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まわりくどい共犯者 2


 ある昼下がり、キルアは軽やかな足取りで屋敷の廊下を歩いていた。向かう先は姉の自室だ。彼女が部屋にいることはあらかじめ執事に確認済みだった。意気揚々と廊下を突き進み、目的の扉の前に立った。

「姉貴ー?」  

 雑に扉を叩き、呼びかける。前までは問答無用でドアを開けていたが、姉から再三ノックするように言われてきたのでちゃんと守るようになったのだ。だが、いつもならすぐに返事があるはずなのに今日に限って何も返ってこない。

「おーい、ナマエー?」

 返事を待つも、中からは物音一つ聞こえない。おかしいなと思いながらドアノブに手をかけようとしたとき、内側からドアが開かれた。ナマエは眉間に深い皺を寄せて突然の来訪者を出迎えた。

「せめて返事を聞いてから開けなさいよ……」

 ため息交じりにそう言う姉は、明らかに寝起きといった様子であった。化粧っ気のない顔には髪が張り付いているし、服も寝巻きのままだ。

「ひっでー格好。髪ボッサボサだし」
「誰のせいで叩き起こされたと思ってんのよ」
「もう昼だぜ? いい加減起きろよ」
「昨日遅かったんだもの……ああ眠い」

 そう言いつつ、キルアを招き入れるように身体を避ける。キルアは慣れた調子で彼女の部屋に踏み入った。わき目もふらずにまっしぐらにソファに突っ込んで、ぼふんと勢いよく座り込む。そして何気なく室内を見回した。以前入った時と特に変わった様子はない。さっきまで寝ていたであろうベッドの上に服やら本やらが散乱しているくらいだろうか。
 キルアはこの部屋が好きだった。華美を好まない姉らしいシンプルな部屋は、余計なものがないぶん居心地が良い。それにこの部屋にいると、姉の匂いに包まれているようで落ち着くのだ。

(ん?)

 しかし今日に限って、ほんのわずかに引っかかりを覚えた。しかしその違和感の正体を突き止めるまでもなく、姉から答えがもたらされた。

「朝まで仕事して疲れてんのよ」

 あくびを噛み殺しながらナマエがぼやく。なるほど、違和感の正体は血の匂いか。長男から不真面目の烙印を押されている姉もたまにはちゃんと仕事をしているらしい。キルアは一人納得してソファの背もたれに寄りかかった。

「ほら」

 ココアが差し出される。それを両手で受け取り、一口飲んだ。キルア好みの甘さで作られている。何だかんだ言いながらもこの姉はキルアに甘い。わがままを受け入れられていることを嬉しく思いながら、緩む口元を隠すようにカップを傾けた。

「それで、どうしたの?」

 姉は肩からずり落ちそうなガウンを直して、尋ねてきた。

「別にー? 面倒なやつに捕まる前に逃げてきた」
「あんたさてはまた訓練サボったでしょ」
「まぁね。ここが一番安全なんだよなー。イル兄も寄り付かないし」
「人の部屋を都合よく使いやがって……」

 ソファの肘掛け部分に姉が軽く腰掛け、気だるげに吐息を漏らした。どうやら疲れているというのは本当らしい。のらりくらり生きている印象がある姉の珍しい姿に、キルアはもやもやとした気持ちを抱いた。

(姉貴も結局マジメなんだよな)

 選り好みすることはあれど一度引き受けた依頼はちゃんとこなす。依頼を放棄することはゾルディックの家名に傷つけることになるからだ。
 反発しつつも最終的には家に尽くす姉。まるで自分の行く末を見ているようで、それを認めたくなくて、キルアは意を決して口を開いた。

「……オレさ、そろそろ本気でこの家出ようと思ってる」

 沈黙が生まれる。ソファの肘掛けに寄りかかっていた姉が隣に腰掛けた。横目でちらりと見た姉の顔に驚きの色はなかった。

「ま、いんじゃない?」
「いや、軽!」

 あっさりと肯定された言葉に拍子抜けする。キルアのツッコミにナマエは「だってあんたの自由だし」とこともなげに答えた。引き止められたかった訳じゃないが、こうもあっさりと肯定されるとそれはそれで釈然としないものがある。そんなキルアの心中を知ってか知らずか、ナマエはいつもの調子で続けた。

