まぼろしがはがれ落ちた




 翌日。早朝のまだ薄暗い時間、私は除念師の住む小屋へと向かっていた。なぜかシャルとクロロも一緒に。私一人で行くつもりが、シャルから「そんな大金持って出歩いてたら即狙われるよ? ボディーガードが必要でしょ」と強引に押し切られてしまったのだ。クロロはクロロで「約束を取り付けたのは俺だからな。見届ける義務がある」などと適当なことを言って着いてくる始末で、もう断るのも面倒臭かったので好きにさせている。

(なんでこうなった……)

 昨夜は結局ろくに眠れなかった私は、寝不足で痛む頭を押さえながら二人の数歩後ろを歩いていた。昨日の出来事が尾を引いているせいで、今は出来るだけ距離を取りたい気分だった。クロロはともかくシャルとは特に顔を合わせづらい。しかし当のシャルは至って普通だった。むしろいつもより機嫌が良さそうに見える。昨日のあれは何だったのかと問い詰めたい気持ちでいっぱいだったけど、蒸し返すのも恐ろしいので結局何も言えずじまいだ。
 悶々とした気持ちを抱えたまま森を進んでいると、ふいにシャルが振り返った。

「それにしてもナマエ、ひどい顔だね。目の下の隈すごいことになってるけど、眠れなかったの?」

 誰のせいだと思ってんだと心の中で毒づく。私はジト目で睨んだあと、素っ気なく「まぁね」とだけ返事をした。

「えー、大丈夫? そんなんで除念受けられるの?」
「平気だよ。このために頑張ってきたんだから、今更引き返すつもりなんてない」

 食い気味に答えると、シャルはふぅんと気のない相槌を打った。それからくるりと前を向き「ま、ナマエがそう言うならいいけどね」と呟いた。クロロもちらりとこちらに視線を寄越したが、特に何も言わなかった。なんとも言えない空気が流れるのを感じたけど、私は気付かないふりをして歩みを進めた。早くこの気まずい空気から解放されたくて、除念師の住む小屋に着くことばかりを考えていた。

 それから三十分ほど歩いた頃、私達はようやく目的の小屋へと辿り着いた。特に何事もなくここまで来れたことにひとまず安堵する。道中、無駄に神経をすり減らしたせいでどっと疲れてしまったけど、ようやく念願が叶うと思うと期待に胸が高鳴った。

「じゃあ、行ってくるから」

 まさか中までついてくる気じゃないかと不安に思いながら告げると、シャルは「オッケー、外で待ってるね」と笑顔で手を振った。クロロに至ってはこちらには目もくれず小屋の横にある岩に腰を下ろして本を読み始めている。その様子に拍子抜けしつつ、私は小屋のドアに手をかけた。

(どうか何事もなく終わりますように)

 ギギ、と鈍い音を立ててドアが開くと、相変わらず雑然とした室内が目に飛び込んでくる。天井からは乾燥させた植物のようなものがぶら下がっており、それらが放つ独特な匂いが充満している。薄暗い室内を照らすのは蝋燭の頼りない灯りだけだったが、一度来たことがあるので臆することなく中へ足を踏み入れた。

「ああ、やっと来たかい。待ちくたびれたよ」

 そう言って、除念師の老婆が姿を見せた。ぎょろぎょろとした目でこちらを見回すと「で? 金は?」と問いかけてくる。私はここまで運んできたアルミ製のアタッシュケースをテーブルの上に置いた。留め具を外せば、札束が詰め込まれた中身が露になる。

「1億ジェニー用意しました。確認してください」

 私の言葉に、老婆はニンマリと口角を上げた。そして慣れた手付きで札束を数え始める。

「はいよ、確かに」

 程なくして、老婆は皺くちゃの顔をさらに歪めて、にぃと笑った。

「早速始めようかね。そこに座んな」

 そう言われて、私は言われるがままに椅子に腰掛けた。老婆はゆっくりとした足取りで部屋の隅にある祭壇へと歩いて行く。その後ろ姿を見つめながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。いよいよだ。いよいよこの時がやってきたんだ。これでようやく除念が叶う。そう思うと期待と不安が入り混じって心臓が激しく脈打った。

(大丈夫、きっと上手くいく)

