鳴り止まない傷だらけの僕たち




 無事に国境まで辿り着いた私は、付近の街へと向かう車を探し、交渉を重ねてどうにか乗車の許可を得た。運転手の男は身ひとつで声をかけてきた私に訝しげな目を向けていたけど、謝礼にと差し出した紙幣を見たらコロッと態度を変えた。どうやら流星街で稼いだ金は近隣国でも通用するらしく、そのまま国境の検閲所も通過することができた。そうして数時間ほど車に揺られたのち、ようやく国境付近の街に到着したのだ。
 街に送り届けてもらう途中で、現在地がヨルビアン大陸の東端にあるビザド共和国であることが判明した。当初の目的地であったアイジエン大陸から想像していたよりもだいぶ離れていたことに驚く。

(流星街もヨルビアン大陸内にあるってことか)

 シャルとの約束がある以上、再びあの地に足を踏み入れることになるかもしれない。そう考えると憂鬱だけど、今はとにかく先に進むことに集中しようと頭を切り替えた。

 目的地に向かうためには大陸を越える必要があるため、飛行船に乗らなければならない。まずは飛行船の発着場がある首都まで列車を乗り継いで移動し、そこから飛行船に乗り換えた。
 その後、二日ほどかけてようやく目的の地へと辿り着くと、そこにはかつて訪れた時と変わらない景色が広がっていた。街のシンボル的な存在となっているタワー型の建造物を見て、懐かしさに目を細める。実際は数ヶ月ほどしか経っていないはずなのに随分と昔の出来事のように感じるのは、それだけ色々なことがあったからだろうか。

「さてと」

 感傷に浸っている場合じゃない。私はぐっと拳を握り締めると、決意を新たに歩き出した。



 天空闘技場に到着すると、まずは受付に向かった。本日の試合表を確認して、目的の人物の名前を探す。しかしあいにくとそこに目当ての名前は見当たらなかった。どうやら今日はオフらしい。

「ってことは、ホテルの方か」

 以前聞いた彼の滞在先を思い出す。ここからそう遠くない場所だったはずだ。私は早速ホテルへと向かい、フロントを素通りしてエレベーターに乗り込んだ。
 上昇するエレベーターの中で、これから対面するであろう人物の姿を思い浮かべる。一体どんな顔をされるだろうか。少なくとも好意的な反応は期待できないだろうけど、それもすべて覚悟の上だ。
 長い長いエレベーターが停止すると同時にゆっくりと扉が開く。廊下へと足を踏み出すと、そのまま一直線にある部屋まで迷いなく突き進む。そうして辿り着いた扉の前で一度深呼吸をしてから意を決してドアをノックした。
 数秒後、扉の向こうからかすかに物音が聞こえてくる。やがて開かれた扉の先には、驚愕の表情を浮かべた人物が佇んでいた。

「――は? ナマエ?」

 呆然と呟いて立ち尽くすキルア。私は片手を上げて「久しぶり」とだけ告げた。
 キルアは未だに状況が飲み込めていない様子で瞬きを繰り返している。その視線を一身に受けながら、私は部屋の中に足を踏み入れた。後ろ手で扉を閉めると同時に、ようやく我に返ったらしいキルアが声を上げる。

「おまえ、なんでここに……」
「キルアに話があって来たの」

 単刀直入に伝えると、キルアはぎゅっと眉根を寄せた。その表情は不快というよりも何かを堪えているかのように見えた。

「オレはナマエと話すことなんてねえけど」

 キルアは顔を背けながら言った。その声は固く、拒絶の色が滲んでいる。

「イル兄はこのこと知ってんのかよ」
「まぁそれはおいおい説明するとして、とりあえず……」

 私はキルアの言葉を遮って一歩踏み出した。突然の私の行動に、キルアは面食らった様子で後退る。しかし構わず近づき、そして──次の瞬間、キルアの脳天に拳骨をお見舞いした。

「いっっっでぇ……!!」

 ゴンッという鈍い音と共に、キルアが頭を押さえてその場にうずくまる。

「おまッ……いきなり何すんだよ!!」

 涙目になりながらキルアが抗議の声を上げる。私は腕組みしながらふんと鼻を鳴らした。

「毒盛られた仕返し。あの時はよくもやってくれたね」
「ナマエが悪いんだろ! オレを置いて出て行こうとするから!」
「だからってあそこまですることないでしょ。あと少しで死ぬところだったんだよ、私」
「それは、だって……」

 さすがに罪悪感があるのか、キルアは唇を噛み締めて黙り込んだ。逸らされた瞳は大きく揺れている。その様子を見て、私は内心ほっとしていた。闘技場で意識を失う直前に見た、虚ろな目をしたキルアの姿が脳裏に焼き付いて忘れられずにいたから。あの時、もう二度とキルアとは以前のように話せないかもしれないと覚悟したくらいだ。だからこうして再び面と向かって話せているだけで心の底から安堵していた。

