを利用してどんな相手でも必ず屈服させる。
そんなアースの前で、まともにバトルなんざできやしないし、できたとしてもアースが育てた手持ち達は───勿論、自分も含め、とてつもなく強く、簡単に勝ちを譲らない。


    
   
   
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