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背骨に歯を立てて


 ああ、もうやってらんない。扉をつま先で軽く小突く。手に持ったトレイの上の食事はとっくに冷え切っていた。あーあ、もったいない。恨めしい気持ちで鉄製の扉を睨みつける。最後にこの扉が開かれたのは三日前だっけ。ファミリーのボスが引きこもりとか笑えない。

 ノストラードファミリーの若頭であるこの男はしばしば消息が不明になることがあった。元々単独行動の多い奴だ。二、三日姿が見えなくても気にしたことはなかったけど、たまたまセンリツがぼやいているのを聞いてしまった。クラピカが地下室から出てこないの、と。

「調べ物でもしてんじゃないの?」
「そうだとしても心配よ。ろくに食べずに引きこもってるんだもの」

 呆れた。本当にあの男は周りをヒヤヒヤさせる天才だと思う。

「子供じゃないんだから放っておきなよ」
「そうしたいのは山々なんだけど……」

 悄然と溜息を吐く彼女がひどく不憫に思えた。
 クラピカは身近に他人を置くことを嫌がる。だから自ずと奴の行動を知る人間も限られていた。センリツ一人で抱えるには荷が重いだろう。このままでは彼女が体を壊してしまう。共倒れなんてさすがに笑えない。

「私が様子見てくるよ」

 センリツの両眉が僅かに上がる。まさか協力を買って出るとは思わなかったのだろう。クラピカを毛嫌いしてるこの私が、だ。
 センリツから向けられるうろんな視線を笑い飛ばす。そして「これ以上センリツの心労を増やすつもりはないから安心してよ」と付け加えた。

「じゃああなたにお願いするわ。でも揉め事はよしてね」
「分かってるって」
「あと許可なく扉を開けないように注意して」
「……それクラピカの命令? ワガママお坊ちゃんにもほどがあるんじゃない」
「違うわ。ただ、誰にでも邪魔されたくない時間ってあるものでしょう」

 呆れを通り越して感心する。あの男にどうしてこんなにいい仲間ができるんだろう。


 ノックしてから数十分。私にしては根気強く待った方だ。もういいか。食事が乗ったトレイを近くにあった丸椅子に置く。空腹で死にそうになったら出てくるでしょ。まったく、命を粗末にする奴なんかに構っていられない。踵を返そうとした時、ギイと錆びついた音が耳をついた。
 ゆっくりと開かれた扉の中から憔悴した様子のクラピカが出てきた。訪ねてきた相手が私だと分かると、クラピカは目元のあたりにわずかに険しさを走らせた。

「どうした?」
「お届け物でーす」

 椅子に置いた食事を指差す。クラピカは視線を落とすと「あぁ」という気の抜けた声をあげた。

「ノックしたんだけど聞こえなかった?」
「寝ていたから気付かなかった」
「いいご身分ねぇ」

 皮肉をふんだんに込めてそう言ってやるが、クラピカは歯牙にもかけずトレイを手に持った。ほんっと、いけ好かないやつ。

「ねえ、ここで何してるの?」

 先ほどチラっと見えた地下室の内部。そこには驚くほど何もなかった。あるのは蝋燭の火に灯されている緋の眼だけ。

「お祈りでもしてるわけ?」
「……近いかもしれないな」

 自嘲気味な笑みは、この男らしからぬ表情だった。暗い部屋でたったひとり。同胞の眼球を見つめて何を想う?
 私はしばし呼吸を止めた。わけがわからずこみ上げてくるものがあり、それを誤魔化すように短く息を吐き出した。

「感傷に浸るのは勝手だけど食事くらい摂りなよ。自分の体を痛めつけて楽しい?」

 今度はさすがに看過できなかったのか、クラピカは眉を顰めて苛立ちをあらわにした。

「そんな趣味はない。自分の限界は分かっているから放っておいてくれ」
「どの口が言ってんだか」
 
 鼻先で笑えば剣呑な空気が増していく。
 昔からこの男のこういう所がひどく気に入らなかった。仲間の思いを無下にして、一心不乱に復讐に身を捧げて。その果てに一体何があるというのか。

(怒りなんて、風化してしまえばいい)

 それはクラピカの周囲にいる誰もが胸に秘めいている思いだろう。しかし誰一人それを口に出すことはない。伝えたところで彼が聞き入れないことを分かっているからだ。
 それでも私はクラピカを否定し続けた。あんたがしていることは馬鹿馬鹿しいことだって何度も、何度も。そんなものはいつでも投げ出していい。すべてを忘れて生きてもいいんだ。
 でもきっとクラピカに私の声が届くことはないだろう。復讐を果たし、すべての緋の眼を取り戻したとしても。

「じゃ、のたれ死なないように頑張って」

 それだけ言い捨てて踵を返した。クラピカの強い視線を背中に受けながら、地下室を出る階段を登る。
 
 私にはどうしても果たしたい望みがある。それはクラピカより一秒でも長く生きて、クラピカが死ぬときは「ざまあみろ」って言ってやることだ。私は最後まであんたを否定してやる。その時は、私という人間をそばに置いたことをせいぜい後悔すればいい。


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