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ロマンティック・マテリアル


 夜も更け、そろそろ日付が変わろうかという時刻。インターホンが鳴って玄関を開けると、そこには予想通りの人物が立っていた。

「こんばんは……」
「や」

 軽く会釈すると、イルミさんが片手を小さくあげる。相変わらず表情筋は仕事をしていない。

「はい、これ」

 そう言って差し出されたのは、小さめの紙袋だった。

「あー……その、いつもすみません」

 一瞬躊躇したが、うまく断る方法も思いつかず結局受け取ってしまった。

(あ、ここのお店知ってる)

 雑誌で見たことがある有名な洋菓子店のものだ。この辺りには店舗がなく、通販でしか買えないはずだ。

(これはどう考えてもお高いものだよなぁ……)

 値段のことを考えると胃がきゅっと縮こまる感じがする。しかし突き返すわけにもいかないし、せっかく用意してくれたものを無碍にもできない。

「ありがとうございます」

 お礼を言って頭を下げれば、イルミさんからは「うん」とだけ返ってきた。私の反応など微塵も気にしてなさそうだ。

「……」

 途端に会話が尽きて、気まずい空気が流れる。気まずいと感じているのは私だけだろうけど。イルミさんはこちらをじっと見つめたまま何も言わない。その視線の圧に耐えられなくて、手元の紙袋に視線を落とした。
 沈黙が流れる中で、何度もシミュレーションしてきた言葉を脳内で反芻する。今日こそ言うんだ。深夜に訪ねてくるのはやめてくださいって。
 おずおずと顔を上げると、イルミさんの真っ黒な瞳とかち合った。食い入るように見つめられて思わずたじろいでしまう。

(うっ……やっぱり顔がいい……)

 この整った顔にじっと見られると何も言えなくなってしまう。でも、そのせいでいつも流されてなあなあになってしまうからダメなんだ。心を鬼にして言わなければ。

(よし、言うぞ)

 自分に言い聞かせながらぐっと拳を握る。そして私は口を開いた。

「あのー……」
「なに?」
「そのー…………立ち話もなんですし、上がっていきますか?」
(私の馬鹿野郎!)

 心の中とは裏腹の言葉を発する自分を殴ってやりたい。どうして私はいつもこうなんだ。自分の首を絞めるだけって分かってるのに、どうしても思っていることをうまく口に出せない。思わず頭を抱えたくなった。
 そんな私の内心など露知らず、イルミさんは「うん。お邪魔します」と言って上がり込んできた。躊躇なくリビングへと向かう彼の後ろ姿を見ながら、大きなため息をつくことしかできなかった。

 イルミさんとは、一ヶ月ほど前に知り合ったばかりだ。きっかけは、私が道端でしつこいナンパに絡まれて困っていたところをイルミさんが助けてくれたのだ。夜遅いから家まで送るとまで言ってくれて、ついお言葉に甘えてしまったんだけれど……その日以来、なぜか毎晩のようにうちを訪ねてくるようになってしまった。
 どうしてうちに来るのかはよく分からない。理由を尋ねたら「特にないよ」とか「暇だから」とかそんな答えしか返ってこなかった。暇なら自分の家に帰ればいいのにと思うけどそれを口に出す勇気はない。
 正直最初はイルミさんが訪ねてきてくれて嬉しかった。イルミさんってちょっと見ないくらい顔もスタイルも良いし、こんな人が自分に会いに来てくれるなんて夢みたいだなんて思っていた。しかしそんな浮かれた気持ちはすぐに萎んでいった。というのも、イルミさんはとにかく何を考えているのかよく分からない変人だからだ。今まで会ったどんな人間とも違うタイプなので、どう接すれば良いのか戸惑ってしまう。イルミさんのことをもっと知るために色々と質問してみたりもしたんだけど、何の仕事をしているかという質問に対して「殺し屋」という果てしなく反応に困る返答をされて以来、迂闊に聞けなくなってしまった。結果、未だに何一つ分からないままだ。
 イルミさんには助けてもらった恩があるし、私としてもできれば邪険にしたくない。だけど、こうも頻繁にしかも決まって夜遅くに訪ねてこられるとさすがに限界だった。

(今日こそはちゃんと言うつもりだったのに、結局また家にあげちゃったよ……)

 自分の意思の弱さがほとほと嫌になる。せめてもの抵抗として何も出さずにおこうとも思ったけど、手元の紙袋を見るとそれも憚られた。こんな高そうなお菓子をもらっておいてお茶も出さないなんて失礼かと思い直し、結局渋々ながらおもてなしすることにした。