「あのね、キルア」

 しゃがみ込んでキルアと目線を合わせる。どんな言葉が返ってくるのか不安で堪らないけれど、それでも言わなければならないことがあるから──覚悟を決めて口を開いた。

「何も相談しないで出て行こうとしたこと、反省してる。誰よりもまずはキルアに話さなきゃいけなかったよね。それなのに私は自分のことしか考えてなかった」

 キルアは黙ったまま耳を傾けている。私はさらに続けた。

「あの時はとにかく解放されたくて必死で、そのためには全てを断ち切るしかないって思い込んでた。そうすることでしか自由になれない、前に進めないんだって」

 降って湧いた可能性に私は浮かれていた。自分の意志で何かを選び取るなんて初めてのことだったから、後先考えずに一人で突っ走ってしまったのだ。

「でも、それは間違ってたんだって今は思う。あの家で過ごしてきたことも、抱えてきた色んな感情も、全部私の一部で無かったことになんてできない。なのに、無理やり自分の中から切り離して逃げようとした」

 自分はゾルディック家の人たちとは違う、決して相容れないのだと決めつけて、向き合うことから目を背けて逃げようとしていた。それがどれだけ相手を苦しめ、掻き乱す行為かなんて考えもせずに。そのことを教えてくれたのは他でもないキルアと──イルミだ。

「でも、もう逃げないよ。逃げてばかりじゃ何も変わらないって分かったから。キルアにちゃんと私の気持ちを伝えたくてここに戻ってきたの」

 そこで一度言葉を区切り、キルアの目を見据える。そして大きく息を吸い込んでから、私はずっと抱えてきた想いを吐き出した。

「傷つけてごめん。あんなことさせちゃって、本当にごめんね。キルア」

 私の言葉を聞いて、キルアの表情がくしゃりと歪んだ。その拳は固く握り締められ、小さく震えている。私は黙って彼の言葉を待った。

「……オレ、ほんとは分かってたんだ。ナマエはきっといつか出ていくんだろうなって心のどっかでずっと思ってた」

 やがてキルアがぽつりぽつりと話し始める。

「だけどいざナマエがいなくなると思ったらどうしても許せなくて……だから、どうにかしてナマエを引き止めようとした。傷つけてでも、オレのそばからいなくならないようにしたかった」

 キルアの声が弱々しくなっていく。きっと自分の行動に対して後ろめたさを感じているんだろう。私はそっと彼の手を取った。

「だけど、ぶっ倒れるナマエを見たら急に怖くなった。このまま死んじゃったらどうしようって。後でイル兄から無事だって聞いたけど、もうナマエはオレのこと嫌いになったかもしれないって考えたらすげえ怖くて……」

 苦しげに顔を歪めて吐き出すキルアを見て胸が締めつけられる。不安だったのはキルアも同じだった。いや、むしろキルアの方が私以上に思い詰めていたのかもしれない。

「嫌いになんてなってないよ」

 私はキルアの手を強く握り返しながらはっきりと告げた。顔を上げたキルアが縋るようにこちらを見つめる。その瞳は僅かに濡れているように見えた。

「本当に?」
「うん」

 迷うことなく断言すると、キルアの表情が幾分か和らいだ気がした。そして一度大きく深呼吸をした後、「あのさ」と続けた。

「オレの方こそ、酷いことしてごめん」

 思いがけない言葉に私は目をぱちくりと瞬かせた。まさかここまで素直に謝られるとは思っていなかったのだ。

(あの生意気で意地っ張りのキルアが……)

 感慨深さに浸っていると、おそるおそるといった様子でキルアが顔をあげる。私は思わず目の前の銀色頭に手を伸ばしていた。そのままぐしゃぐしゃに撫で回す。

「ちょっ……、何すんだよ!」
「ちゃんと謝れてえらいえらい」
「うるせー!ガキ扱いすんな!」

 口では悪態を吐きながらも、キルアはされるがままになっている。その様子を見て自然と頬が綻ぶ。私は改めてキルアと向かい合った。

「これでおあいこってことで。仲直りしてくれる?」
「……おう」

 キルアは照れくさそうに視線を逸らしながら小さく頷いた。でもすぐにいつもの顔に戻って「仕方ねーから許してやるよ」と尊大に言い放つ。ようやくいつもの私たちに戻れたような気がした。

「ていうか、ナマエはどうやって家から出てきたんだよ。あのイル兄がそう簡単に許すとは思えねーんだけど」

 キルアが不思議そうに尋ねてくる。私は一瞬返答に窮したが、ここは下手に誤魔化しても意味がないと判断して正直に話すことにした。

「イルミには好きにしろって言われた」
「は? 嘘だろ?」

 信じられないとばかりに目を大きく見開くキルアに苦笑を浮かべるしかなかった。イルミの性格を知っている人間からすれば、私の言い分が信じられないのも当然だろう。実際私も未だに信じられない部分があるし、イルミの真意が分からないままではあるのだけれど。

(どこから説明したものか……)

 すべてを詳らかに話すわけにはいかない。特に念能力に関しては今のキルアには明かせない部分だ。だがキルアには事の経緯と現状を知ってもらう必要がある。私が企てている計画にキルアの存在が不可欠だからだ。

「キルアにお願いがあるんだ」

 改まった私の口調に何かを感じ取ったのか、キルアの表情がすっと引き締まった。

「長くなるけど、聞いてもらえるかな」

 キルアがこくりと小さく首を縦に振ったのを見て、私は口を開いた。

「私ね──」


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