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ニューロンに蛆が湧きましたか


「こんなに誰かに惹かれる日が来るなんて思いもしませんでしたよ」

 不快なBGMを聞き流しながらメインディッシュの肉を頬張る。向かいに座ったパリストンは組んだ指に顎を乗せて楽しげにこちらを見ていた。

「いやぁ、恋が人を狂わせるって本当だったんですねぇ! 四六時中ナマエさんの事ばかり考えてしまって仕事も手につかないですよ」

 狂っているのは元々だろうと言いたくなるのを抑えて、口の中のものを嚥下する。私はフォークを動かす手を止めて、戯言を垂れ流す男を見た。

「私のような凡庸な女に構うなんてパリストンさんは物好きですね」
「おや、随分とご自分を卑下なさるんですね」
「事実ですから。私ではパリストンさんに釣り合いません」
「とんでもない! ナマエさんは素晴らしい女性ですよ! ボクの目に映る貴女がどれほど魅力的か説明しましょうか?」
「結構です」

 即答すると彼はわざとらしく肩を落として見せる。

「つれないなぁ……でもね、ボクは諦めないですよ。これからゆっくり時間をかけて口説き落としていきますから」

 そう言って彼は微笑んだ。その自信に満ちた笑みには一片の曇りもない。その表情、仕草、言い方全てが不愉快でたまらない。どうしてこの男はこうも人の神経を逆撫でするのが上手いのだろう。しかしここで冷静さを欠いてはならない。私は努めて平静を装いながらワインを口に含んだ。
 パリストンが一体何を企んでいるのか分からない。ただひとつ言えることは、不幸にもこの化け物の獲物になってしまったということだ。
 逃げても無駄だろう。歯向かうのも悪手。こちらが嫌がれば嫌がるほど喜ぶ人種だということは今までの経験上よく知っている。ならばどうするか──パリストンの手中に収まる前に、自ら身を投げればいい。俎板の鯉になるつもりはないが、少なからず相手の興味を削げるはずだ。ハンターという生き物は手に入れるまでは執着するが、手に入れたらすぐに飽きる者が多い。おそらくこの男もその類いだろう。

「私のどこを気に入ってくださったのか知りませんけど……」

 そこで言葉を切って、目の前のうさんくさい顔面を見据えた。

「一回セックスすれば気が済みますか?」

 途端に、パリストンの上がったままの口角がわずかに引き攣った。

「私は別に良いですよ。パリストンさんならいい思いさせてくれそうだし、後腐れもなさそうですしね」

 ことさら下卑た言い方で続ける。格式張ったレストランにはおよそ似つかわしくない発言だと自覚している。私ならこんな話題振られた時点で席を立つだろう。少しでもこの男の興を削ぐことが出来ればいいと思いながら相手の反応を待つ。――しかし、パリストンの笑顔は崩れなかった。

「……くくっ」

 パリストンは押し殺した笑いを漏らすと、やがて堪えきれないといった様子で笑い出した。何がそんなにおかしいのか、ひとしきり笑うと目尻に浮かんだ涙を拭って再び顔を上げる。彼の瞳はまるで玩具を与えられた子供のように無邪気に輝いていた。

「やぁー、これは予想外。まさか貴女の口からそんな台詞が出てくるなんてね。ナマエさんの新たな一面を知れましたよ」
「幻滅しました?」
「まさか! むしろますます興味が湧きましたね」
「そうですか」

 笑いの余韻を引きずりながらおかしそうに喋るパリストンに、私は内心臍を噛んだ。
 恥を捨て、多少なりとも白けさせるつもりだったのだが逆効果だったようだ。悔しさにポーカーフェイスが崩れそうになるのを必死に押し留め、挑発的な視線を向けた。こうなったらもう引き下がれない。

「で、どうしますか?」
「そうですねぇ。せっかくのナマエさんからのお誘いですし、ボクとしては是非とも期待に応えたいところですが……」

 パリストンは思案するように目を伏せると、不意にテーブルの上にあった私の手に自身のそれを重ねた。反射的に手を引こうとするも、強く握られて叶わなかった。抗議の目を向けてもパリストンは動じることなく指先に力を込める。

「――後腐れなく、はどうですかね。余計に手放せなくなるかもしれませんよ?」

 パリストンが目を細めて囁く。その瞳は笑っているように歪んでいた。
 パリストンは普段通り爽やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。けれど、普段とは明らかに目つきが違っていた。光量を落とした照明の下、彼の双眼だけが異様に爛々としている。
 ぞくりと背筋が震えた。それは恐怖から来るものだったかもしれないし、或いは別の感情からくるものであったかもしれなかったが、少なくともその瞬間、私は間違いなく動揺していた。
 たまらず強引に手を引き抜いた。パリストンは名残惜しそうな顔をしてみせるが、その目の奥は笑っている。私は警戒心を露わにして相手を睨め付けた。

「……やっぱり、パリストンさんは悪趣味ですね」
「そうですか? ボク、人を見る目には自信があるんですけどねぇ」

 思わず眉間にシワを寄せると、パリストンは破顔した。その余裕が憎らしくてたまらない。脳裏に浮かぶのは完敗の二文字だった。
 それ以上何も言う気になれず、私はフォークを手に取って残りの料理を口に運ぶ。しかし味などもう分からなかった。先ほどまで感じていたはずの食欲もすっかり失せてしまって、ただ機械的に咀嚼することしか出来なかった。


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