薄闇に化けている




「――え?」

 驚きのあまり、手にした鉄屑を取り落としそうになる。慌てて掴み直してから、私はまじまじとクロロの顔を見つめた。

「ごめん、よく聞こえなかったんだけどもう一回いい?」
「3000万ジェニーだ」

 一語一句はっきりとした口調で繰り返され、息を呑む。聞き間違いじゃなかったらしい。なら尚更理解不能だ。
 クロロが提示した額は今までの買取り額とは桁違いだった。今日は特にしょぼいものしか拾ってこれなかったし、ついさっきクロロも「パッとしないな」みたいなことを言っていたはずなのに。それがなんでいきなり3000万?
 クロロの真意を推し量ろうとじっと見つめてみるが、表情からは何も読み取れなかった。今日に限ってシャルも他のメンバーも不在だから助け舟を出してくれる人もいない。

「いくらなんでも高すぎじゃない?」

 動揺を隠せないまま尋ねると、クロロは平然とした調子で答えた。

「逆だ。むしろ今までが安すぎた。ナマエから買い取った物はほぼ全て売り払ったが、総額はゆうに1億を超えている」
「はぁ!?」

 さらっと告げられた事実に愕然とする。

(え、売ったの? あれ全部?)

 買ったものをどうしようが本人の勝手だけど、まさか既に売っているとは思わなかった。クロロは自分が気に入ったものだけを買い取っているようだったからてっきり手元に残しているものだとばかり。いや、そんなことより問題はその売却額だ。1億を超えてるってことは、こちらはかなり安く買い叩かれていたことにならないだろうか。少なくとも買取り金額の三倍程度の利益は出ていることになる。そう思うと足元を見られたようで腹立たしくなってくる。
 クロロはそんな私の心中を知ってか知らずか、涼しい顔で付け加えた。

「だからこれは正当な取引価格だ。気にせず受け取っていい」
「いや、気にせずって……」

 どの口が言ってんだと思わなくもないけど、クロロに借りがあることは事実なので反論もしにくい。それに、なぜ今更そんなことを打ち明けてきたのかが謎だった。このまま黙っていても隠し通せていただろうに。何か裏があるのではと勘繰ってしまう。
 クロロの意図が掴めず訝しんでいると、どこか含みのある笑みを向けられた。

「それに臨時収入もあったしな」

(臨時収入?)

 一体なんのことを言っているんだろう。クロロはそれ以上説明する気は無いらしく、黙って私を見つめている。有無を言わせない無言の圧力のようなものを感じて、私は観念して頷いた。

「じゃあ、ありがたく頂戴します」
「ああ」

 クロロは鷹揚に頷くと、横に置いていた革製のアタッシュケースを私の前に滑らせた。「確認してくれ」と促されるままにアタッシュケースを開ける。中にはぎっしりと札束が詰まっていた。

(本当にいいのかな)

 札束を手に取り、まじまじと見つめる。もしかしたら何かの罠なんじゃないだろうか。クロロが私を騙す理由なんて無いようにも思えるけど、彼の腹の底は計り知れない。

「どうした?」

 なかなか動かない私を不審に思ったのかクロロが問いかけてくる。私は慌てて首を横に振ると「なんでもない」とアタッシュケースを閉じた。

(もういいや、貰っちゃえ)

 ここまできたらもう後戻りはできない。クロロの思惑を探るのは諦め、素直に金を受け取ることにした。
 これで目標の額は貯まったはず。そう思うと現金なもので、腹の底からじわじわと喜びが湧き上がってきた。

「ありがとうクロロ」

 自然と頬が緩む。クロロは少しだけ目を細めると「どういたしまして」と微笑んだ。
 その後、クロロと少しだけ雑談をしてから解散となった。最後にもう一度礼を言ったら、クロロは「手札は増やしておくに越したことはないからな」と意味深な言葉を残した。どういう意味かと問いただす暇もなく、彼はさっさといなくなってしまった。




