凍てつく明星




 それから数日の間、どうやってお金を工面するか頭を悩ませていたが、一向に妙案は浮かばなかった。シャルから「手っ取り早く稼げる仕事を紹介しようか?」という何とも胡散臭い申し出があったものの、嫌な予感しかしなかったので丁重にお断りした。パクにも相談してみたけど「悪いけど、ナマエが抵抗なく稼げる方法は思い浮かばないわ」と言われて撃沈した。

「はぁ……」

 集落の外れにある大木の下で、幹に寄りかかりながら嘆息する。時刻は16時を回っていたけど、まだ空は明るい。部屋にこもっていても気が滅入るので気分転換がてら散歩に出てきたところだった。小高い丘から見下ろす集落は相変わらず長閑で平和そのものだ。ここが流星街だということを忘れてしまいそうになるほどに。

(実際に来てみないと分からないことって多いもんだな)

 流星街について知識としては知っていたつもりだったけど、こうして実際に訪れてみるとその印象はだいぶ違った。拍子抜けするほど平和だし、住民たちも思いの外普通の人達だ。私が知っている部分はほんの一面にしか過ぎないのだろうけど、居心地はそう悪くないと感じられるようになっていた。

(もうここで地道に働こうかな……)

 現実逃避でそんなことを考えていると欠伸が漏れた。いい加減手詰まりで、悩み疲れた頭は休息を欲しているようだった。少し休んだら、また考え直そう。そう思ってうとうとし始めた時――。

「こんなところで寝てるのか」
「!」

 突然、頭上から降ってきた声にぎょっと身体を跳ね起こした。いつの間に近づいて来ていたのだろうか。目の前には、見覚えのある黒髪が立っていた。

(この人……たしか、クロロっていったっけ)

 あの廃教会で強烈な一撃をお見舞いしてくれた男の名を思い出す。彼の名はシャルとの雑談の中で何度も耳にしていた。ただ、あの日以来とんと姿を見せなかったのですっかりその存在を忘れかけていたけど。

「よお」
「……どうも」

 気さくな調子で片手を上げるクロロに、警戒心を露わに軽く会釈する。クロロはそんな私を気にする風でもなく、隣に腰を下ろした。どうやら居座るつもりらしい。物理的に縮まった距離に自然と身が硬くなる。

「そんなに身構えなくても何もしない」

 そう言われても、はいそうですかと信じられるわけがない。何しろこちらは初対面で思い切りぶん殴られた身だ。警戒するなというのが無理な話だろう。私は無言でクロロから距離を取った。

「つれないな」

 クロロは唇の端で笑うと、それ以上は何も言わなかった。ただ静かに正面を見据えている。こうして見ると、あの廃教会で会った時とは随分印象が違う気がする。

(ただの物静かな青年って感じだな)

 先日の彼は、どちらかと言えば近寄り難い雰囲気を漂わせていたと思う。それが今はだいぶ穏やかな雰囲気を纏っているように見えた。その掴みどころのなさに戸惑うと同時に、何だか毒気も抜かれてしまう。

「なんか用ですか」

 沈黙に耐えかねて、こちらから声をかけた。彼が一体何を考えているのかさっぱり分からないけど、用向きがあるからこそわざわざ私の前に姿を現したのだろう。クロロはふっと視線を寄越すと「ああ」と思い出したように呟いた。

「除念師と会ったらしいな」
「……」

 思わず顔が引き攣る。なんだこの筒抜け具合。どれだけ情報共有してるんだよ。仲良すぎないかこいつら。

「よくご存知で」

 皮肉めいた口調で返してみても、クロロは顔色一つ変えずにさらりと答えた。

「シャルから聞いた」
「でしょうね」

 私は呆れ交じりに嘆息するしかなかった。

「その様子じゃ、まだ金の用意はできていないようだな」
「ええ、まあ」
「何か当てはあるのか?」
「ないよ。だから困ってる」

 投げやりな口調で返すと、クロロは顎に手を当てた。

「シャルがせっかく実入りの良い仕事を勧めてやろうと思ったのに断られたってぼやいてたぞ」
「いや、それ絶対やばい予感しかしないんですけど……そんな怪しい話に乗っかるほど馬鹿じゃないんで」
「賢明な判断だな」