 自分に言い聞かせるように何度も心の中で唱える。
 やがて準備を終えたらしい老婆がこちらを向いた。その手には藁人形のようなものと、長い棒が握られている。目を凝らして見ると、それは先端に大きな輪のついた杖のようだった。あれが除念に必要な念具なのだろう。私は緊張に身体を強張らせながら、老婆の動きをじっと見つめた。

「まずは目を閉じて、深呼吸しな」
「は、はい」

 言われるままに目を閉じて大きく息を吸う。そしてゆっくりと吐き出した。それを何度か繰り返す。

「除念の最中はこれをしっかり持っておくんだ。決して手離すんじゃないよ」

 指示に従い、藁人形を受け取る。人形には長い糸が括り付けられており、それは老婆の手に握られているもう一つの人形に繋がっていた。

「それじゃあ、始めるよ」

 老婆がそう言って杖を構える。

「イジオウシコ ミョウリムエジョク ゴシンアンジョカイ シトクショウジョウ シュツゲンオゼ」

 大きく杖を振りかざしながら呪文のようなものを唱え始める。それに伴って、手に持った藁人形がびくんと脈打った。

「ガジャマダ ウダヤマカナ モッケイナ」

 呪文が進むにつれて人形の脈打ちが激しくなっていく。呼応するように私の鼓動も早くなっていった。気づけば強制的に発の状態にされているらしく、体中をオーラが駆け巡っているのを感じる。

(これが除念……)

 オーラを強制的に発させられる違和感に戸惑いながらも、私は自分の中の何かが変わっていくのを感じていた。体内を満たしていた黒々とした負のオーラが白く塗りつぶされ、色相を変えていく。私は目を閉じてその感覚に身を委ねた。

「ウシケイシ ウシロ ソワカ」

 老婆がひときわ大きな声でそう言った瞬間、カッと目の前が真っ白に染まった。その直後、頭の先から何かが吸い取られていくような感覚に襲われる。私は藁人形をしっかりと握り締めながら、その衝撃に耐えた。

「……ッ」

 どれくらいの時間そうしていただろうか。ふいにオーラがすうっと引いていき、身体を支配していた奇妙な感覚が消え失せた。

「これで終いだ」

 老婆の言葉に、ゆっくりと目を開ける。呆然としたまま手元を見ると、藁人形に括り付けられた糸がぷつりと切れており、頭の部分は焦げたように真っ黒になっていた。

「頭がスッキリしただろう?」

 そう言われて、私はこくりと頷いた。老婆の言う通り、頭を覆っていた靄が晴れ、意識がクリアになっているのを感じる。憑き物が取れたような感覚にほっと息を吐いた。

(本当に終わったんだ)

 あれほど悩んで苦しめられてきたイルミの針を消せたのだから、もっと感極まったり涙を流したりしても良さそうなものだけど、私は思いの外冷静だった。まだ実感が湧かないだけなのか、それとも自分の感情に鈍感になっているだけなのか。その辺りの感覚はイマイチ掴めなかったけれど、とにかくこれで念願の除念が叶ったことだけは確かだ。

「あの、ありがとうございました」

 老婆はふんと鼻を鳴らし「用が済んだならとっとと出ていきな」と杖を振って追い払った。

「失礼します」

 もう一度頭を下げてから歩き出したところで「まぁせいぜい気をつけるこったね」と老婆の呟きが聞こえた。その言葉の意味するところが分からず首を傾げる私をよそに、老婆は「二度と来るんじゃないよ」と言いながら部屋の奥へと戻っていく。
 私は狐につままれたような気分のまま小屋を出た。



 薄暗い室内にいたせいか、外はやけに眩しく感じられた。いや、日差しだけのせいではないのかもしれない。頭の中のベールが剥がされ、何もかもがはっきりとした輪郭を持って感じられるようになっている。いきなり洞穴から晴天の下に放り出されたかのような気分だった。情報量の多さに頭がついていかない。

「あ、戻ってきた」

 ぼんやりと立ち尽くしていると、シャルが私に気づいて声を上げた。クロロもちらりとこちらに視線を向ける。私は二人に歩み寄った。

「どうだった? ちゃんと除念できた?」

 シャルの問いかけに、私はこくりと頷いた。

「うん、一応」
「よかったじゃん」
「うん」

 呆けた様子の私を見て、シャルは首を傾げた。

「なんかぼーっとしてない? 大丈夫?」
「あ、いや……うん」

 曖昧に返事をすると、シャルはますます不思議そうな顔をした。シャルの声がどこか遠くから聞こえるように感じる。なんだか地に足がついていないような、ふわふわとした心地だった。自分でもよく分からないまま、私は口を開いた。