 アタッシュケースを抱えて部屋に戻った私は、早速これまで稼いだ分との合計額を計算してみることにした。

「1、2、3、4……」

 机の上に札束を並べて、一つ一つ数えていく。震える手で数えていたせいで何度も数え間違えそうになったけど、最終的には問題なく足りていることが分かった。

「やっ、たぁ……!」

 まさかこんなに早く目標額に届くなんて。これでようやくイルミの針を抜くことができると思うと嬉しくて仕方なかった。
 今すぐにでも除念師のところへ駆け出したい気分だけど、さすがに今日はもう遅い。逸る気持ちを抑えつつ札束をケースに戻していると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。なんとなく予感がして、私は「はーい」と返事をしながら扉へと向かう。ドアノブに手をかけるのと同時に、扉の向こうから声が聞こえた。

「ナマエ、ちょっといい?」

 やっぱりシャルか。扉を開けて、部屋の中へと招き入れる。

「どうしたの?」
「今日の成果はどうだったのかと思って」

 シャルは部屋の中をぐるりと見渡すと、机の上にある札束に目を留めた。

「不用心だなー。ちゃんとしまっておきなよ」
「ちょうど数えてたところだったんだって。それよりさ、今日で1億貯まったんだよ!」
「え、もう?」

 シャルが目を瞠る。私は嬉々として頷いた。

「うん。クロロが残りの3000万を一括で払ってくれたんだ」
「へぇ、団長がねぇ……」

 シャルは思案するように口元に手を当てて黙り込む。一瞬だけ妙な空気が流れた気がしたけど、浮かれて舞い上がっていた私は特に気にも留めずに話を続けた。

「シャルが協力してくれたおかげだよ」

 それは紛れもない本心だった。思えば最初に私を受け入れてくれたのはシャルだったし、除念師の居場所を教えてくれたのも彼だ。その後もなんだかんだで手を貸してくれて、そうやってシャルが構い倒してくれたおかげでパクやクロロも私を受け入れてくれたように思う。彼の助けが無かったらここまで来ることはできなかった。
 信用してるかと言われたらまだ怪しい部分はあるけど、少なくとも感謝の気持ちを抱いていることは確かだった。

「だから、ありがとう」

 へらっと笑ってお礼を言うと、シャルは神妙な顔で黙り込んでしまった。あれ、私何か変なこと言っただろうか。

「シャル?」

 沈黙に耐えかねて呼びかけると、シャルはおもむろに口を開いた。

「で、どうするの」
「え?」

 質問の意図が分からず首を傾げる。シャルは真剣な眼差しで私を見つめたまま質問を重ねた。

「これからどうするつもりなの?」
「どうって、除念師のところに行くよ」

 迷うことなく即答する。その答えにシャルは焦れったそうに眉を顰めた。

「そうじゃなくて、その後。除念が済んだらナマエはここを去るんだろ?」
「え? うん」

 そうだけど、なんでそんなことを訊くんだろう。不思議に思いながら頷くと、シャルはさらに眉間の皺を深くした。

「ふーん、オレたちはもう用済みってわけだ」
「えぇ?」

 棘のある言い方をされて困惑する。急にどうしたんだ。さっきまで普通に会話していたのに、なんでいきなり機嫌が悪くなってるんだろう。

「なにそれ。そんなことないって。シャルにはたくさん助けてもらったし、本当に感謝してて」
「あーいいよそういう取って付けたようなフォロー」

 シャルはひらひらと手を振って私の言葉を遮った。露骨なまでに拒絶の態度を示されますます戸惑った。

(そんなにまずいこと言ったかな……)

 彼らのことを用済みだなんて思っていないけど、流星街に留まるという選択肢が私の中に無いのは確かだ。それがシャルには不義理に見えたのかもしれない。
 シャルからこんな険悪な態度を取られたのは初めてで、正直かなり動揺していた。何か言わなきゃと焦った結果、つい言い訳のような言葉を重ねてしまう。

