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しどもなき鴉の番


 恋人に振られた。一年ほど付き合った相手だった。優しい人だったのに別れ際はひどく素っ気なくて、私への気持ちなど微塵も残っていないのだと思い知らされた。心にぽっかり空いた穴をどうやって修復したらいいか分からず、部屋に閉じこもってひたすら涙に暮れる日々。今日も気付いたら日が落ちていて、無為な時間を過ごしたことに更に気が滅入る。世界を遮断するため、きつく目を瞑り立てた膝に顔を埋めた。
 そんな折だった。傷つけられた心をさらに踏み躙る男が現れたのは。


「お前、泣いてるか」

 頭上からせせら笑う声が落ちてきて、頭を持ち上げる。涙で滲んだ視界に黒い塊が映り込んだ。

「フェイ……」

 私の顔を見たフェイタンが笑った。下瞼が持ち上がって細い三日月型になった瞳はまるで鋭利な刃物のようで。心を手酷く切りつけられる予感がした。

「また男に捨てられたか?」
「…っ」

 ずばり言い当てられて息をのむ。フェイタンはさらに笑みを深めた。ああ、どうしてこう最悪なタイミングで現れるんだこの男は。

 フェイタンとは共に流星街で育った昔馴染みだ。育った場所は同じでも私とフェイタンの人生は真逆だった。流星街での血生臭い毎日に嫌気がさした私は、あらゆる手をつかって堅実な勤め先を見つけ、ごくまっとうな生活を送っている。それもすべては“普通の幸せ”を手に入れるため。普通に恋愛して、結婚して、幸せな家庭を築きたいという願い。そこまで多くは望んでいないはずなのに、どうしてこう上手くいかないんだろう。

 ふたたびうなだれると、目尻に溜まっていた涙が床に落ちる。あのフェイタンも今日くらいは情けをかけてくれるんじゃないかって、一縷の望みをかけて悲嘆な思いを吐き出した。

「どうしていつもこうなっちゃうんだろ…。私はただ、ふつうに幸せになりたいだけなのに…っ」
「普通?ナニソレ」

 いちど決壊するともう止められなくて、思い描く幸せな人生設計を涙ながらに語ると「気持ち悪。お前それ頭のビョーキね」と吐き捨てられた。この男に慰めを期待した私が馬鹿だった。
 こんな時に縋れる相手がフェイタンしかいないことにも絶望して、さらに気持ちが沈んでいく。ぐすぐすと鼻を鳴らしていたら、頭の上から盛大な舌打ちが降ってきた。

「いつまでその見苦しいツラでいるつもりか。目障りね」

 頭に血がのぼる。言い返したくなったけど、唇を噛んでこらえた。感情的にまくしたてたところで良いことなんて一つもない。過去の経験からよく分かっている。そして、おそらくこのまま泣いていたら苛立ちのピークに達したフェイタンに蹴り飛ばされるのがオチだろう。私が優しくて穏やかな人ばかり好きになるのは確実にこの男が原因だ。
 これ以上傷つけられないためには無理矢理にでも立ち直るしかない。

 意を決して、立ち上がる。まずは気を静めるために冷蔵庫を開けて水をごくごく飲んだ。喉が潤ったところで、クローゼットを開く。目についたキャンバス地のトートバッグを引っ掴んで部屋中を徘徊した。「気でも狂たか?」というフェイタンの声を背に受けながら、元恋人との思い出の品を次々にバッグの中へ放り込む。ズシリと重くなったそれを片手にフェイタンのもとへと歩み寄った。

「これ燃やすの手伝って」
「なぜワタシが」
「いいから付き合って!」

 もうヤケクソだった。距離を詰めて、腕を掴む。すぐ振り払われるかと思ったけど、フェイタンの反応は鈍かった。細い眉を顰めるだけ。

 そのまま引きずるようにして外へ出た。散々泣いたおかげで目が腫れてひどい顔になってるだろうけど構いやしない。見られて困る相手なんてもういないのだから。

 意地になって前進して、やがて公園にたどり着いた。夜中の公園は人っ子ひとりいない。私は持っていたバッグを砂利の地面に放り投げた。隣から向けられる迷惑そうな視線を無視してしゃがみ込む。ポケットからマッチ箱を取り出し、素早い動作でマッチを擦った。こういうのは勢いが大切だ。さっさと済ませてしまおう。
 心の奥底で制止する声を無視してマッチを落とす。火はすぐに燃え移った。中身が写真や手紙といった紙類が多かったせいか、思ったよりよく燃えた。あっという間に炭と化していく思い出を前に、抱いた感慨は「あっけない」ただそれだけだった。

 横目でフェイタンを見ると、いつもの不機嫌な顔で火を見下ろしていた。でも一瞬だけ、唇がひそやかな笑みを浮かべたように見えたのは気のせいだろうか。

 なんだか“普通の幸せ”のための人生設計図さえも燃えていくような気がしたけど今はどうでもいい。ひさびさに晴れやかな気持ちだった。


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