「なんだか頭の中がスースーするっていうか、視界がクリアになった感じがするんだよね。自分の頭の中に溜まっていた埃みたいなものが綺麗さっぱり取り除かれた感覚っていうか……」

 上手く説明できなくてもどかしく思いながらも言葉を並べると、シャルは「ふうん、そんな感じなんだ」と興味深そうに呟いた。クロロは何も言わず、じっとこちらを見つめている。その目はいつも通り何を考えているのか分からないものだったけど、なぜか今は居心地悪く感じられた。

「でもま、とにかく除念は成功したわけだし? これでナマエは晴れて自由の身だね」

 シャルの言葉にハッとする。
 自由になりたい。結局、根本にあるのはその願いだった。ゾルディック家を出ると決めたのも全てはそこから始まっている。除念が済んだ今、晴れ渡った頭で考えることは一つだった。

「ねぇシャル。流星街から出るにはどうしたらいいの?」

 思わず口をついて出た言葉は、最初に頭に浮かんだ疑問だった。脈絡のない問いにシャルは一瞬面食らった顔をした。

「私、行かなくちゃいけないところがあるの。だからここから出る方法を教えてほしい」

 勢いのままに自分の気持ちをぶつける。すると、シャルの表情がすうっと醒めたものに変わった。人懐こい印象を与えるアーモンド型の瞳が酷薄な光を宿し、私を見据える。
 ――あ、まずい。そう思った時にはもう遅かった。

「……それを、オレに聞いちゃうんだ?」

 ぞくりとするほど冷たい声だった。
 迂闊だった。昨夜のことがあったばかりなのに、また自ら地雷を踏むような真似をするなんて。己の軽率さを後悔してももう遅い。私は冷や汗を流しながら口を噤んだ。

「人の神経を逆撫でするのがうまいよね、ナマエは」

 シャルが薄く笑いながら言う。その目は笑っていなかった。
 風もないのに周囲の木々がざわざわと音を立て、空気が張り詰めていく。肌に刺さるようなオーラが辺りを包み込んでいくのを感じた。

「いいよ。教えてあげる」

 シャルはにこりと笑うと、一歩、また一歩と距離を詰めてきた。反射的に後ずさる。しかし、すぐに小屋の壁に背がぶつかってしまう。追い詰められた形になったところで、シャルは再び口を開いた。

「でもさ、タダってわけにはいかないよね」

 シャルはそう言いながら、ポケットから何かを取り出した。それは見覚えのあるもので、私は小さく息を呑んだ。初めて会った時、頭に突き刺そうとしてきた奇妙な形状のアンテナ。それが今、彼の手の中で鈍く光っていた。

(やばい)

 そう思った時にはもう遅かった。シャルが腕を持ち上げると、アンテナが私めがけて振り下ろされる。あまりの速さに反応が追いつかず、動きを目で追うだけで精一杯だった。

(だめだ、避けられない――!)

 思わずぎゅっと目を瞑る。
 ――しかし、予想した衝撃は訪れなかった。

(……あれ?)

 恐る恐る目を開くと、まず黒髪が目に入った。それから、見覚えのある背中。クロロだ。彼は私を庇うようにしてシャルの前に立ち塞がっていた。

「えっ、クロロ?」

 突然のクロロの登場に動揺したのは私だけではないらしく、シャルも驚いたような声を上げた。よくよく見れば、シャルのアンテナはしっかりとクロロの頭に突き刺さっている。うそ、と思わず声が漏れた。
 次の瞬間、クロロの頭がビキビキと音を立てて変形し始めた。

「なっ!?」

 まるで粘土細工のようにクロロの頭の形が変わっていく。シャルは唖然とした様子で立ち尽くし、私も目を見開いたまま動けなかった。
 呆然としているうちにも変形は続き、骨格や筋肉の構造を無視して、別の形に組み替えられていく。

(これは、まさか……)

 クロロは煩わしそうに自身の頭に突き刺さったアンテナを引き抜いた。ぽいとその辺に投げ捨てる。途端につるりとした頭皮が現れ、それはみるみるうちに黒い髪に覆われていく。そしてあっという間に元の姿を取り戻してしまった。

 長い黒髪がさらりと揺れる。やがて、クロロだったものがゆっくりとこちらを向いた。

「…………イ、ルミ」


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