「だって、もう一ヶ月も流星街に滞在してるんだよ? ただでさえ一つの場所に長く留まると足がつきやすくなるのに、これ以上はさすがにリスクが高すぎるっていうか……」

 しどろもどろになりながら説明する。しかし、どんどん空気が重くなっていくのを感じて尻すぼみになった。

(だめだ、余計に怒らせてる気がする)

 何を言っても火に油を注ぎそうで二の句が継げなくなる。困り果てて黙り込んでいると、シャルは短く溜息をついた。

「ナマエってさぁ、おめでたいよね」
「はぁ?」

 突然の罵倒に唖然とする。さすがに聞き捨てならない。反論しようと口を開くが、またしてもシャルに遮られた。

「なーんか腑に落ちないんだよねー。針を刺した奴はナマエに執着してると思ってたけど、本気で手放したくないなら最初から逃げる意思ごと消せば済む話じゃん? それなのに、なんでわざわざ自我を残して生かしてるんだろうと思って。やってること中途半端っていうか、生ぬるいっていうかさぁ」
「それは……」

 今まで深く考えたことはなかったけど、言われてみれば不自然かもしれない。イルミがその気になれば、完全に抵抗の意思を奪うことだってできたはず。でも、彼はそうしなかった。大した強制力のない針一本で私を縛るだけに留めたのだ。シャルの言う通り手ぬるい仕打ちだと私も思う。

(イルミは私のことをどうしたいんだろう)

  イルミの真意を図りかねて押し黙っていると、シャルは追い打ちをかけるように言った。

「向こうは案外もうナマエのことなんてどうでもよかったりしてね。実際一ヶ月以上なんの音沙汰も無いわけだし」
「っ……!」

 シャルの言葉が鋭く胸に突き刺さる。
 確かに針を刺されてからもう一ヶ月も経つというのにイルミからのアクションは無い。それは流星街という特殊な環境にいるおかげで上手く雲隠れできているからだと思っていたのだけれど、もしかしたらイルミはもうとっくに私への興味を失っているのかもしれない。その考えに至った瞬間、脳裏にイルミの声が蘇った。

『――そう。分かった』

 ミンボの国境に向かう車中、電話越しに聞いたイルミの声。何の感情も伴わない、無機質な響きを持ったその声を思い返すと胸の奥がずきりと痛んだ。

(あ、れ……?)

 イルミから興味を失われているかもしれないことにショックを受けている自分がいて、その事実にまた驚いた。イルミから解放されることをあんなに望んでいたはずなのに、どうして。それとも、これもまた針の力によるものなんだろうか。
 私は無意識のうちにぎゅっと胸元を押さえた。そんな私を見て、シャルが薄く笑う。

「ナマエはそいつが追いかけてくるって思ってるみたいだけど、随分と愛されてる自信があるんだね」

 嘲るように言われて、カッと顔が熱くなる。図星を突かれた恥ずかしさと、暗に自意識過剰だと指摘された悔しさで、頭の中がぐちゃぐちゃになった。

「っ、シャルには関係ないでしょ」

 辛うじてそれだけ言い返すと、逃げるように踵を返した。これ以上会話を続けたくなかったし、もうシャルと顔を合わせていたくなかったから。だけど、部屋を出る寸前で腕を掴まれてしまい、私は仕方なく足を止めた。

「離して」

 掴まれた腕を引いて拒絶の意を示す。しかしシャルは離そうとはせず、代わりにぐいと顔を寄せてきた。至近距離で覗き込まれて思わず仰け反る。ここまで近づかれたのはアンテナを刺されたとき以来で、その記憶が蘇ってぞくりとした。
 シャルの目がすっと細められる。色素の薄いその瞳に浮かぶのは紛れもない嗜虐の色だった。

「あー、なんかナマエに針刺した奴の気持ちが分かってきたかも。勝手に線引きして壁作ってこっちを見ようともしない。私はあなたたちとは違いますって超ー感じ悪い。そういう態度が人を煽ってるって自覚ある?」
「な、何言って……」

 口調は軽いのに、発せられる圧が凄まじい。反論しようとするも上手く言葉が出てこなかった。まるで喉元にナイフを突きつけられているかのような緊張感を覚え、私はごくりと唾を飲み込んだ。