「イルミさん、コーヒーと紅茶どっちがいいですか?」
「紅茶で」

 イルミさんは我が物顔でソファに座っている。まるで自宅かのように寛いでる姿に複雑な思いを抱きつつも、大人しくキッチンに向かった。
 お湯を沸かしている間にティーポットとカップを取り出す。缶に入った茶葉も。全部イルミさんがくれたものだ。以前ティーバッグの紅茶を出したら不服そうな顔をされて、翌日には高級な紅茶とティーセット一式を渡された。こんな高いもの受け取れないと遠慮したけど「お前のためじゃないから」と強引に押し切られてしまったのだ。そんなにティーバッグのお茶が気に入らなかったのだろうか。だったら店で飲むなり自宅で淹れるなりすればいいのに、わざわざティーセットを買い与えてまでうちで飲む理由が分からない。

(どうしてこんなに色々してくれるんだろう……)

 イルミさんは家に来るたびに何かしら手土産を持ってきてくれる。しかもいつも高そうなものばかりだ。いくら遠慮しても聞く耳持ってもらえないし、お返しに何か渡そうと思っても「いらない」と一蹴されてしまう。
 気づけばこの一ヶ月で部屋はイルミさんからの贈り物でいっぱいになっていて、もはや恐怖すら覚えていた。タダほど怖いものはない。
 紅茶を入れて戻ると、イルミさんはテーブルの上に置いてあった雑誌を手に取っていた。興味なさそうにぱらぱらと捲っている。

(うわ、よりにもよってその雑誌!)

 表紙に写っているのは人気急上昇中のアイドルグループのメンバーだ。顔が良い上に歌やダンスのレベルも高いと評判で、若い女性を中心に人気を博している。かくいう私も彼目当てで雑誌を購入した口だ。
 それをイルミさんに見られていると思うとなんだか居た堪れない。できることなら今すぐ回収したいところだけど、ここで下手に動いても墓穴を掘るだけだろう。私はイルミさんの向かい側に腰掛けながら、ぎくしゃくとした動作にならないようにカップを置いた。

「どうぞ」
「ありがと」

 イルミさんは雑誌を閉じると、そのまま黙って紅茶を飲み始めた。触れられずに済んだことに胸を撫で下ろしたのも束の間、イルミさんはおもむろに口を開いた。

「こういうのが好きなの」
「へぁっ!?」

 表紙を指差しながら聞かれ、動揺して声が裏返ってしまう。不意打ちはやめてほしい。

「あっ、いやっ……まぁ、そうです。ハイ。」

 誤魔化すのは諦めて肯定する。何この羞恥プレイ。穴があったら入りたい。
 イルミさんはふーんと呟いて再び視線を雑誌に戻した。

(あれ、なんかちょっと機嫌悪くなった?)

 イルミさんは基本的に無表情で喜怒哀楽が分かりにくい。だけど最近なんとなく雰囲気で感情を読み取れるようになってきた。

(でも、何でこのタイミング……?)

 さっぱり分からない。イルミさんの地雷が謎すぎる。
 ちらりと様子を窺えば、ちょうどイルミさんも顔を上げたところでバチッと目が合ってしまった。とっさに紅茶を飲んで誤魔化す。が、イルミさんは視線を逸らすことなくじっと見つめてきた。

(き、気まずぅ……)

 視線が痛くて仕方ない。何か話さなければと必死に話題を探す。そこでふとさっき貰った紙袋が目について反射的に手に取った。

「あの、これ今いただいてもいいですか!?」
「いいよ」

 なんとか話題を逸らすことに成功して内心ほっとする。いそいそと紙袋を覗くと、中には綺麗な包装が施された箱が入っていた。

「わ、きれい」

 色とりどりのマカロンを見て自然とテンションが上がる。どれも美味しそうだ。

「あ、イルミさんからお先にどうぞ」
「いいよ、お前が好きなの食べな」

 イルミさんは相変わらずの無表情で言った。だけどその声音が思いがけず優しくて、不覚にもドキッとしてしまう。いきなり優しくするのも心臓に悪いからやめてほしい。
 私はお言葉に甘えて一番手前にあった黄色いマカロンを摘むと一口齧った。サクッと小気味良い音を立てて生地が砕ける。途端に上品な甘みが広がって、頬が緩んだ。

(美味しい。罪深い味がする)

