光芒と創傷
「あ、こんなところにいた」
教会内にある書庫で調べものをしていたら、背後から聞き慣れた声がした。げんなりしながら振り返ると、案の定そこにはシャルの姿があった。
「探したんだよ。部屋に行ったらいないしさ」
「はぁ、そうすか」
適当に相槌を打ちながら、手元の資料に視線を落とす。今ちょうど気になる項目を読もうとしていたところで、できれば邪魔をしてほしくなかった。しかしシャルは私の態度などお構いなしといった様子で隣に腰掛けてきた。……近い。他にいくらでも座るスペースがあるのになんでわざわざ横に来るんだ。呆れつつも無視して読書を続けようとすると、シャルは不満そうに唇を尖らせた。
「ちょっとー、シカトしないでよ」
「今忙しいんで」
「なになに、何の本読んでるの」
「あ、ちょっと!」
私の手から本を取り上げると、シャルは表紙に目を走らせた。
「『流星街の成り立ち』? 」
「返してよ」
取り返そうと手を伸ばすが、ひょいと避けられてしまう。そしてパラパラとページを捲って内容を確認すると、「ふぅん」と言って返してきた。
「こんなの読んでどうするの?」
「……別に。ただ気になっただけ」
シャルの探るような眼差しに居心地の悪さを感じながら、ぶっきらぼうに答える。
ここのところ毎日のように押しかけられているせいか、もうすっかり砕けた口調で話すようになっていた。この男相手に敬語を使うのが馬鹿らしくなったっていうのが一番の理由だけど。
シャルは再びふーんと呟くと、頬杖をついて顔を覗き込んできた。煩わしく思いつつも、無視して読書を再開する。シャルはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。
「そこにはナマエが知りたいことは書かれてないと思うけどね」
「……は?」
唐突にそんなことを言われ、思わず間の抜けた声が出てしまう。シャルは頬杖をついたままこちらをじっと見つめている。その表情からは何の感情も読み取れなくて、私はごくりと唾を飲んだ。
「どういうこと?」
「言葉通りの意味だよ。除念師を探してるんだろ?」
図星を突かれて、内心動揺する。
「な、なんでそのことを」
「パクから聞いた」
さも当然のように言われて、絶句する。
(全部筒抜けってことか……)
パクさんに口止めしたわけじゃなかったとはいえ、まさか昨日の今日でシャルに伝わるとは。どうやら私が思っている以上に彼らは綿密な情報共有をしているらしい。やはり迂闊に話すべきじゃなかったかと後悔するが、時すでに遅し。シャルはニコニコと笑顔を浮かべて続けた。
「水臭いなー、言ってくれたら協力したのに」
「協力って?」
「除念師の居場所、教えてあげてもいいよ」
「えっ、本当?」
思わず身を乗り出すと、シャルは得意げな顔で頷いた。
「うん。オレって顔広いから結構いろんな伝手があるんだよね。除念師とは直接の知り合いってわけじゃないんだけど、紹介くらいならできると思うよ」
「そうなんだ……」
確かに長老なる者に交渉できるくらいだから、それなりに人脈もあるのだろうとは思っていたけど。まさかこんなにあっさり見つかるとは。願ってもない申し出に一瞬浮かれそうになるが、すぐに冷静な思考を取り戻す。
(何が目的だ?)
何の裏もなく善意で動いてくれると思うほどおめでたい頭はしていない。シャルに何のメリットがあるのか、それが問題だ。私は少し考えてから口を開く。
「何が望み?」
ストレートに聞いてやると、シャルの目がすっと細められる。
「察しがよくて助かるよ。じゃあ、とりあえずナマエがかけられてるっていう念について詳しく教えてくれない?」
やっぱりそれか。心の中で溜息を吐く。この調子だと頭に埋め込まれた針のこともすでに伝わっていそうだ。
シャルが私を生かしている理由は、自身の念能力を無効化した存在だから。そして、そのカラクリに興味があるから。ここで下手に隠し立てするのは得策じゃないだろう。私は観念して口を開いた。
――それから私はイルミの針について説明した。概ねパクさんに説明した内容と同じだ。事実と推測を織り交ぜながら、イルミの針がもたらす作用について語る。シャルは私の話に頷きながら耳を傾け、時折質問を挟んできた。
一通り話し終えると、シャルは感心したように呟いた。
「なるほどね。なかなか興味深い能力だ」
そう言って、顎に手を当てる。
「ナマエの言う通り、その針がオレの念を阻害したのは間違いないと思う。相当強い念が籠められてるみたいだし、随分厄介なのを仕込まれちゃったねー」
「……」
妙に楽しげだけど、こっちは笑い事じゃない。無言で睨みつけるがどこ吹く風で、シャルは「でもさ」と続ける。
「結果的にナマエはその針に守られたってことだよね」
「……は?」
守られた、だって?