 クロロはくすっと笑みを零した。少し意外な反応だ。てっきりシャルの肩を持つようなことを言うかと思っていたのに。

(意外と話の分かる奴なのかな)

 初対面が最悪だったおかげで大分印象が悪くなっていたけど、こうして接してみると落ち着いていて話し易い印象を受ける。それに、クロロからは私を利用してやろうだとか探ろうという気配が一切感じられなかった。さして興味を持たれていないことが逆に気楽で良い。
 ――ふと、ずっと気になっていたことを思い出した。彼らの関係性についてだ。
 シャルはただの昔馴染みだと言っていたけど、それだけじゃない気がする。独特な空気感というか、強い絆のようなものを彼らの間に感じるのだ。それにクロロとシャルの常人離れした強さも気になる。おそらくパクも相当腕が立つはずだ。それだけの強者がつるんでいるとなると、やはり只事とは思えない。一体彼らは何者なのだろうか。
 少し考えてから、私は口を開いた。

「一つ聞いてもいい?」
「なんだ」
「あなたたちって何者なの?」

 私の問いを受けて、クロロがくすりと笑みを零したように感じた。視線だけをちらりと横に動かすと、クロロの口元は微かに緩んでいた。

「それを知ってどうする」
「べつにどうもしないよ」

 ただの好奇心だ。答えたくないのなら無理に聞き出すつもりはない。変に詮索して怪しまれる方が厄介だし。クロロはこちらを一瞥すると「そうだな」と独り言のように呟いた。

「お前の目から見て、俺たちはどう見える?」

 問い返され、私は少し戸惑った。

「どうって……強いなとは思ったけど」
「それだけか?」

 畳み掛けられて、ますます困惑した。一体、私に何を言わせたいんだろうか。クロロの横顔を盗み見ると、彼は相変わらず薄く微笑んだまま私の言葉を待っているようだった。何だか試されているような気がして癪だけど、ここで答えなければ話は進まないような気がする。私は流星街にきてからの彼らとのやり取りを頭の中で反芻した。
 長老の意見を覆し、私の捕縛命令を取り消したシャル。故郷に悪い印象を保たれて本望だと言ったパク。そして、目の前のこの男。彼らの行動や言葉の端々からは、何となく異質めいたものを感じていた。
 流星街の住民は、基本的に排他的で警戒心が強い印象がある。それは初日に追いかけ回してきたガスマスクの集団や、集落で遠巻きに私を眺めていた住民の姿から何となく感じていた。でも、シャルやクロロ達からはそういった印象は受けない。むしろこちらが畏怖するような底知れないものを感じる。クロロがどんな答えを期待しているのかは分からなかったけど、私は自分の感じたままを素直に口にした。

「何となくだけど、流星街の中でもあなたたちは浮い……その、異端な存在に見えるかな」

 浮いてると言いかけて慌てて言い換えたけど、あまり意味は変わらなかったかもしれない。内心冷や汗をかく私をよそに、クロロは「へえ」と感心したような声を上げた。

「どうしてそう思う?」
「……なんとなく」

 そう答えるしかなかった。自分でも漠然としか感じ取れていないことを上手く言葉にできる気がしないし、正解かどうかも自信がない。クロロはそれ以上追及してくることはなく「そうか」とだけ相槌を打つと黙り込んだ。彼の横顔からは何の表情も読み取ることができない。

(一体なんだっていうんだ……)

 結局こちらの問いに対する答えは返って来なかったし、単に煙に巻かれただけなんじゃ……と訝しんでいると、クロロが再び口を開いた。

「俺たちは流星街の存在を世に知らしめたいんだよ。外の世界へ向けたプロパガンダってところだな」
「プロパガンダ?」

 意味が理解できず、首を傾げる。

「平たく言えば宣伝活動だ。悪意を持って近づく輩を遠ざけるために流星街が恐れ慄かれる場所になるよう仕向けている」
「……」

 言葉が出なかった。クロロの言っていることがすぐには飲み込み切れなくて、ただただぽかんとするしかない。
 つまり、流星街に立ち入る者を減らすために意図的に悪い印象を広めているということだろうか。クロロの口振りだとまるで自分たちがその印象を操作しているかのような言い方だったけど……。

(そんなこと可能なの?)

