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ロマンス開始の密約書


 玉砕覚悟の告白だった。というより、完全に酔った勢いでの失言だ。
 望みがないのは分かっていたし、今の関係が崩れるのも怖くてずっと隠してきた想いだったのに、アルコールのせいで理性のタガが緩んでしまったらしい。気付いたら口から飛び出していたのだ。
 そんな事故みたいな告白をされたイルミは眉一つ動かさず、いつも通りの声色で言った。

『いいよ。じゃあ付き合う?』

 ……と。その言葉の意味を理解するまでたっぷり十秒ほどかかったけど、理解してからも頭が追い付かず何度も聞き返してしまった。本当にいいの? とか、からかっているんじゃないよねとか、もし冗談なら止めてねとか。そんな様子に痺れを切らしたのか、イルミは面倒臭そうに溜息をつくと『じゃあ証明してあげるよ』と言って私の腕をとった。そして、そのまま引きずられるようにしてホテルに連れていかれたのである。


 ――それが昨夜の出来事。
 肌触りのいいシーツの中で目を覚ました私は、まず昨日あったことはすべて夢だったんじゃないかと疑った。だけど二日酔いでガンガン痛む頭と、背中に感じる人の気配によって現実だと思い知らされる。後ろを振り向く勇気はなかったけれど、きっとイルミが寝ているのだろう。

(どうしよう)

 一晩経って冷静になると、とんでもないことをしでかした後悔と自己嫌悪に苛まれた。酔った勢いで告白とか、無い。何やってんの私。己の迂闊さに泣きたくなる。
 しかもその後の展開がさらにあり得ない。ホテルに直行っていくらなんでも性急すぎやしないだろうか。

(しかも、あんな……っ!)

 思い出すだけで顔から火が出そうだ。
 だって、あのイルミが。あんなふうに触れてくるなんて思わなかった。
 普段通りの表情のまま淡々と事を済ませそうなイメージだったのに実際は全然違っていた。それはもうびっくりするほど優しくて、愛されてると勘違いしそうになるくらい甘い声で囁かれて……。

(うわああぁぁ!!)

 叫びたい衝動を堪えるために枕に顔を押し付ける。だめだ。恥ずかしすぎて死ぬ。
 何より一番恥ずかしいのは、彼の前ですべて曝け出してしまった自分自身だ。まるで別人みたいに甘えた声を出したり、なりふり構わずねだったりと、とても人には見せられないようなみっともない姿を晒してしまった。しかもそれを全部覚えているという始末の悪さ。最悪すぎる。穴があったら入りたい。

(いくら酔っていたとはいえ、あれは無い。絶対引かれた!)

 猛烈な羞恥と自己嫌悪で死にたくなる。幻滅されたに違いない。
 これからどんな顔して会えばいいのだろう。まさかこんなことになるとは思ってなかったから、心の準備が何も出来ていない。

(……ていうか、本当に付き合うことになったのかな)

 未だに信じられない。だってこれまでイルミからそんな素振り見せられたこと無いし、私のことなんて道端の蟻程度にしか認識していないと思っていたから。
 今でも何かの間違いじゃないかと思ってるし、彼の気が変わって無かったことにされる可能性も十分あると思っている。昨夜のアレが原因でそうなったとしたらちょっと立ち直れそうにないけど……。

(あー、頭痛い)

 ぐるぐると考え事をしていたせいでさらに頭痛がひどくなってきて、ぎゅっと目を閉じる。このままもう一眠りしたい気分だけどそういうわけにもいかない。服も着ないとだし、シャワーも浴びたい。とにかくイルミが起きる前に気持ちを切り替えよう。
 そう思いながらそろりと体を起こした時だった。突然背後から伸びてきた手に掴まって再びシーツの中に引きずり込まれてしまった。

「どこ行くの」

 耳元で囁かれて心臓が飛び跳ねた。しかも後ろからぎゅうっと抱きしめられてさらに鼓動が早くなる。
 いつの間に起きていたのだろう。予期せぬ出来事に驚いて固まっていると、首筋に吐息がかかった。

「おはよう、ナマエ」
「お、はよう……」

 何とかそれだけ返すと、腰に回された腕に力を込められた。

(ひぇえ! 何この状況!?)

 混乱する私に追い打ちをかけるように、今度は肩口に軽く歯を立てられる。昨夜の行為を彷彿とさせる仕草に、ぶわぁっ、と顔に血が上る。

「ま、まって!」
「なに?」

 慌てて身を捩るけど、腕の力が強くて抜け出せない。せめて赤くなった顔だけでも隠そうとシーツを手繰り寄せようとしたところで、自分が一糸纏わぬ姿であることを思い出して愕然とする。

(そうだよ、裸じゃん!)