聞き捨てならない言葉に思わず顔を顰める。シャルは口元に笑みを浮かべながら、さらりと言ってのけた。
「だってそうだろ? もしその針が無ければ、ナマエはオレにアンテナを刺されていたわけだしさ」
「それは……」
ぐっと言葉に詰まる。確かにイルミの針が無ければ、私はとっくに死んでいたと思う。でもそれはあくまで結果論であって、そもそも頭に針なんて刺されていなかったらゾルディック家から逃げ出すことも流星街に落とされることもなかったわけで……。
そこまで考えたところで、はっと我に返る。
(これじゃまるで、針のことがなかったらイルミのそばにいたかったみたいじゃないか)
自分の考えに愕然とする。
――違う。針のことは関係なく、私はイルミから離れたかったんだ。そうだ、そうに違いない。思いもよらない方向へ思考が進むのは、頭に埋め込まれた針が影響して正常な判断力が失われているせいだ。そう自分に言い聞かせる一方で、心のどこかで別の自分が囁くのが聞こえた。イルミのそばにいたくないって、本当に? 自問自答するうちにどんどん分からなくなってくる。
一人で動揺している私をよそに、シャルは相変わらずマイペースに話を続けた。
「その針の使い手がナマエを外敵から守ろうっていう意図があったのかは分からないけど、少なくとも自分の獲物が横取りされるのを良しとしなかったのは事実だろうね。かなり執着心が強いタイプみたいだ」
シャルはそこで一旦言葉を切り、私に向き直る。そして意味ありげに目を細めた。
「まあ、執着心っていうのは愛情の裏返しとも言うしね」
「な、」
何を言い出すんだ、こいつは。動揺のあまり言葉を失う私を余所に、シャルはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「ナマエってば愛されてるんだねー」
「は、はぁ!?」
今度こそ、声が裏返る。
「そんなわけないから! 勝手に人の頭いじくり回してくるようなやつに愛情なんてあるわけないでしょ!」
「えー、照れなくてもいいのに」
「照れてない!」
噛みつくように怒鳴るが、シャルは全く動じる様子もなく飄々としている。それどころかますます笑みを深める始末だ。
「何ムキになってるのさ。ナマエって案外分かりやすいんだね」
くすくすと笑い声を上げるシャルを睨みつける。
この男、人の神経を逆撫ですることしか言えないのか。いい加減腹が立ってきたが、ここで取り乱せば相手の思うつぼだ。ぐっと拳を握りしめて、怒りを鎮めるために深く息を吐いた。
「ごめんごめん、拗ねないでよ」
「……別に拗ねてない」
つっけんどんに返すと、シャルは可笑しそうに肩を揺らした。これ以上相手をするのは時間と体力の無駄だ。私はさっさと話題を変えることにした。
「それで、除念師の居場所は教えてくれるんでしょうね」
「うん、いいよ」
シャルはあっさりと頷く。
「ま、あの偏屈で有名な婆さんが素直に引き受けてくれるとは思えないけど頑張って」
さらっと不吉なことを言われて、私は顔を引きつらせた。
「そんなに気難しい人なの?」
「普段は誰とも口を利かないし、除念依頼にきた客だって門前払いするって噂だよ。一筋縄じゃいかないだろうね」
「……ちなみに、その人以外の除念師に心当たりは?」
「残念ながら」
にっこり笑って即答される。どうやら選択肢はないらしい。それでも、せっかく見つけた一筋の希望だ。諦めるわけにはいかない。
「分かった、会いに行ってみるよ」
覚悟を決めてそう答えると、シャルは満足そうに頷いた。
「そうこなくっちゃ。健闘を祈ってるよ」
その励ましの言葉に素直に礼を言えるほどお人好しではない私は、曖昧な笑みを返すに留めておいたのだった。