 正直、にわかには信じがたい話だ。でもクロロが嘘や冗談を言っているようには見えない。だとしたら、どうやって彼らはそんなことを実現しているというのだろうか。疑問が湧きあがったけど、追求する勇気はなかった。本能が警告を発している気がする。これ以上踏み込むのは危険だ、と。

「……そう」

 私は小さく相槌を打つと、クロロから目を逸らした。恐怖とも怯えともつかない感情が襲ってくる。それは流星街に足を踏み入れたときに感じた途方もなさを思い起こさせた。

 それからしばらくの間、私たちは無言のままだった。どうしていいか分からない私はただぼんやりと眼前に広がる景色を眺めていた。いつの間にか日が沈み始めていて、うっすらと赤みを帯びた空には雲一つなくまるで燃えているように眩しく映った。
 どれくらいそうしていただろうか。沈黙を破ったのはクロロの方だった。

「――あとは、報復だな」

 不思議な声音だった。凪いだ水面に小さな石を投げ込んだ時のように、クロロの一言は波紋となって胸に広がっていく。
 報復≠「よいよキナ臭くなってきた話題に、私は迂闊なことを聞かなければよかったと後悔した。正直もう逃げ出したい。でも、それを許さない雰囲気が目の前の男からは漂っていた。

「報復って、誰に?」
「もちろん流星街に害を為す奴らだよ。俺たちは報復に関しては手段を選ばない」

 クロロの口調は至極淡々としていた。でも、瞳の奥だけはどす黒く煮え滾っているように見えた。途端に、背筋に冷たいものが走る。どうしてか彼の周囲だけ空気が重いような錯覚に陥った。
 ただの物静かな青年だなんてとんでもない。私はクロロという男に得体の知れない恐怖を覚えていた。

「結局のところ、俺たちはどこまで行ってもここの人間ってことだ」
「はぁ、そうっすか……」

 もう勘弁してくださいって意味を込めて、私は気のない相槌を打った。そのまま大木の幹に凭れかかる。ただ話しているだけなのに妙に消耗したような気がする。クロロと話していると、なぜか心の内側まで見透かされているような気分にさせられるのだ。シャルとはまた違った意味でやりづらい相手だと思う。

「お前はどうなんだ?」
「?」

 何のことか分からず視線で問い返す。

「操作系の能力者に念をかけられているんだろう。そいつに復讐してやりたいと思わないのか」

 復讐、という言葉を舌の上で転がす。

「……そりゃ、できることならやり返したいよ。でも私じゃ返り討ちに遭うのが関の山だし。それに、また念をかけられるリスクを考えたらそんな無謀なことはできない」
「その感情すら抑制されてる可能性は?」

 クロロに言われて、ハッとする。その可能性は十分にある。復讐心や憤りを抑え込まれ、操作されているかもしれない。そう考えるとぞっとするものがあるけど、でも……。

「除念が済むまでは何とも言えないけど、それでも復讐は選ばないと思う。私の望みは外の世界で自由に生きていくことだから」

 ずっと胸の中で燻っているこの願いは変わらず私の中にある。まだ大丈夫だ。少なくとも自分でそう思えてる間は、私は私自身の感情を信じたい。

「なるほど」

 クロロは少し考え込むような仕草をした後で、ぽつりと呟いた。

「なら除念しなくてもいいんじゃないか」
「は?」

 思わず素っ頓狂な声が漏れた。クロロは私の反応を意にも介さず、言葉を続ける。

「除念をすれば大抵の場合は念をかけた本人に伝わるぞ。そうなれば再度念をかけるためにお前に接触してくるかもな。次はもっと強力な念をかけてくる可能性もある」
「それは……」

