main | ナノ

はじまりなんて望まない


 仕事終わりに同僚と食事をして帰宅すると、ここに居るはずのない人物が部屋にいて心臓が止まりかけた。

「久しぶり」

 まるで旧友に会いに来たかのような態度で声をかけてくる男を、私は唖然と見つめた。クロロ、と震える唇からこぼれる。ソファに腰掛けたクロロは悠然とした笑みを浮かべて続けた。

「こんな辺鄙な街に住んでいたとはな。探し出すのに苦労したよ」

 そう言って白々しく肩をすくめてみせるクロロの姿に、苦い気持ちが込み上げる。
 この部屋に越してきて数ヶ月。まだ新品と言える家具の中にかつての仲間がいる状況は、私にとって敗北を意味していた。

「何しにきたのよ」
「つれないな。わざわざこうして会いにきたっていうのに」
「不法侵入してきた奴を歓迎するほど酔狂じゃないわ」
「普通に訪ねても入れてくれないだろ」

 クロロは愚痴るように言った。その手には愛用のマグカップが握られている。人の家に勝手に上がり込むだけでは飽き足らず勝手にコーヒーまで飲むなんていい根性してる。抗議の意味を込めて睨んでも、クロロは微笑で弾き返した。

「随分帰ってくるのが遅かったな。どこに行ってたんだ?」
「別にクロロには関係ないでしょ」

 質問を無視して言い捨てると、クロロは無言で目を細めた。こちらの反応を窺うような視線に耐えかねて、顔を背ける。

「――あぁ、もしかしてあの男と会ってたのか? 職場の同僚とかいう」

 クロロの言葉に、思わず顔を上げた。そこには変わらず薄笑いを浮かべているクロロの顔がある。

「なんのこと」
「とぼけなくて良いさ。とっくに調べはついてる」
「……呆れた。やってること完全にストーカーじゃない。どうかしてる」
「そうだな。オレは昔からお前のことになるとどうにも抑えが効かなくなるみたいだ」

 クロロは冗談めかすように言ったけれど、目が笑っていないことに気がついた。暗い光をたたえた瞳に見据えられて息を呑む。
 私が黙っていると、クロロはさらに言葉を続けた。

「少し会わないうちに随分と男の趣味が変わったみたいだな。ナマエがあんな冴えない男を選ぶとは思ってなかったよ」

 口調は穏やかだが、クロロの纏う空気は明らかに怒りの色を帯びていた。まるでこちらが不貞でも働いたかのような態度に腹が立ち、私はつい語調を強めた。

「勝手なこと言わないでよ。彼、すごく優しいし誠実だし仕事だって頑張ってるし、私には勿体無いくらいの良い人なんだから」

 勢いに任せてまくしたてると、途端にクロロの目つきが鋭くなった。

「まさか、本気であの優男と付き合ってるのか?」

 クロロの射抜くような眼差しを受けて束の間言葉を失う。その視線に気圧されて、私は小さく首を振った。

「まだ付き合ってるわけじゃないけど……」
「まだ、ね」

 含みのある言い方をして、クロロは長い足を苛立たしげに組み替えた。普段は冷静沈着であまり感情を露わにしない男がどうしたことは今夜はひどく嫌味ったらしい。やさぐれているようにすら見える。
 こんなクロロの姿を見るのは久々だった。流星街にいた頃でさえ、彼がここまで分かりやすく負の感情を見せることはなかった気がする。
 私はなんて言葉を返せば良いかわからず黙り込んだ。いつもならもっと上手に立ち回れるはずなのに、彼を前にするとそれができなくなってしまう。掻き乱されているのはこちらも同じだった。
 気まずい空気が流れる中、ふいにクロロが目を伏せた。何かを言いかけて口をつぐむ。そして思案する素振りを見せた後、再び私を見た。その表情からは先ほどまでの険しさが消え失せ、代わりに痛みを堪えるかのような悲痛さが滲んでいた。

「あの男と付き合うためにオレたちを切り捨てたのか」

 問いかけた後、縋るような目でこちらを見続けてくるクロロに、私は咄嗟に否定の言葉を口走りそうになった。しかし寸でのところで思い留まる。ここで流されて安易な返事をしてはいけない。
 クロロの言う通り、私は彼らを――故郷の仲間を切り捨てた。それは確かに事実であるし、今更言い訳するつもりもない。でも、彼らに対して後ろめたさや申し訳なさを感じていないと言えば嘘になる。
 彼らは私の居場所であり、家族のようなものだった。幼い頃から身を寄せ合い、共に生きてきた。私は彼らのことが大好きだった。愛していたと言っても良いかもしれない。だからこそ、こうして対峙しているだけで心が激しく揺さぶられるのだ。
 だけど、それでも。
 私はもう彼らとは別の道を選んだ。その決意を覆すつもりはない。
 私は一度深呼吸すると、まっすぐにクロロを見つめ返した。

「彼じゃなきゃダメってわけじゃないけど、ああいう人と一緒になって普通の幸せを手に入れたいと思ったの。それが私の答え」

 はっきりと告げれば、クロロはわずかに顔を歪ませた。そのまましばらく無言でこちらを見つめていたけれど、やがて諦めたように息をつくとマグカップの中身を飲み干した。ごとりと音を立ててテーブルの上にカップが置かれる。

「――理解できないな」

 彼の口から漏れた低い声音には隠しきれない失望の色が混じっていた。その様子を目の当たりにして、胸が締め付けられるような心地になる。
 目の前にいるクロロの存在がひどく遠く感じる。昔は同じ場所で肩を並べていたはずの私たちは、いつの間にかこんなにも離れてしまった。私が選んだ選択が、今のこの距離を作ったのだ。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -