ふれあい不感覚
※双子の姉設定です。苦手な方はご注意ください。
「出て行くんだってね、お前」
心臓が止まりそうになる。振り返れば、私を蝕む悪夢がこちらを見据えていた。
「イルミ……」
動揺を悟られないよう睨みに近い一瞥をくれる。いつぶりだろうか。こうして声をかけられるのは。ここ数年は顔すら合わせようとしなかったくせに。最後の最後に、どうして。
どこかで控えている執事が警戒を強めるのが分かる。そりゃそうだろう。長年に渡り冷戦を続けてきた双子が対峙しているんだ。何が起きても不思議じゃない。イルミは何も言わずじっとこちらを見ている。沈黙に耐えきれなくて、口を開いた。
「よかったわね。出来損ないの姉がいなくなって」
イルミが眉を顰める。
「言いたいことはそれだけ?」
ぎゅ、と。喉元を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。何なんだ今更。今まで散々遠ざけておきながら。掘り下げたくないのは相手も同じだろうに。
「悪趣味な……」
腹の底からふつふつと怒りが込み上げて、反射的に舌を打つ。
懺悔がお望み? それならいっそ赤裸々に打ち明けてやるわ。この正気とは言えない感情を。せいぜい後悔すればいい。
「実の弟に恋愛感情もってすみませんって、床に頭つけて謝ればあんたは満足するわけ?」
最後の方は声が震えていた。イルミの顔には侮蔑の色が滲んでいるのだろう。その顔を見たくなくてうつむいた。
「安心して。もう二度と、イルミの前には」
「ねぇ、それ本気なの」
「……は?」
顔を上げれば、イルミは見たこともない顔をしていた。虚をつかれたような表情。想像と違うその反応に、すうっと手足の先が冷たくなる。
「イルミ、とっくに気付いてたんじゃ」
「お前、オレのこと好きだったんだ」
ざあ、と血の気が引いていく。胸を占める絶望感に声をあげそうになった。何ということだ。余計なことを言わなければ、このおぞましい感情を知られずに済んだなんて。取り返しのつかない失態に全身が凍りつく。しかし、イルミはさして気にした様子もなく淡々と続けた。
「その感情って肉欲も含んでるわけ?」
気付けば、その場から逃げ出していた。こんなの耐えられるわけがない。どんな悪夢より恐ろしい。
その後、夜逃げ同然に家を出た。ろくに挨拶もしない不義理な長女に家族は呆れたことだろう。だけどイルミと顔を合わせないためにはそうするしかなかったんだ。
――それからだ。あのイルミから三日とあけずに連絡がくるようになったのは。
「はぁ……」
借りたばかりのワンルームの部屋。床に座って、手に持った携帯を眺めること約数分。画面には着信の通知がいくつも表示されていた。そのすべてが同じ相手からのもの。
ようやく手に入れた自分だけの世界に介入するひとつの異物。その不穏分子が恐ろしくてしょうがない。
じっと画面を睨めつけているうちに再び携帯が震え始めた。これ以上無視すると後々面倒なことになりそうだ。観念して通話ボタンを押した。
「や。随分と出るのに時間がかかったね」
「寝てたのよ」
「ふぅん」
苦し紛れの言い訳は軽く流される。
あの家を出てから一ヶ月。どういう風の吹き回しか、イルミから頻繁に電話がかかってくるようになった。私にとってこの電話はもはや拷問に近い。
「……」
「……」
ひたすら続く沈黙に頭を抱えたくなる。お互いの息遣いが聞こえるだけの時間は苦痛でしかない。耳元で聞くのが耐えられなくて、通話をスピーカーに切り替えようとした時だった。
「姉さん」
ふいに耳に流れ込んできた声に、心臓がギクリと震えた。
「姉さん?」
返事をしない私を訝しむように繰り返される。何が姉さんだ。前はそんな呼び方、絶対にしてこなかったくせに。本当にこの弟は性格が悪い。長年疎んでいてた双子の姉の最大の弱みを握れたんだ。さぞ愉快なことでしょうよ。自ら揶揄いの材料を与えてしまったことが悔しくて、腹立たしい。
何よりも、心のどこかでイルミからの電話を期待している自分が許せなかった。お願いだから、もう私を揺さぶらないで。
「ねぇ、イルミ」
「なに?
「私が家を出るときに、あんたが聞いてきたことあったわよね」
「……」
イルミが押し黙る。自分の発言を忘れているのか、それとも反応する気も起きないのか。
「答えはイエスよ。分かったらもう二度と電話してこないで」
相手の反応を待たず、通話を終わらせる。そのまま電源を落とした。
これでもう電話してくることもないだろう。言いようのない疲労感と遣る瀬無さがどっと押し寄せて、そのまま布団に入った。今は、何も考えたくない。
――後日、私はその対応が大きく誤っていたことを思い知らされることになる。