 脳裏にイルミの姿がよぎる。こちらに伸ばされる手と、暗く澱んだ瞳。『ナマエ』と呼ぶ、甘さと狂気を孕んだ声。ぞくりと肌が粟立った。

「俺が見た限り、今すぐどうにかしなければならないほど差し迫った状況でもないように思うが。わざわざ除念をしてリスクを増やすよりもこのまま身を隠していた方が得策じゃないか?」
「……」

 クロロの言うことは一理ある。除念したことがイルミに伝われば再び狙われる可能性は十分にあるだろう。それなら現状維持を選んで、このまま流星街に留まっていた方がよっぽど安全かもしれない。
 でも……それでもやっぱり私は──。

「確かにクロロの言う通りかもしれない。でも、やっぱり除念はするよ」
「なぜだ?」

 私はゆっくりと息を吸い込んだ。肺に溜め込んだ息を言葉と共に吐き出すと、自分の思考を整理しながら言葉を紡ぐ。

「針が刺さっている以上、自分の感情が偽りかもしれないって疑い続けることになる。そうしていくうちに、いつかは自分自身の本当の願いすら分からなくなるかもしれない。それがすごく怖い。私は、自分が自分であり続けるためにも除念はしたい」
「自分であり続けるため、か……」

 クロロは噛み締めるように繰り返すと、目を細めた。その瞳はどこを見ているのか判然としない。まるで遠い昔を懐かしんでいるみたいだった。しばらく沈黙を保った後、フッと表情を和らげた。

「なら、俺も協力しよう」
「え?」

 急に何を言い出すんだろう。ぽかんとする私をよそに、クロロは話を進めていく。

「ちょうどいい稼ぎ口があるからお前に紹介してやる」
「いや、あの」

 話が飛躍しすぎてついていけない。なぜ今の流れからそんな話になったのか。

「なに、心配するな。お前が思っているような非合法なものじゃない。ナマエにうってつけの仕事だよ」
「それは願ったり叶ったりだけど、一体どんな仕事なの?」
「端的に言えば、ゴミ拾いだな」

 ゴミ拾い? 予想もしていなかった内容に、私はぱちぱちと目を瞬いた。

「流星街には様々な物が捨てられている。ほとんどが廃棄物だが、中には再利用できる物や骨とう品なんかも紛れていることがあるんだよ。それらを集めて金に換える仕事が定期的に募集されている。ゴミ拾いにかこつけて、お宝探しができるってわけだ」
「へぇ……」

 確かにそれなら違法性はないように思える。でも、それだけで1億もの大金を稼げるのだろうか。

「それってそんなに稼げるの?」
「運に左右されるが、そこそこだな。俺に考えがある」

 意味ありげな視線を投げかけられ、私はごくりと唾を呑んだ。

「詳しいことは後で説明する」

 クロロはそう言って立ち上がると、服に付いた土埃を軽く払った。そして、木の幹に凭れ掛かったままの私を振り返る。

「そろそろ戻るぞ。シャルに見つかったら面倒だからな」
「え、あ、うん」

 なぜここでシャルの名前が出てくるのかよく分からなかったけど、私は素直にクロロの言葉に従って立ち上がった。話し込んでいる間に随分と時間が経っていたようだ。日は沈みかけ、あたりは薄闇に包まれている。
 クロロの後に続いて歩き出す。時折吹く風が肌を撫ぜていく中、私はクロロの背中を見つめながらぼんやりと思案した。

(何だか妙なことになったな……)

 クロロの真意は分からないけど、話を聞いてみる価値はあるだろう。ただ、うまく乗せられただけのような気もする。警戒するに越したことはないと肝に銘じる一方で、私はどこか期待にも似た感情を抱き始めていた。


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