相対の光




 イルミの目が見開かれる。まるで雷にでも打たれたかのような驚きがその顔に浮かんでいた。イルミにこんな顔させられる人間なんて、きっとそうそういない。そう思うとちょっとだけ胸がすく思いがした。
 だけど言ったそばから耐え難い羞恥心が込み上げてくる。顔から火が出そうなくらい熱い。心臓はうるさいくらい脈打ってるし、変な汗も滲んできた。

(あーもう、何言ってるんだろう私)

 心の中で自分の発言を振り返ってしまい、悶絶しそうになる。でも言わずにはいられなかったのだ。私の中の何かが溢れて止まらなくなってしまったから。
 ここまできたらもう全部打ち明けてしまおう。と、半ば開き直りのような境地で口を開いた。

「ずっと自分の感情を信じられなかった。きっとこの気持ちも針によってねじ曲げられたものだと思ってたし」

 でも、と私は続ける。

「除念が済んで、この気持ちも何もかも私自身のものだってやっと分かったの。針があろうとなかろうと私の気持ちは変わらない」

 そう言い切って、真っ直ぐイルミを見つめる。互いの視線が絡み合い、時が止まったかのように感じられた。実際にはほんの数秒のことだったのだろうけど、私にはそれが永遠のように長く思えた。
 イルミはしばらくの間黙り込んでいたけれど、やがてゆっくりと息を吐き出した。

「……お前、今度は何を企んでるの?」
「え?」

 予想外の反応に虚を衝かれる。
 イルミの目には戸惑いと疑心の両方が見え隠れしていた。

「あれだけオレを拒み続けたくせに、急に好きとか言い出すなんておかしいでしょ。何か裏があるとしか思えない」
「はぁ!?」

 あんまりな物言いに愕然とする。
 人が勇気を振り絞って告白したというのに、この男は!

「裏なんてあるわけないじゃん」
「どうだか。ここでオレを懐柔して油断させておいて、後で報復するつもりなんじゃないの。そうじゃなきゃお前がオレを好きなんて言うわけない」

 どこまでも疑り深いイルミに、だんだん腹が立ってきた。私のことを何だと思ってるんだ!

「そんなわけないでしょ! なんでそこまで捻くれてるのよ」

 憤慨して言い返すと、イルミは目を眇めた。

「一度欺かれた身としてはナマエの発言を鵜呑みにはできないね」
「欺くって……」
「あの日、中庭でオレに言ったこと、もう忘れた?」

 その言葉で、ゾルディック家から逃亡する前夜の出来事が頭をよぎる。
 確かにあの夜の私の発言はイルミの目を誤魔化すためのものだったし、そう思われても仕方がないのかもしれない。でも、あの時と今では状況がまるで違う。

「イルミを騙すような真似をしたことは認める。でも、あの時言ったことだって嘘だったわけじゃないよ」

 イルミは無表情のまま沈黙した。しかしその目は油断なく私を観察し続けている。

「じゃあ何? まさか本気でオレのことが好きだとでも言うつもり?」
「だからそうだって言って、」
「なら一時の気の迷いだね」

 言いかけた言葉を遮られて思わず口を噤む。

「針を抜いたばかりでまだ正常な判断が出来てないんだよ。冷静になれば自分の言動を後悔することになる」
「そんなことない!」

 強く否定するけれど、イルミはまるで取り合わない。

「じゃあナマエはまったく針の効果が残ってないと言い切れるの? 除念は完了したって豪語してるけどあの除念師をそこまで信用する根拠は?」

 痛いところを突かれてぐっと言葉に詰まる。確かに針の効果が完全に消えたかどうかは分からない。私がどれだけ正常だと主張しても針の影響が残っていないという確固たる証拠にはならないだろう。でも、だからといって私の気持ちを否定される筋合いもない。

「勝手に私の気持ちを決めつけないでよ」
「客観的事実を言ってるだけなんだけど」

 頑ななイルミに苛立ちが込み上げてくる。同時に、ここまで信じてもらえないものかと多少ショックも受けた。
 正直まだ受け入れられない部分もあるけれど、この気持ちは紛れもなく私のものだという自信がある。散々自問自答を繰り返して、ようやく自分自身と向き合うことができたのだ。なのに肝心のイルミがそれを信じてくれないなんて悲しいし、悔しい。

「どうしたら信じてくれるの?」

 気付けば縋るように尋ねていた。このまま気持ちを無かったことにされるなんて耐えられない。
 イルミはしばらくこちらを観察していたけれど、やがて「そうだね」と呟きを漏らした。そしておもむろに私の腕を掴むと、ぐっと引き寄せて耳元に顔を寄せてきた。

「オレのどこがそんなに好きなのか、納得できる理由を説明してみせてよ」
「なっ……」

 予想外の要求に絶句する。
 なんてことを聞いてくるんだこの男は。

(そんな小っ恥ずかしいこと、言えるわけない!)