 途端に居ても立ってもいられなくなって暴れ出すと、ようやく腕の力が緩んだので急いでシーツを引ったくった。そのまま頭まですっぽり被る。恥ずかしすぎてもう死んでしまいそうだった。どうしていいか分からずシーツの中で丸くなっていると、頭上からため息交じりの声が降ってくる。

「何やってるの? 顔見せてよ」
「無理です!!」
「何で敬語。昨日はあんなに素直で可愛かったのに」
「かっ……!?」

 なんなんだこの男は。朝っぱらから爆弾発言連発し過ぎじゃないだろうか。心臓がもたない。
 イルミの手がシーツの隙間から忍び込んできて、髪を撫でられる。いやいやと首を振って再びシーツの中に潜り込んだ。すると今度はベッドが軋む音がして、イルミがシーツの上から覆い被さってきたのが分かった。

「何をそんなに恥ずかしがってるの? 別に今さら気にしなくていいと思うんだけど」
「気にするよ! 昨日の私、酷かった自覚あるし……もう消えたい」
「そう? オレは良かったよ。普段取り澄ましてるお前があれだけ乱れるとは思わなかったし、正直かなり興奮した。特に最後の方なんか――」
「うわああ!! それ以上言わないで!!」

 聞くに堪えなくて思わずシーツから顔を出す。すると間近にイルミの顔があって、またすぐに引っ込もうとしたけれど、すかさず両手で縫い止められて逃げ場を失った。覆いかぶさるイルミの長い髪がカーテンのように垂れて視界を塞ぐ。その向こうに見えた瞳はひどく愉しげで、それが余計に羞恥心を煽る。もうやだ。ほんとに勘弁してほしい。

「ナマエが昨日どれだけいやらしくねだったのか教えなくていいの?」
「い、いらないっ!お願いだから忘れて!」
「無理。一生忘れられないくらい強烈だったから」
「……ッ!」

 恥ずかしすぎて涙が出てきた。何これ拷問ですか。何でこんな辱めを受けなくちゃいけないの。
 半泣きで睨みつけると、ふっとイルミが笑みをこぼす。そして私の前髪をかき上げ額をなぞりながら囁いた。

「そんなに嫌ならやった時の記憶だけ針で記憶消してあげてもいいけど。どうせまた同じことの繰り返しになるだろうけどね」

 不意を突かれて目を見開く。イルミの言っている意味を理解するまでに数秒かかって、それからじわじわと頬に熱が集まってきた。
 それはつまり、この先もこういうことがあるかもしれないという意味だろうか。そう思うと嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気分になって何も言えなくなってしまった。

「で、無かったことにしていいの?」 

 イルミが突き放すように問いかけてくる。私は慌ててぶんぶん首を横に振った。
 死ぬほど恥ずかしいけど、無かったことにはしたくない。だって、ずっと好きだったんだ。叶わない恋だと諦めていたのに、こうして彼の隣にいられる奇跡を無かったことになんて出来るはずがない。

「うん、いい子」

 イルミが微笑んで頭を撫でてくれる。たったそれだけのことなのに胸の奥がきゅんと疼いた。それでも今はどうしても羞恥の方が勝ってしまう。本当は今も嬉しくて仕方がないのに、それを素直に表現できない自分が恨めしい。
 そんな私の葛藤など知る由もなく、イルミは淡々と言葉を続けた。

「あー良かった。頷かれてたらオレ何するか分からなかったよ。命拾いしたね、お前」
「え?」

 いきなり不穏なことを言われてぎょっとする。

(なにそれ怖い)

 一体頷いていたらどうなっていたというのだろう。めちゃくちゃ気になるけど、聞いてしまったら何か恐ろしいことになりそうな気がする。本能的に追及を避けて口を閉ざすと、顎に手をかけられた。

「ま、そういうわけだからこれからもよろしく」

 そう言ってちゅ、と唇に触れるだけのキスを落とされ、一瞬頭が真っ白になる。呆然としているうちに再びぎゅうと抱きしめられて、思考が追いつかないままにとりあえずおずおずと背中に手を回してみる。イルミの腕の中は想像以上に心地よくて、抜け出せなくなっちゃいそうだなぁ、とぼんやり思った。

(やっぱり早まったかも)

 この先に待ち受けるであろう未来に少し不安を覚えながらも、どこか満ち足りた気持ちでそっと目を閉じた。


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