殺意ほどの強さで




 驚きすぎて、それ以上言葉が出てこなかった。目の前にいるのは紛れもなくイルミで、信じられない思いで見つめる。イルミは私を見て僅かに目を細めた。

「久しぶりだね、ナマエ」

 記憶の中と全く変わらない声が、私の名を呼ぶ。その瞬間、心臓がどくんと大きく脈打った。

「なんで」

 やっとのことで絞り出したのはそんな間の抜けた疑問だった。聞きたいことは山ほどあるはずなのに、動揺しきっているせいか上手く言葉にできない。
 イルミは私の問いに答えることなく、じっとこちらを見つめている。闇を凝縮させたような瞳の中に、呆然とした自分の姿が映っていた。

(どうして、なんでイルミがここに? 一体なにがどうなって――)

 疑問符ばかりが頭に浮かび、心臓がドクンドクンと激しい音を立てている。混乱と動揺で思考が空転する。それでも必死に状況を整理しようと試みた。

(まさかイルミがクロロに変装していたなんて……)

 しかし、思い返してみれば確かに違和感はあった。特に、昨夜部屋を訪ねてきた時。去り際に向けられた視線は、いつものクロロからは考えられないほど険しいものだった。あの時すでに入れ替わっていたのだろう。

(でも、いつから?)

 記憶を辿ってみても、どこで入れ替わったのか全く分からなかった。3000万ジェニーを受け取ったとき? それとも、もっと前から? 頭の中を疑問符が埋め尽くす。

「――お前、誰?」

 不意にシャルの声が耳に届いた。ハッと我に返る。私があれこれ考えているうちに、シャルは冷静さを取り戻したらしい。アンテナを片手に構えて、鋭くイルミを睨み付けている。

「クロロはどうした」

 怒気を孕んだ声でシャルが問う。イルミはどこ吹く風といった様子で肩をすくめた。

「さあね。どっかで本でも読んでるんじゃない?」

 イルミの言葉にシャルがピクリと眉を動かす。アンテナを持つ手に力がこもるのが見て取れた。今にも飛びかかりそうな勢いだ。一方のイルミは相変わらず飄々とした態度で、隙らしいものは一切見当たらないものの攻撃する気配もない。

「言っておくけど、このことはクロロも知ってるよ。ていうか彼もグルだから」
「はぁ?」

 途端にシャルの顔色が変わる。私も驚いてイルミを見つめた。

(クロロが、イルミと?)

 にわかには信じられない話だった。シャルも同じ気持ちなのだろう、アンテナを持つ手に力を込めたまま、怪訝そうな顔をしている。

「何言ってんの? クロロとお前が手を組んでオレ達をハメたって言いたいわけ?」
「そ。彼には色々協力してもらったよ。現にオレが正体を明かすまで見抜けなかっただろ?」
「それは……」

 シャルが悔しげに押し黙る。たしかにクロロが協力していたのだとしたらシャルが気付かなかったのも頷ける。しかし、それでも腑に落ちない点があった。なぜクロロがそんなことをする必要があるのかということだ。イルミと手を組んで私を騙したところで彼になんのメリットがある?
 その答えは、イルミが自ら口にした。

「ま、おかげでかなり高くついたけどね。クロロに支払う報酬のせいで半年は遊んで暮らせるくらいの金が吹っ飛んじゃった」

 イルミの言葉に私ははっと息を呑んだ。

(もしかして、クロロが言ってた臨時収入ってこのこと?)

 そうか、クロロはイルミに協力する見返りとして多額の報酬を受け取っていたのだ。そう考えれば、これまでのクロロの意味深な発言の数々にも納得がいく。
 一体いつから二人の間でそんな取り引きが行われていたのかは分からないが、水面下で糸は複雑に絡み合い、まんまと騙されたというわけだ。私は混乱しながらもなんとなく状況を察し始めていた。
 シャルはというと、まだ完全には信じきれないといった様子だった。臨戦態勢を崩すことなく、疑わしげな眼差しを向けている。イルミはそんなシャルに対して、まるで世間話でもしているかのような気軽さで言葉を続けた。

「そんなに疑うなら本人に電話して聞いてみたら? オレが言ってることが本当かどうか。こっちは逃げも隠れもしないからさ」

 そう言って、イルミは無抵抗だということを示すかのように両手を挙げた。

「……」

 シャルはアンテナを持ったまま、反対の手で携帯をポケットから取り出した。そのまま操作し、耳に押し当てる。私は固唾をのんで成り行きを見守った。

「――もしもし、クロロ? 」

 数秒の沈黙の後、電話が繋がったらしい。シャルは早口で問いかける。

「なんかクロロのふりした変なヤツがいてさ。そいつがクロロが協力したとかどうとか言ってんだけど。……ああ、うん。そう、今目の前にいる」

 電話口からわずかにクロロの声が漏れ聞こえてくる。しかし、内容までは聞き取れない。シャルは注意深く相槌を打ちながら耳を傾けているようだったが、やがて「げっ」と顔をしかめた。