「キルアはこんな窮屈な家にいるよりも外で伸び伸びやってく方が性に合ってそうだしね。あんたがやりたいようにやればいいよ」

 そう言って微笑んだ顔は、普段より少し大人っぽく見えた。普段は適当さが前面に出ているがこうして見るとやはり年上なのだと思い知らされる。
 姉はいつだってキルアの意思を尊重してくれる。この家の誰もがキルアを押さえつけようとする中で、姉だけが自由に生きていくことを肯定してくれる。しかし、縛り付けることが愛情だと刷り込まれているキルアにとって、姉の態度は淡白にも感じられた。
 一抹の寂しさを感じながらも、その感情に蓋をしてキルアは気安い口調で切り出した。

「姉貴ならそう言ってくれると思ってた。つーかさ、窮屈だって思ってんなら姉貴も家出ればよくね? 一緒に連れて行ってやってもいーけど」
「あー、私はパス。ガキのお守りは勘弁」
「はぁ!? っんだよそれ!」

 声を荒げるキルアに姉がカラカラと笑う。断られることは予想していたが、姉の言葉は案外深くキルアの胸を抉った。

(なんで一緒に来てくんないんだよ。この家の何がそんなにいいんだよ!)

 腑に落ちないもやもやが苛立ちに変わり、言葉が勝手に口から飛び出した。

「マジ意味わかんねー。姉貴、完全に家ン中で浮いてんのに。お袋だってさっさと嫁いでほしいと思ってるはずだぜ? 厄介払いされる前に自分から出てった方がいいんじゃねーの」
「急に抉ってくるじゃん……」
「だって事実だし」

 ナマエがガックリと肩を落とす。どうやら相当食らったらしい。その情けない姿に、少しだけ溜飲が下がった。

「なー、ぶっちゃけさ、この家出て行こうとか思ったことねーの? 今までたった一度も?」

 キルアは再三繰り返してきた疑問を再度ぶつけた。いつもはぐらかされてきたけど、今日こそは姉の本音を引き出してやる。意気込んで見つめると、ナマエは若干たじろいだ。

「まぁ、そりゃあ無いって言ったら嘘になるけど……」
「ほらな!」

 勢いに圧されて目を丸くさせる姉に、キルアはさらに畳み掛けた。

「本当は一回くらい家出したことあんだろ。正直に言えって」
「今日はやけにしつこいなー。そんなの聞いてどうすんのよ」
「はぐらかすなって。てか、すぐに否定しない時点であるって言ってるようなもんじゃね? で、あるんだろ?」

 キルアに詰め寄られ、観念したのか姉が吐息を落とす。そして数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「あるよ。一回だけね」
「やっぱり。やっと吐いたな」

 求めていた答えにキルアがほくそ笑む。興がのってきて、ぐっと身を乗り出した。

「いつだよそれ」
「大昔だよ」
「昔っていつ? オレが生まれる前?」
「キルアが生まれてすぐくらいだったかな」
「ふーん。なんで家出したんだよ。またイル兄と喧嘩したとか?」
「もう覚えてないって。すぐ連れ戻されて終わったしね」

 そっけなく返される。言いたくないという空気を感じ取りつつも、キルアは追及の手を止めなかった。

「誰に連れ戻されたんだよ?」

 ナマエの瞳が微かに揺れる。そしてキルアの視線を避けるようにして答えた。

「イルミ」
「……マジで?」

 一瞬耳を疑った。まさかその名が出てくるとは思わなかった。
 姉は不機嫌さを隠しもせず、キルアから顔を背けた。そんな姉の横顔を新鮮な気持ちで眺める。意外な話にキルアの好奇心がくすぐられた。

「へー、昔は仲良かったっていうのマジだったんだ」

 途端に姉の顔が苦虫を噛み潰したように歪められる。それは対イルミによく向けられる表情だった。
 さらに問い詰めようと思ったが、その前に姉の方が強引に話を切り上げた。