 抗議しようと口を開きかけるが、イルミの目がそれを制す。有無を言わせぬ威圧感を感じてぐっと言葉を飲み込んだ。

「ほら、どうしたの? できないならやっぱりお前の気持ちはまがいものってことだろ?」 

 意地悪く追い打ちをかけられ、カッと顔が熱くなる。イルミに恨めしげな視線を送ってみるけど、引く気がないことは明白だった。こうなっては私が折れるしかない。

「だから――その……」

 ごにょごにょと口ごもりながらも何とか気持ちを伝えようと努力する。が、上手く言葉にできない。そもそも自分の中で渦巻いているこの感情をきちんと理解しきれているわけじゃなかった。

(どこが好きかなんて、そんなの私の方が知りたいくらいだよ)

 どうしてイルミなんだろう。イルミの異常性は嫌というほど実感しているし、過去に受けた仕打ちは今でも忘れられない。どう考えても好きになる要素なんてないはずなのに、それがどうしてこんな風になってしまったんだろう?
 それでもイルミに信じてもらうためには、彼を好きになった理由を説明するしかない。そう考えると途方もない羞恥が込み上げてきて逃げ出したくなるけれど、ここで逃げたらもう二度と信じてもらえない気がする。それだけは何としても避けたかった。
 深く息を吸い込み、何とか気持ちを落ち着ける。イルミは無言のままじっとこちらを観察しているようだった。一挙手一投足も見逃さないと言わんばかりの眼差し。私はこれまで幾度となくこの視線に晒され、そしてその度にあらゆる感情を引き出されてきたことを思い出す。そして同時に、これまで知らなかったイルミの一面を次々と知っていったことも。

(――あ、これだ)

 ふと、ひとつの答えが心の中に舞い落ちる。その瞬間、これまで私の中に点在していた気持ちの核のようなものが繋ぎ合わさった気がした。

「イルミは、私のことをちゃんと見てくれたから」

 ぽつりと呟くと、イルミの目が訝しげに細められる。私は構わず続けた。

「ゾルディック家に来たばかりの頃は誰も私の存在なんて気にも留めてなかった。私はただの訓練の実験台で、ゾルディック家にとってはそれ以上でも以下でもない。それが普通だと思ってたし、あの頃はとにかく生き延びることに必死だったから何も感じなかった。……いや、感じないようにしてたっていうのが正しいかな」

 ひとつ喋ると、堰を切ったように溢れ出した。言葉にするうちに、胸の内に抱えていた気持ちが少しずつ明確になっていくのを感じる。

「でも、イルミと関わるようになってから少しずつ変わっていったの」

 はじまりは、イルミがキルアに針を刺そうとする場面に遭遇したときだ。それまでイルミは私に対して何の感情も抱いていなかったはずだった。しかしイルミの行為を妨害したことによって、無関心ではいられない相手として彼の視界に入るようになった。
 次に明確に変化が訪れたのはキルアの教育係に任命されたとき。あの日を境に、私はイルミにとっての敵として認知されるようになったのだ。

「最初は生きた心地がしなかったよ。ずっと息を潜めて生きてきたのに、よりにもよって一番恐ろしい相手に目を付けられちゃったんだから。けどそれは、初めて実験台以外の存在として認識されたってことでもあった」

 言葉にして初めて気付く。そうだ、私はずっと自分を見てほしかったんだ。それは言葉にすればとても単純なことだけど、私にとってはとても大きな意味を持っていた。
 ゾルディック家に来て以来、自分の存在が霞んでゆくような不安感を抱えていた。でも、イルミが私を敵と認識したことで、初めて私という存在が認められたような気がしたのだ。

「イルミは私の存在を無視しなかった。訓練の実験台としてじゃなく、私そのものをちゃんと見てくれた。あの家でまるで死んだように生きていた私に、イルミはもう一度命を吹き込んでくれたんだよ」

 そこまで言うと、大きく息をついた。思いの丈をぶつけるというのは想像以上に体力を使うものだ。喋りすぎたせいで息が切れているし、頭はくらくらしている。それでも胸につっかえていたものが取れたような感覚がして、清々しい気分だった。これまで自分が抱いてきた気持ちの核となる部分を言葉にしたことで、ようやく自分の感情を理解できた気がした。

「だから私はイルミを――」

 好きになったんだと思う、と続けようとして言葉に詰まる。イルミがこちらをじっと見つめたまま微動だにしないことに気付いたからだ。その視線に射竦められ、急速に頭が冷えていく。

「……え、えーと……以上です」

 気まずさに耐えかねて、早口でそう付け加える。なんだか急に恥ずかしくなってきた。何を真面目に語ってるんだろう私。
 イルミは何も言わない。何を考えているのか分からない無表情でただ私のことを見つめているだけだ。その様子に、急に不安が込み上げてきた。
 どうしよう、全然伝わってない気がする。というか、相当的外れなことを言ってしまったんじゃないだろうか。こんなあやふやな説明じゃ信じてもらうどころかますます疑念を深めてしまったかもしれない。

「あの……」

 居た堪れなくなって呼びかけると、イルミはようやく我に返ったように瞬きした。そして薄く嘆息して目を逸らす。

(あれ?)

 もしや呆れられたのではと一瞬不安になったけど、その横顔はどこか戸惑っているようにも見えた。

「まさかそんな理由だとは思わなかった」

 ぼそりと呟く声からはいつもの毒気が抜け落ちている。私はてっきり罵倒されるか鼻で笑われるかのどちらかだと思っていたので、意外な反応に目を瞬かせた。

「ナマエは本当に予想の斜め上を行くよね。ここまでいくといっそ感心するよ」
「いや、それ褒めてないよね?」

 あまりの物言いに思わず口を挟むと、イルミはふっと頬を緩めた。その笑みがなんだかいつもより柔らかい気がしてどぎまぎする。

「けど、まぁ……うん」

 イルミはそこで言葉を切ると、私に向き直った。

「ナマエの言い分は分かった」
「え、それじゃあ……」
「ま、及第点ってところかな」

 居丈高に言われて思わず脱力する。何様なんだこいつは。

(でも、とりあえず信じてもらえたってことでいいんだよね?)

 少しだけほっとして肩の力を抜く。それも束の間、イルミは不意にこちらへ手を伸ばすと、あっという間に私を抱き上げた。


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