「――だから、無理矢理にでも繋ぎ止めてやりたくなるんだよ」

 独り言のように囁かれた言葉に背筋が粟立つ。不穏な気配を感じ取って身を捩るが、しっかりと腕を掴まれているため逃げられない。それどころかますます距離を詰められて焦りが募った。

「は? な、ちょ、ちょっとっ」

 鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで顔を寄せられ、咄嗟に顔を逸らす。しかし、シャルは逃さないとばかりに私の顎を掴むと強引に自分の方へと向き直らせた。

「シャル、いい加減に……」

 咄嗟に腕を突っ撥ねてシャルから逃れようとするが、彼は全く動じていないようだった。それどころかますます身体を密着させてくる始末で、いよいよ身の危険を感じる。

(こわい)

 目の前にいるのは確かにいつものシャルなのに、まるで別人を相手にしているような錯覚に陥る。今までに感じたことのない恐怖に、私はただ怯えることしかできなかった。

「い、嫌っ!」

 悲鳴じみた声で拒絶の言葉を吐き出す。
 すると次の瞬間、部屋の扉がガチャリと開く音がした。驚きと共に視線を向ければ、そこにはクロロの姿があった。クロロは室内の様子を一瞥した後、特に驚くでもなく当たり前のようにシャルに話しかけた。

「シャル、遊ぶのは構わないがほどほどにしておけ」
「……はーい」

 シャルが軽い調子で返事をしながらパッと私から離れる。私はバクバクと脈打つ心臓を押さえながら、二人の様子を呆然と見つめた。

(た、助かった?)

 緊張状態が解けてホッとする一方で、シャルの行動に疑問が残る。いや、シャルが突拍子もない行動を取るのは今に始まったことではないけれど、さっきのアレは一体なんだったのか。もしクロロが来なかったら、あのままどうなっていたのだろうと思うとゾッとした。

「で、こんな時間にどうしたの?」

 シャルがクロロに訊ねる。クロロは「ああ」と頷くと、私に向き直った。

「除念師には俺の方から連絡を取っておいた。明朝なら空いてるそうだ」
「え、あ、ありがとう」

 急展開についていけずに戸惑いながらもお礼を言う。クロロは私をじっと見据えると、再び口を開いた。

「用件はそれだけだ。邪魔したな」

 そう言いながら、クロロの視線が横にスライドする。視線を受けたシャルは、やれやれといった様子で肩をすくめた。

「はいはい。退散しますよーだ」

 シャルはクロロの脇を通り抜けると、そのまま部屋から出ていった。クロロはそれを横目で見送った後、最後にもう一度私に視線を寄越してからその場を後にした。

(あれ、クロロ……?)

 バタンと扉が閉まる音が響く。
 私は呆然としたまま二人が出ていった扉を見つめていたが、やがてその場にずるずるとへたり込んだ。

「なに、今の」

 未だバクバクとうるさい心臓を押さえながら呟く。突然のことに頭が追いつかず、動揺が治まらない。シャルの奇行もそうだけど、クロロの方もなんだかおかしかった。去り際に彼が一瞬見せた鋭い眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。まるで警告するように向けられた視線を思い出し、ぶるりと身を震わせる。

(クロロってあんな感じだったっけ?)

 思い返してみても、クロロはいつも冷静沈着で感情を表に出さないタイプだった。あんな風に敵意にも似た感情を向けられたのは初めてで、妙な引っかかりを感じてしまう。

「ああもう、訳分かんない……」

 両手で顔を覆って溜息をつく。シャルのこともクロロのことも分からないことだらけだけど、今は考える気力すら湧いてこなかった。

(疲れた。とにかく疲れた。もう何も考えたくない)

 考えることを放棄した私は、ベッドに潜り込むと頭から布団を被って目を閉じた。さっさと眠ってしまおうと試みるも、さっきのことが脳裏にちらついて上手くいかない。結局悶々とした気持ちを抱えたまま、私は眠れぬ夜を過ごすことになったのだった。


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