「はい、もうこの話は終わり! これ以上人の黒歴史掘り起こさないで」
「はー!? ここで終わりとかありえねー!」
「終わりったら終わり。ほら、そろそろ戻んな。私もまた寝るから」
「えー」

 不満げに口を尖らせるキルアに、ナマエは苦笑混じりで諭した。

「また気が向いたら話すよ。今日はもう限界だから寝かせて」
「……絶対だからな。忘れたとか言うのナシだからな!」
「分かった分かった」

 仕方なくキルアはソファから立ち上がる。そのまま部屋を出て行こうとしたところで「あ、そうだ」と姉から思い出したように呼び止められた。

「家出するにしても、行き先は教えてよね。こっそり会いに行くからさ」

 そう言って微笑む姉に、キルアは面映い気持ちになった。先程までの苛立ちが消えていく。胸に渦巻いていたもやもやさえも霧散して、代わりに温かいものが広がっていく。
 気恥ずかしさを隠すため、キルアはわざと軽口を叩いた。

「いーけど。高くつくからな」
「えっ、金取るの!?」
「当たり前だろ。てか姉貴に教えたら他の奴らにうっかりもらしそうで怖いんだよなー」
「どんだけ信用ないの私……」

 キルアの言葉にナマエが盛大に溜め息をつく。そんな姉の様子を横目で見やりながら、キルアは部屋を出ようとした。
 そこで不意に、さっき胸を掠めた違和感がよみがえった。
 ――この姉が、今まで仕事終わりに血の匂いをさせていたことがあっただろうか?
 一瞬考えるが、思い出せない。しかしすぐに思い直した。きっと、今日はたまたまそういう日だったんだろう。姉も疲れているみたいだし、気にするほどのことじゃない。
 キルアは今度こそ姉の部屋を出た。ドアを閉める寸前に振り返ると、姉は立ち上がってキルアを見送っていた。キルアの姿が見えなくなるまで、ずっと。




 扉が閉められたのを確認したのち、ナマエは深く息をはいた。空になったマグカップをじっと見下ろす。
 そして不意に視線を鋭くし、背後の方をうかがった。
 やがて、カーテンが動く。

「外出てろって言ったでしょ」

 現れた人影に向けてナマエが冷たく言い放つ。しかし相手は悪びれた様子もなく答えた。

「すごいね、お前。すぐに姉の顔に切り替えられてさ。オレ感心しちゃったよ」
「うるさい」

 ナマエが相手を睨みつける。殺気の込もった視線を受けながらも、イルミは笑みを深めてナマエに近づいた。そして自然な動作で背後から抱きしめる。ナマエは嫌そうに眉根を寄せたが、抵抗しようとはしなかった。
 イルミがナマエの首筋に顔を埋め、血の滲む噛み跡に舌を這わせる。ナマエはわずかに身じろぎした。

「ナマエは狡いよね」

 イルミの唇がナマエの耳元に近づき、低い声で囁きかける。キルアには聞かせない声音で。

「耳障りの良いことばっかり言ってさ。本当のこと知ったらキルはお前をどう思うだろうね」

 ナマエが舌打ちをする。イルミはますます楽しげに笑みを濃くした。

「冗談冗談。言うつもりないから安心してよ」

 イルミの大きな掌がナマエの手に覆いかぶさる。指を絡ませ、ぎゅっと握り込まれた。

「オレたちの関係が知られたらキルの教育に悪いだろ?」

 ナマエは忌々しげに眉を寄せたが、結局何も言わなかった。代わりに、繋がれた手をほどいて逆にイルミの手を握る。手を握ったまま二人はしばらく黙っていたが、やがてナマエの方が先に口を開いた。それはキルアが聞いたら卒倒しそうな言葉だった。

「いいから。もう、早く……」

 その先を言う前に、イルミの唇がナマエの口を塞ぐ。
 ひめやかな情事が幕を開ける中で、部屋の隅に置かれた姿見だけがその様子を静かに映していた。


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