 あまりの美味しさにすぐ二口目にいきたくなるのを我慢する。そんなバクバク食べるようなお菓子じゃないし、こんな時間にマカロンを何個も食べるなんて大罪だ。ちょっとずつ大事に食べないと。
 そんなことを考えながら夢中で味わっていると、イルミさんがテーブルに頬杖ついて尋ねてきた。

「おいしい?」

 口を押さえたままこくこくと何度も首肯する。

「そ、よかった」

 一瞬、イルミさんがほんの僅かに口角を持ち上げたように見えた。見間違えじゃなければ微笑んでくれた気がする。私は驚いて目を瞬かせた。イルミさんが笑うところを初めて見たかもしれない。

(イルミさんってあんな顔もできるのか)

 いつも無表情な彼の思いがけない表情を目の当たりにして、心臓が不規則に動き出す。

(ちょっとは心を許してもらえてるってことかな)

 こうしてわざわざ会いに来てくれるんだから嫌われてはいないと思っていたけど、イルミさんずっと無表情だし会話も特に盛り上がらないし好かれているとも到底思えなかったから、なんだか嬉しくなってくる。
 ついさっきまでイルミさんの来訪を疎ましく思っていたというのにお菓子と笑顔で絆されるなんて我ながらちょろいと思う。でも、悪い気はしない。
 口の端が緩むのを自覚しながら、私は意気揚々とマカロンの箱を差し出した。

「イルミさんもどうぞ! すっごく美味しいですよ」
「いらない。それ砂糖の塊だし」
「そ、そんな身も蓋もない……」

 すごすごと箱を手元に戻す。デリカシーがないというか、色々と台無しだ。
 すっかり鼻白んでしまい、しばらく無言のままマカロンを味わう。すると、唐突にイルミさんが切り出した。

「お前さ、よく他人が持ってきたもの平気で食べれるよね。何か入れられてるとか思わないの?」
「ぶっ!」

 斜め上からの質問に危うく吹き出しそうになる。

「えっ、なっ、何か入ってるんですか!?」
「入ってないよ。ただ聞いてみただけ」

 真顔で言われて拍子抜けする。一瞬本気で焦った。

「びっくりさせないでくださいよ……」
「ごめんごめん。ちょっと気になってさ」

 イルミさんは悪びれもなく謝ると、身を乗り出して顔を近づけてきた。

「ねえ、なんでよく知りもしない人間が持ってきたものを警戒せずに食べられるわけ?」
「なんでと言われましても……そんなの考えもしなかったというか、普通疑わないですよ」
「普通、ね」

 イルミさんがどこか意味深な笑みを浮かべる。

「ナマエって平和ボケしてるよね。鈍感だし。すぐ死にそう」
「えぇぇ……」

 散々な言われように困惑する。イルミさんの言葉はいちいちパンチが強い。
 どう反応すればいいか分からず視線をさまよわせる私を見て、イルミさんはさらに笑みを深めた。それはさっきの微笑とはまるで違っていた。どこか剣呑で、意地悪な笑い方。まるで猛獣の檻に放り込まれたような気分になる。唐突に変わって空気に、ますます困惑が強まった。

「だからいいのかな」
(……いいって、何が?)

 疑問に思ったけど、妙な空気に気圧されて言葉が出てこない。なんだか深く掘り下げちゃいけない気がする。

「庇護欲を掻き立てるのも弱い生き物の特性だよね」
「はぁ……」

 何を言われてるのかよく分からないまま曖昧に返事をする。一体何の話ですか?
 イルミさんは言いたいことを言って満足したのか、真顔で紅茶を飲み始めた。こっちは完全に置いてけぼりだ。

(何なんだこの人。いきなり意味わかんないこと言い出すし、何がスイッチなのかも全然分からない。難解すぎるよ!)

 今日でちょっとは歩み寄れたと思ったのに、また振り出しに戻った気分だ。

(なんかすっごい疲れた……)

 イルミさんと話してるといつもこうだ。私ばっかりあたふたして振り回されて、精神的に疲弊する。やっぱりこの人ちょっと苦手だ。

(次来た時にはちゃんと言おう。あんまり夜遅くに来ないでくださいって。今日はもう疲れたから、次こそ必ず……)

 問題を先延ばしにしている自覚はある。だけど今言ったところでイルミさんに押し切られて終わる気がしてならない。イルミさん相手には万全の態勢で挑まないと……。
 そんな言い訳じみたことを考えながら、すっかり冷えてしまった紅茶を飲み干した。


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