「なんだよそれ。聞いてないんだけど」

 シャルが苛立ちも露わに言う。クロロは一体なんと答えたのか。シャルはしばらくの間渋面を作っていたが、やがて大きなため息を吐いた。

「はぁー、分かったよ。とりあえず一旦切るね」

 そう言って、通話を切る。シャルは眉間にしわを寄せたまま携帯をポケットにしまった。

「クロロはなんて?」
「……まだ受け取ってない報酬があるから手を出すな、だってさ」
「ああ、そういえばまだ振り込んでなかったな。すっかり忘れてた」

 イルミが思い出したように言う。

「あーくそ。気付けなかったとか一生の不覚」

 シャルは苦々しげに吐き捨てたが、同時にクロロがイルミの協力者だと信じたのだろう。舌打ちしつつもアンテナを引っ込めた。ひとまず戦闘の気配が遠ざかったことに私はホッと胸を撫で下ろす。

「で、どうするの? まだ何かするつもりなら相手になるけど」

 イルミが平坦な声で問えば、シャルはふるふると首を振った。

「もういいよ。やる気失せた。クロロにも釘刺されちゃったしねー」
「そう」
「それにアンタだってオレと本気で闘り合ってまたナマエに逃げられるのは避けたいだろ?」

 いきなり自分の名前が出てきて、どきりとした。シャルの言葉に対してイルミは肯定も否定もしなかったけど、ピリッとした空気が肌を刺すような感覚を覚えた。
 互いに牽制しあうような沈黙が流れる。しかし、それも数秒のことで、シャルは盛大な溜め息とともに脱力した。

「はーもうやってらんないよ。これじゃただの当て馬じゃん。ホントムカつくなー」

 とぼやき、頭をかく。

(当て馬?)

 思わぬ単語に私は首を捻った。どういうことだろう。
 すると、シャルちらりとこちらに目を向けた。視線がぶつかるや否やにっと笑いかけられ、嫌な予感を覚える。

「ナマエ、オレたちの仲間にならない?」
「……はい?」

  あまりにも突拍子もない申し出に唖然とする。一体何を言い出すんだ。戸惑う私に構わず、シャルは畳み掛ける。

「この1ヶ月ナマエのそばにいたけど、オレたち結構相性良いと思うんだよねー。きっといいコンビになれるよ。他の団員はオレが説得するからさ。実はもう団長には話を通してあるんだよね」
「いや、ちょっと待ってよ。そんな勝手なこと……っ」

 慌てて反論しようとしたが、途中で言葉を飲み込んだ。こちらに背を向けたままのイルミから、刺すようなオーラを感じたからだ。

(なんで急にそんな殺気立ってんの!?)

 さっきまでの余裕は何処へやら、全身から殺気を漲らせるイルミに私は戦慄する。

「だから、ね? オレたちと一緒に来なよ」

 ぶわ、と禍々しいオーラが膨れ上がる。重苦しい空気が辺りに充満し、息が詰まりそうだ。シャルも気付いていないはずがないのに、全く気にする様子もなくイルミ越しの私に誘い文句を投げかけてくる。何なんだこの状況は。

「……行かない。シャルたちの仲間になるつもりはないよ」

 異様な空気に気圧されつつも、私ははっきりと口にした。シャルは「そっかー残念」とさして残念そうでもなく呟く。

「ま、気が変わったらいつでも言ってよ。歓迎するからさ」
「だからならないってば」
「今はそれでいいよ。先のことなんか誰にも分かんないし。それに、仲間にならなくても縁が切れるわけじゃないしねー」

 シャルが意味深に目を細める。その視線は私にというよりイルミに向けられているように見えた。

「じゃ、オレはそろそろ行くよ。またね、ナマエ」

 あっけらかんとした調子で言って、シャルは踵を返した。そのまま軽く手を振りながら去っていく。私は呆気にとられて、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

「……」

 嵐が去ったような静けさの中、沈黙が重くのしかかる。
 一難去ったものの、一番の脅威はまだ残っている。イルミと二人取り残された状況に冷や汗が流れる。

(どうしよう)

 とにかく気まずい。もう二度と会わないと思っていた相手との思いがけない再会に、どんな態度を取ったらいいのか分からなかった。
 イルミとの再会はもちろん嬉しいものではない。けれど、一方で奇妙な高揚感のようなものを感じているのも事実だった。相反する感情が胸中でせめぎ合い、鼓動が速くなる。

「ナマエ」

 不意に名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ねた。
 恐る恐る顔を上げると、イルミがじっと私を見下ろしていた。その瞳は相変わらず感情が読み取れないものだったが、先程までの刺すような殺気は幾分和らいでいるように思えた。

「な、なに」

 思わず声が上ずる。こうして正面から向き合うと威圧感が半端じゃない。
 何を言われるのか身構えていると、イルミは予想だにしない言葉を口にした。

「お前、さっそく浮気?」


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