視界よりも広い余白
回収作業を終え、帰りのトラックに揺られて数時間。居住区画に到着する頃には日が沈みかけていた。
トラックから降りれば、全身から力が抜けるような疲労感が襲ってきた。慣れない作業で体力を消耗したのもあるけど、汚染された空気を吸い込んだ影響も多少あるのだろう。ガスマスクを着けていても完全に防ぐことはできないようで喉が少し痛む。他の作業者たちも何かしら不調を感じているのか、皆一様にぐったりとした様子だった。
「防護服とマスクはこちらで回収する。お前たちはさっさと帰って休め」
リーダー格の男が指示を出すと、作業員たちは一斉に防護服を脱ぎ始め、荷台に放り投げていく。そして帰り支度を終えた者からゾロゾロと引き揚げていった。私は少し離れたところでその光景を眺めていたけど、いつまでも突っ立っているわけにもいかないので重い足を動かして移動を始めることにした。
「はぁ……」
思わず溜息が漏れる。疲労よりも、胸に重くのしかかった感情は不安だった。というのも、行きでおかしな因縁を付けてきたガラの悪い男に再び絡まれたことが原因だ。
作業中はなるべく関わり合いにならないよう避けていたけど、帰りのトラックの中でそれは起こった。男はいきなり私のバックパックをひったくって中身を漁ると大声で笑い出したのだ。
『おいおい、こんなガラクタ集めてきたのかよ! ガキの使いでももう少しマシなもん拾ってくるぜ』
男は心底バカにするように私を嘲り、他の作業員たちも下品な笑い声を上げていた。正直言ってかなりムカついたけど、言い返しても面倒なだけなのでぐっと堪えた。そのうち体力が尽きたのか男はグロッキー状態になったのでそこまでしつこく絡まれることはなかったけど。
(やっぱりガラクタにしか見えないよなぁ……)
オーラを頼りに手当たり次第かき集めてはみたものの、正直言ってただのゴミにしか見えない。それを改めて他人から指摘されて私は若干自信を喪失していた。
(でも、まだ始めたばっかりだし。これからだよ、うん)
気を取り直して自分にそう言い聞かせる。ネガティブな考えに引きずられている場合じゃない。まずは目的を果たすために行動しないと。私は軽く頬を両手で叩いて気合いを入れ直すと、帰路についた。
「あ、帰ってきた」
教会に戻ってくると、礼拝堂にいたクロロとシャルに迎えられた。仕事を終えたらクロロと合流する手筈だったけど、なぜかシャルまで一緒だ。
(なんかこの二人の組み合わせ……ちょっと嫌かも)
最悪な初対面の記憶が蘇って複雑な気持ちになる。そんな私の内心など知る由もなく、シャルはにこやかに話しかけてきた。
「どうだった? 初めてのゴミ拾いの感想は」
すでに話が伝わっていることには最早驚かない。私はバックパックを床に下ろしながら、シャルの質問に答えた。
「んー、ぼちぼちかな。一応オーラが残ってる物だけ持ち帰ってきたけどガラクタばっかりだったよ」
「見せてもらえるか?」
クロロに促されるまま、バックパックの中身を取り出し床に並べていく。
「へぇ、結構集まったね」
シャルが感心したように言う。その横でクロロがしゃがみこみ、床に散らばる物品を手にとっては矯めつ眇めつ観察し始めた。
ゴミ拾いの戦利品はクロロに直接買い取ってもらう約束になっていた。クロロは所謂コレクターというヤツで、珍しい品を集めるのが趣味らしい。その範囲は幅広く、古書や絵画、骨董品に工芸品など多岐にわたる。鑑定の心得もあるらしく、クロロがこれらをどう評価するかで私の今後が大きく左右されるというわけだ。果たしてこの中に彼のお眼鏡にかなうものはあるのだろうか。私は固唾を飲んでクロロの様子を窺っていた。
「これと……これ、それからこれだな」
クロロが選んだのは三つの物品だった。錆びついた鉄製の棒と、丸くて平べったい石のような物、それから表紙が色あせたボロボロの手帳だ。その三つを私に差し出しながらクロロは言った。
「200万ジェニーで買い取ろう」
「え!?」
予想外の金額に思わず声が裏返る。こんなガラクタに200万? 嘘でしょ?
