ふたりの白昼獄




「はぁ!?」

 突拍子もない発言に、思わず大声が出た。

「な、何を言い出すの急に!」

 なんで私が浮気を疑われなきゃならないんだ。いや、それ以前に私は誰とも付き合ってないし。そもそも、この状況で第一声として出てくる言葉がそれ? もっと他に言うことあるでしょ!
 言いたいことは山ほどあったけど、頭の中でごちゃ混ぜになって一つも口にできないまま、ぱくぱくと口を開け閉めする。そんな私の様子を見て、イルミは不機嫌そうに眉根を寄せた。

「否定しないの?」
「いや、否定するに決まってるじゃん!っていうか浮気ってなに、意味分かんないし」
「あのシャルって奴と随分仲良さそうに見えたけど」
「どこが!?」

 全力で否定する。言いがかりも甚だしい。

「ついさっきシャルに攻撃されそうになったの見てたでしょ」

 そう言ってもイルミは納得できないといった様子で顔をしかめたままだ。

「ほら、今だってあいつの名前呼び捨てにした」

 拗ねた物言いに私はひくりと頬を引きつらせた。

(いやそこ? なんか面倒くさい彼女みたいになってない?)

 思わぬ方向に話が逸れて戸惑う。イルミってこんな奴だったっけ?
 会わない間に膨れ上がっていたイルミへの恐怖心が、急速に萎んでいくのを感じる。同時に、ひどく不思議な気持ちになった。イルミと普通に話ができるこの状況がやけに現実離れしたものに思える。けれど、それは決して嫌なことではない――少なくとも今の私にとっては。
 混乱と高揚が入り交じる複雑な思いの中、イルミは相変わらず憮然とした表情で見下ろしている。かと思えば、不意にこちらへと近づいてきた。反射的に後ずさったが、後ろは壁だ。すぐに背中がぶつかった。あっという間に目の前に来たイルミを見上げる形になる。

「昨夜だって、オレが部屋に行かなかったらどうなってたことか」

 イルミが屈んで顔を寄せてくる。あまりの近さに反射的に顔を背けてしまいそうになるけど、何とかこらえて返事をする。

「やっぱり昨日のはイルミだったんだ」
「そうだよ。お前がほいほい男を部屋に連れ込むから様子を見に行ったんだよ」
「連れ込むって……人聞き悪いこと言わないでよ。大体シャルのあれはただ私をからかおうとしただけで――」
「そういうところが迂闊だって言ってんの」

 反論しようとしたが、有無を言わせない圧力を感じて押し黙る。イルミは不服で仕方がないという顔で私を見つめていたが、やがて深いため息を吐いた。

「親父といい、さっきの奴といい、目を離すとすぐこれだ。お前ほんと警戒心なさすぎ」

 呆れと苛立ちが混じったような言い方をされ、私はムッとする。確かに軽率だったかもしれないけどイルミに説教される言われはない。ここでシルバさんを引き合いに出してくる意味も分かんないし。

「なんでイルミにそんなこと言われなきゃいけないの」
「オレが腹立つから」

 間髪を入れずに返球されて唖然とする。何それ、どんな理屈? 理不尽さを覚えつつも、イルミってこういう奴だったと思い直す。私の都合なんてお構いなし、マイペースなところは本当に昔から変わらない。

(イルミのペースに巻き込まれちゃだめだ)

 気を取り直し、私は毅然とした態度で口を開いた。

「そもそも、どうしてイルミはクロロのふりしてたわけ? わざわざこんな手の込んだことまでして、何が目的?」

 私を監視するためなのは明らかだけど、それでも腑に落ちない点はいくつかある。なぜ今日まで静観を貫いてきたのか。クロロと共謀してたのならもっと早く妨害するなり手を下すなりできたはずなのに、どうしてそうしなかったのか――そんな疑念を込めて、私は目の前の顔を見上げた。イルミは何も答えず、無言のままこちらを見下ろしている。その表情からは何も読み取れない。それでも、どこか決まりが悪そうにも見えるのは気のせいだろうか。

「除念が済んだタイミングで、また針を刺してやろうとでも思ってた?」

 私は強気を装って続ける。肯定されるんじゃないかと内心びくびくしながらも、それでも聞かずにいられなかった。だって、イルミの真意は他にある気がしてならなかったから。いや、私がそう思いたいだけなのかもしれないけど。
 しかし、それでもイルミは肯定も否定もしないまま沈黙を守ったままだ。このまま膠着状態でいては埒が明かないと思い始めてきた頃、ふいにイルミの唇が動いた。

「アサマ、いるー?」

 すると、どことからともなく黒い燕尾服の男――執事のアサマが現れた。

「ここに」
「うわっ!?」

 気配もなく現れたアサマに、私は驚いて仰け反る。
 ゾルディック家の中でも古株にあたる彼はイルミの専属執事だ。あの家にいた頃、何度か顔を合わせたことがあった。でもまさかこんなところにまで現れるなんて思っていなかったから心底驚かされた。
 動揺する私をよそに、イルミは淡々と指示を下す。

「じゃ、ナマエを車まで運んでもらえる?」
「承知しました」
「え、ちょっと、待っ……」

 最後まで言う前にアサマに身体を持ち上げられて言葉を失った。そのまま荷物のようにひょいと肩に担がれる。

(まずい、連れて行かれる!)

 ようやく危機感を取り戻した私はじたばたと抵抗を始めたが、アサマはまるで動じることなく歩き出した。私を抱えていることなんて彼にとっては本当に何でもないのだろう。

「降ろして! 降ろしてってば!」

 もはや何を言っても無駄なことは経験上分かりきっていたけど、それでも抗議せずにはいられなかった。

「イルミ!まだ話は終わってない!」

 暴れながらもなんとか体を捻り、前方を歩くイルミに向かって叫ぶと、彼はこちらを振り返った。そして、僅か数秒にも満たない間、じっと私を見つめた後、口を開く。

「続きは車で。まずはここから出るのが先だ」

 それだけ言って、踵を返して歩き出す。

(結局こうなるのか……)

 アサマの肩の上で、私はがっくりと項垂れた。流星街を出て、そのままゾルディック家に連れて行かれるのだろう。ああ、せっかく自由になれたと思ったのにまたあの家に逆戻りか……。
 己の運命を呪いたくなるのを止められず、私は深い溜め息と共に目を閉じた。


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