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愛の定義を教えておくれ


 ナマエという人間を一言で表すなら、まさに都合の良い女という言葉がぴったりだった。
 呼んだらすぐ来るし、頼めば大抵のことはさせてくれるし、気が弱いからこっちが強気に出ればすぐに怯んで大人しくなる。理由を挙げだしたらキリがない。そんなやつだからオレは浮気し放題だった。鈍感なナマエは大概気がつかない。稀にバレることがあっても「一番好きなのはナマエだからさ」といえばすぐに許された。あまりにもチョロい。一応、彼女というポジションを与えてやってるのも、ナマエが他の女より懐柔しやすくて楽だったからという理由に他ならない。
 口説いたのはこちらからだ。でも、手に入れた途端にどうでも良くなったのも事実。オレはナマエになら何をしてもいいと蔑ろにしていた。それでも上手くやっていると思っていたんだ。

「別れたい」

 退屈なデートを早々に切り上げ、いつも通りホテルに連行してやることやった。その後のこと。気怠い体と妙に冴えた頭を持て余し、安物のベッドに横たわって携帯をいじっていた時のことだ。
 突然告げられた別れの言葉にイラっとくる。今そんな気分じゃないことくらい分かるだろ。空気読んでくれよ。無視して携帯をいじり続けていると、ナマエはさっきより大きい声で同じことを繰り返した。

「私、シャルと別れたい」
「あーそう」
「シャル、私、本当に……」

 視線だけで横を見ると、ナマエは悄然とうつむいていた。裸のまま正座して。なんだか滑稽だ。
 女ってやつはどうしていつもこうなんだ。別れる気なんてこれっぽっちもないくせに。まさかナマエまでこんなつまらない手を使ってくるなんてね。がっかりだな。
 あーあ!と大きく声をあげれば、視界の端の剥き出しの肩がびくりと揺れた。ナマエは今にも泣き出しそうだった。だから、こいつが大好きな笑顔で言ってやった。

「いいよ。別れよう」

 ナマエの表情が固まったのを確認してから、オレは視線を携帯に戻した。この後の展開は容易に想像できる。きっとナマエは目に涙をいっぱい浮かべて、必死の形相で別れたくないと縋り付いてくるだろう。ナマエはそういう女だ。
 しばらく沈黙が続く。そろそろしゃくりあげる声が聞こえてくるかと思いきや、予想はおおきく外れた。

「分かった」

 凛とした語勢に吃驚する。思わずナマエの方を見ると、ベッドから身を起こそうとしているところだった。スプリングが軋む音がやけに耳障りに聞こえて、舌打ちが漏れそうになる。無性に腹が立って、怒りをぶつけてやりたくなったけど、それはプライドが許さなかった。そうしている間にナマエは床に散らばっていた服を拾い上げ、身支度を終えてしまった。

「じゃあ、さよなら」

 それだけ言って、ナマエは部屋を出た。去り際に見えた、感情が抜け落ちたような横顔をやけに印象的だった。あれ、もしかして本気で怒らせちゃったかな。……ま、いっか。ナマエだし。どうせそのうち耐えられなくなって向こうから連絡してくるに決まっている。

 しかし、その日を境にナマエからの連絡はぱったりと途絶えた。



 一週間が経った今日。オレは団長からの呼び出しで仮宿である街外れの廃屋に出向いていた。適当な場所に腰をおろし、同様に呼び出された団員を待つ。いつもなら遅れてくる奴らに小言の一つや二つ言ってやるのだけれど、今日はどうにもそんな気になれなかった。原因は分かっている。手の中で沈黙を貫いている相棒のせいだ。
 あの日から一週間。ナマエからの連絡は、まだない。
 はじめは怒りを覚えていた。ナマエのくせに生意気だと。しかし日が経つにつれて、降り積もる怒りの感情に焦燥が混じるようになった。ナマエのやつ、すぐ音を上げて連絡してくると思っていたのにどうやら今回は粘るつもりらしい。

(イライラするなぁ……)

 どうせオレから離れられないくせに、無駄なあがきを続けるナマエに。そして、ナマエごときに感情をコントロールできない自分にも腹が立って仕方なかった。
 心の中で毒づきながら携帯の画面を睨みつけていると、視界の端にフィンクスの姿が映り込んだ。迷いのない足取りでこちらに近づいてくるのが見えてひとまず携帯をしまう。

「何イラついてんだよ」
「……誰が?」
「お前以外に誰がいんだよ」

 内心で舌を打つ。フィンクスに気づかれるなんて不覚にも程がある。さっさと話題を変えてしまおうと口を開くが、一歩遅かった。

「女に捨てられでもしたか?」

 不意打ちの一言に思わずピクリと反応してしまった。フィンクスは一瞬目を丸くさせたあと、にやりと口角を持ち上げた。
 くそ!普段鈍いくせに、どうしてこういうときだけ鋭いんだよ!

「んだよ、マジか」
「ちがうってば!捨てられたんじゃなくてこっちから捨ててやったんだよ」
「ほー?それにしては随分と引きずってるみてェじゃねーか」

 にやにやしながら隣に座られ、ため息がもれた。ダメだ、感情が制御できない。

「意外だぜ。お前、何でも上手くこなしそうなのにな」
「上手くやってるさ。何の被害も受けてないし」
「じゃあ何でそんなイライラしてんだ?」
「だからしてないって!……本当は別れたくないくせに、意地張って連絡してこないのが面倒だなって思ってただけだよ」
「あー?んだそれ」

 よく分からないって顔をしながらフィンクスが後ろ頭をかく。これ以上会話をする気になれなくてオレは顔を背けた。もう何を言われてもスルーしようと携帯を取り出すが、次にフィンクスから発せられた一言で強制的に意識を引き戻された。

「つか、それもう終わってんじゃねぇか?」
「はぁ?」

 危うく携帯を落とすところだった。

「何言ってんのフィンクス」
「どんくらい連絡きてねーんだ?」
「……一週間だけど」
「そりゃもうねェだろ。向こうは終わったつもりだろーよ」
「ないない。相手はオレと別れる気なんて更々ないよ。心底オレに惚れ切ってるから」
「お前……」

 妙に白けた沈黙が落ちる。フィンクスは何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。何だよ、その顔。

「シャルになに言ても無駄ね」

 沈黙を破ったのはいつのまにか到着していたらしいフェイタンだった。その一言にフィンクスは「そうだな」と頷き、呆れた眼差しを向けて離れていった。
 だから、何なんだよお前らのその反応!


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