「不服か?」
「あ、いや! ただ、少しびっくりして……」
改めて手の中の物品に目を落とす。どれもたしかにオーラが残っているけど、ここまでゴミに近い物に200万の価値があるとは到底思えない。まだ古いゲーム機や手鏡のほうが金になりそうな気がするけど、それらは脇に退けられていた。
「なんでこれが200万もするの?」
素朴な疑問を口にすると、クロロは淡々と説明し始めた。
「まず、この鉄製の棒は古代の副葬品だ。錆びて分かりづらいが守り刀の類だろう。現代には残っていない技術で作られているから価値としては十分だ。それとこの石だが、石蹴りと呼ばれる数百年前の教育玩具だ。発色を良くするために極微量のウランを混ぜて作られている。コレクターの間ではかなりのプレミア品として扱われているな」
「ほぇー……」
淀みなく語られるクロロの説明を、私はただ呆然と聞いていた。説明を聞いても何一つピンとこないけど、とりあえず価値があるということは分かった。
「で、最後にこの手帳だが」
クロロはそこで一旦言葉を切ると、手帳を手に取りパラパラとページを捲っていく。
「これはただの手帳だな。だが極東民族の言語で書かれている。個人的に中身が気になるから買い取ることにした」
「それ読めるの?」
「多少な」
クロロはなんでもないことのように答えてみせたけど相当凄いことなんじゃないだろうか。彼の博識ぶりには舌を巻くばかりだ。
「これで納得したか?」
こくこくと頷く。鑑定内容に文句の付けようもないし、たった半日の労働で200万ジェニーもの大金が稼げたのだから万々歳だ。
「取引成立だ」
そう言うと、懐から紙幣の束を差し出してきた。大金を無造作に寄越すクロロに面食らいつつ、おずおずと札束を受け取る。ずっしりとした重みを感じる。それが自分の成果だということを実感して胸の鼓動が早くなった。
(初仕事にしては上々の出来じゃない? これならそう遠くないうちに1億ジェニー貯められそう)
それもこれもクロロが仕事を紹介してくれたおかげだ。
「ありがとう。こんなに高値で買ってくれるとは思わなかったよ」
「礼は不要だ。こちらにも色々と利がある話だからな」
クロロはそう言って、ふっと目を細めた。彼の言う利とはつまり、珍しい物が手に入ることだろうか。なんだか妙に含みのある言い回しだけど、深く追及するのはやめておいた。藪を突いて蛇を出すような真似はしたくない。
すると、それまで黙って私たちのやり取りを聞いていたシャルが口を開いた。
「残ったやつも一応調べようか? 見たところ値打ち物はないけどオーラが残ってるってことは曰く付きかもしれないし。マニアには売れるかも」
「え、いいの?」
願ってもない提案に思わず聞き返す。
「もちろん。あ、儲けが出たら分け前として一割もらっていい?」
抜け目がないと思いつつ、たった一割で調べる手間と労力を省けるならむしろ安いくらいだ。私は二つ返事で了承した。
「じゃあ、お願い」
「オッケー任せて」
シャルはニッコリと微笑むと、早速床のガラクタを検分し始めた。その横顔はどこか楽しそうだ。
シャルの申し出をありがたいと思いつつも、一方でどこか釈然としない気持ちもあった。ちょっと親切すぎやしないだろうか。今回のことだけじゃなく、彼にはいろいろと助けてもらってばかりだ。当初は念を弾いた私に興味を示している様子だったけど、そのカラクリも既に明らかになっているはずだ。それでもシャルの態度に変化はないし、その後も協力的な姿勢を崩さない。なにか思惑があるのかと思ったけど、どうもそういうわけでもなさそうだ。彼の真意がどこにあるのか分からず困惑は募るばかりだった。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
つい、思ったままの言葉が口をついて出た。シャルとクロロが同時に顔を上げる。二人の視線を受けて、私は俄に気まずさを覚えた。
「二人ともやけに協力的だからちょっと気になって」
言い訳のように言葉を続ける。シャルはキョトンとした顔をした後で呆れたように溜息を吐いた。
「ナマエさー、オレたちのこと極悪人だと思ってない?」
「え? えっと、それは……」
図星をつかれて口ごもる。シャルはやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「そりゃ初対面でいきなり念をかけられそうになったら警戒するのも無理ないけどさ、あの時はナマエが侵入者っていう立場だったわけじゃん。でも今は違うだろ? 」
シャルの言葉を受けてクロロも続く。
「お前が流星街に危害を加える存在じゃないことくらい既に分かっている」
「そうそう。無害な相手をどうにかするほどオレたちも鬼じゃないよ」
二人の言い分を聞いて、先日のクロロとの会話を思い出した。
流星街に害を及ぼすか否か。外の人間を判断する指標の一つとして彼らの中に根付いているように感じた。つまり、私の無害性が認められたからこうして協力してくれているということだろうか。そう言われると分からなくもないけど、やっぱりどこか腑に落ちない。そんな私の内心を察したのか、シャルはさらに続けた。
「ま、協力してるのは最初に酷いことしちゃったお詫びってところかな。単に面白そうだからって理由もあるけどね」
そう言ってシャルは悪戯っぽく笑った。後者の理由の方が本音のような気がしてならない。でも、初めて彼の言葉を素直に受け止めることができた気がした。
「そっか……」
納得したような、どこか安心したような気持ちで呟く。どうやら私は知らず知らずのうちに壁を作ってしまっていたみたいだ。その壁を完全に取り払うにはもう少し時間がかかりそうだけど、もう彼らのことを血も涙もない人間だとは思わなかった。
「その、二人のこと誤解してたかも。ごめん」
そう言って頭を下げると、なぜかクロロとシャルは一瞬押し黙った後で互いに顔を見合わせた。
「急に殊勝な態度を取られると気味が悪いな」
「警戒心丸出しの野良猫みたいで面白かったのになー」
「……」
口々に勝手なことを言われ、こめかみの辺りが引き攣る。
(やっぱこいつらいい性格してるわ……)
彼らの人物像を上方修正しかけていたけど、早計だったかもしれない。憮然とした気持ちになりながら、私は二人の軽口を適当に受け流した。