矛盾と踊るは掌で




 抵抗虚しく執事に連れて行かれた私は、黒塗りの車に放り込まれた。先に乗り込んでいたイルミの隣へと座らされるなりドアは無情にも閉まり、車が発進する。もはや既視感しかない展開に泣きたくなる。
 このままゾルディック家に連行されて、その後はどうなるのだろう。また針を刺されて、監禁生活を強いられたりするのだろうか。それはあまりにも容易く想像できる未来で、手足の先から冷えていく心地がした。
 不安でいっぱいになりながらも、しかし同時に微かな違和感も覚えて、私はちらりと横目でイルミの様子を窺った。まるで私の視線には気づいていないといった様子で窓枠に頬杖をついているが、その視線はどこか気だるげでぼんやりしているように見えた。いつもと様子が違う気がして首をひねる。

(何なんだろう、この感じ……)

 クロロに扮して監視したり、今だって無理やり私を連行したりと、やってることは傍若無人そのものなのに、いつもの凶暴な威圧感がまるでないのだ。覇気がないというか、どこか一線を引かれているような感じがする。

(やっぱり、変だ)

 まるで別人と対面しているかのような違和感に戸惑いを感じる。
 でも、おかしいのは私も同じだ。あれほどイルミに見つかることを恐れ、頭にこびりつく彼の存在を忌々しく思っていたはずなのに、実際に顔を合わせてみると意外にも心は凪いでいた。もちろん恐怖や緊張感はあるけど、あの息苦しいほどの憎悪は鳴りを潜めている。まるで憑き物が落ちたみたいに。

(どうなってんの私)

 自分に起こった変化についていけず、私は混乱していた。
 悶々としながらも表面上は無言の時間が続く。重苦しい空気の中、私は何とか言葉を紡ごうとして口を開きかけるが、しかし何の言葉も出てこないまま口を噤んでしまう。それを何度か繰り返していると、やがてイルミがこちらに視線を寄越した。

「そんなに警戒しなくても、もう針を刺すつもりはないよ。ナマエに使っても無駄だって分かったしね」
「え?」

 予想外の言葉に意表を突かれる。

「無駄って、どういうこと?」
「言葉通りだけど」

 それだけ言うと、イルミはふいと窓の方へと顔を向けてしまう。

「何それ、意味分かんない」

 私は困惑しながら問いかけ続けるが、イルミはそれ以上何も言う気はないのか口を開こうとしない。拒絶の態度にムッとしつつも、私は諦めずに食い下がった。

「何で私に使うのが無駄なの? ちゃんと言ってくれなきゃ分かんないよ」

 ここで話を終わらせるわけにはいかなかった。これは多分向き合うべき問題で、ここでうやむやにされたら絶対に後悔すると思ったからだ。しかし、イルミは頑なにこちらを見ようとはしない。

「ねぇ」

 身を乗り出して詰め寄ると、イルミは鬱陶しげに息を吐いた。

「そんなのどうだっていいだろ。もう終わったことなんだし」
「よくない! 勝手に終わらせないで」

 思わず声を荒げると、ようやくイルミはこちらを見た。感情の読めない瞳に射抜かれ一瞬怯みかけるも、ぐっとこらえて言葉を続ける。

「イルミが何を考えてるのか知りたいんだよ」

 それはずっと抱いてきた気持ちだった。それすら針によって作られた偽りの感情かもしれないと疑っていたけど、除念が済んだ今なら信じることができる。イルミが何を考えているのか、知りたい。その気持ちに嘘偽りはない。
 私の言葉に、イルミは無表情のまましばらく黙っていたが、やがて小さく息を漏らした。

「何を考えてるか、ね」

 そう言うや、イルミはこちらへと手を伸ばしてきた。眼前に迫る指先に、思わずびくりと身体が強張る。――私にとってこの手は、常に恐怖の対象だった。長年植えつけられた記憶はそう簡単に塗り替えられるものではない。反射的に身構えた私の額から数センチほど離れた位置で、イルミの手がぴたりと止まった。

「そんなに怯えてるくせにまだオレに近づこうとするんだ? おかしな奴」

 わずかに目を眇め、イルミが呟く。その行動は私を揶揄しているようでもあり、またどこか自嘲しているようでもあった。私はそんな変化を感じ取りながらも口を開く。

「おかしいのはイルミだって同じでしょ」
「オレが?」

 イルミの眉がぴくりと動く。怒っているというよりは怪訝に思っているといった様子だ。

「だって、さっきからはぐらかしてばっかりでまともに話をしようともしないじゃん。まるで私と向き合うことから逃げてるみたい」

 ストレートにぶつけた言葉に対して、イルミは何も言わない。その態度を焦れったく思いながらも、さらに言葉を重ねる。

「ねぇ、なんで私の自我を消さなかったの? 針の力で思い通りにすることもできたはずだよね。なのにどうして?」

 イルミは今度ははっきりと不機嫌そうな表情を見せた。

「それもあのシャルって奴の入れ知恵?」
「関係ない。私が知りたいの。イルミの本当の気持ちを教えて」

 心臓はバクバクと音を立てているが、それでも逸らすまいと必死で視線を合わせる。イルミ相手にこんなに強く出るなんて我ながら命知らずな行動だと思ったけど引くつもりはなかった。
 数秒の間、視線の応酬が続いた後、イルミは短く鼻を鳴らした。

「ナマエを針人間にしたところでオレに何の得もないよね。針が勿体無い」
「ならどうしてずっとクロロのふりして私のことを監視してたの? 針がもったいないだけだったら、そんな回りくどいことする理由なんてないじゃない」

 私が詰め寄ると、イルミは面倒そうに目を細めた。

「さっきからやたらと食い下がってくるけど、オレに何を言わせたいわけ? どう答えたらお前は満足するの」
「それは……」

 自分でも何を求めてるのか、どうしてこんなに必死になっているのか、正直なところよく分かっていなかった。ただイルミの本心が知りたいという気持ちだけがあって、それがうまく言葉にできなくてもどかしい。
 言い淀んだ私に対し、イルミがやれやれと言いたげにため息をつく。そして窓の外へ視線をやってしまったかと思うと、淡々とした調子で言った。

「オレのことが大嫌いだって言ってたよね。そばにいたくない、二度と顔も見たくないって」

 突然の話題転換に面食らう。
 それはゾルディック家を逃げ出した日に電話口で私が言い放った言葉だった。あの時はイルミへの憎しみで頭がいっぱいになっていて、口にした言葉も本心だったし今さら取り消すつもりもないけれど、まさか今そんなことを言ってくるなんて。
 戸惑いを隠せないでいる私に構わず、イルミはなおも淡々と続ける。

「なのにどうしてお前はそうまでしてオレに関わろうとするわけ。矛盾してると思わない?」

 私は思わず押し黙った。あの時の私は本気でイルミを拒絶していて、二度と会いたくないと思っていた。なのに今はこちらを見ようとしないイルミに苛立ちすら感じている。それはイルミの言う通り、矛盾しているのかもしれない。だけど──。

「あの時言ったことは嘘じゃないし、その気持ちが完全に消えたわけじゃないよ。針を刺されたことは今でも許せない。でも……」

 そこで言葉を切り、私は短く息を吐いた。未だ纏まり切らない思考から慎重に言葉を探す。それはまるでパズルのピースを一つひとつ当てはめていく作業にも似ていた。胸のつかえを吐き出すように、私はゆっくりと口を開く。

「イルミのことを憎みきれない自分がいるのも、本当なんだ」

 ずっと認めたくなかった本心を、私はようやく口にする。
 しかし、イルミの反応は予想外のものだった。


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