輝きばかりの荒れ地にひとり




 あれから数日をベッドの上で過ごして分かったことがある。
 シャルが言っていた監視は脅しではなかったようで、たまに部屋の外から人の気配を感じることがあった。しかし今のところ何かを仕掛けてくる様子はないので、私も下手に刺激しないようにしていた。ゾルディック家にいた頃から常に見張られている生活を送ってきたからその程度のことは苦にならない。
 それよりも厄介なのはシャルの存在だ。彼は毎日のように部屋にやってきては、他愛のない話をしていった。彼が興味を持っているはずの念に関する話は一切せず、その日あった出来事とか、仲間内での馬鹿げた話とかを一方的に喋っていく。最初は警戒していたものの、次第に慣れてきてしまって、今では普通に会話するくらいの仲にはなっていた。
 それでも完全に心を許したわけじゃない。一度植え付けられた恐怖と嫌悪感はそうそう拭えるものじゃなかった。それに、シャルの顔を見るたびにイルミのことを思い出すようになってしまい、それがまた不快だった。外見や振る舞いは似ても似つかないけど、念能力が酷似しているせいかどうしてもイルミと被ってしまうのだ。人を人とも思わない残虐性や、目的のためなら手段を選ばないところも似ている。だからなるべく接触を避けたかったのだけど、監視されている身で下手に身動きが取れない以上、シャルが部屋に来るのを防ぐ手立てはなかった。

(イルミ……)

 ふとした瞬間に、彼のことが頭を過る。中庭で対峙した時の出来事や、最後に電話で交わした会話が蘇ってくる。そのたびに胸の奥がざわつくような感覚を覚えた。こんなこと考えたくないのに。忘れたいのに。頭を振って思考を追い出そうとするもうまくいかない。これも頭に埋め込まれた針のせいだと思うと今すぐにでも抉り取ってしまいたくなる。

(ああもう、鬱陶しい!)

 苛立ち紛れに枕を投げようとしたところで、部屋の扉がノックされた。またシャルがやってきたのかと内心うんざりしていると、扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「入ってもいいかしら」

 パクの声だった。慌てて居住まいを正して、どうぞと答える。彼女に会うのは最初に手当てをもらった以来だ。少し緊張しながら、パクが入ってくるのを待った。

「怪我の具合はどう?」
「だいぶ良くなりました」
「そう、よかった」

 パクは小さく微笑むと、窓際に近寄ってカーテンを開けた。差し込んできた陽光に思わず目が眩む。何だろうと思って見ていると、彼女は意外なことを口にした。

「外に出てみない?」
「えっ」

 突然の提案に驚いてしまう。

「あなた、ずっとこの部屋の中にいるでしょう。退屈してるんじゃないかと思って」
「えーと……」

 確かにそろそろ外の空気を吸いたいと思っていたところだけど、監視が付いている身で勝手に出歩いていいのだろうか。それにガスマスクの集団に追いかけ回された記憶もまだ生々しい。いくら捕縛命令が解かれたとはいえ、まだ安心はできないんじゃないだろうか。
 そんな私の心中を察してか、パクは穏やかな口調で続けた。

「よかったら案内するわ」
「えっ、パクさんがですか?」
「私じゃ不満? だったらシャルでも呼ぶけど」
「いえ、パクさんでお願いします!」

 思わず食い気味に返事してしまった。パクは小さく笑って、決まりねと言った。

「じゃあ支度ができたら礼拝堂まで来てちょうだい」

 それだけ言うと、パクは部屋を出て行った。一人取り残された私は、呆然とその後姿を見送った。



 パクに連れられて向かった先は、流星街の住人達が暮らす区画だった。建物の様相は様々で、木造もあれば廃材を組み合わせて作られたものもあり、まるで統一感がない。地面は瓦礫だらけで、道とも呼べないようなものが無秩序に広がっている。廃墟のような街並みだけど、人の気配はあちこちから感じられた。
 建物の間に吊るされた洗濯物が揺れている。どこかで赤ん坊が泣き喚いている。笑い声が響いて、楽しげな話し声も聞こえる。混沌としているけど活気があって、皆生き生きとしていた。

「あの、ここは一体……」
「乳母衆の集落よ」
「めのとしゅう?」

 初めて聞く単語に首を傾げる。パクは歩きながら説明してくれた。

「女達が集まって子育てをしたり、情報交換したりするための共同体みたいなものね」
「へぇ……」

 パクの説明を聞きながら、改めて周囲を見渡す。確かに子供と女性の姿が目立つ気がする。

「流星街じゃ親がいない子なんてザラだから、みんなが母親代わりになるのよ。私もここで育てられたわ」

 そう語るパクの横顔はとても穏やかだった。

(まさか流星街の内部にこんな場所があるなんて。てっきりスラムと大差ないものだとばかり思ってたけど)

 そもそも流星街自体が謎に包まれているから、何もかもが謎の塊ではあるんだけど。それでも想像以上の治安の良さと住人同士の結束力の固さに驚かされる。同時に、とても不思議な気分になった。

(みんなが母親がわりに……)

 その時ちょうど、赤子を抱き抱える老婆の姿が目に入った。老婆は優しくあやすように背中を叩きながら、柔らかな声で歌を歌っている。
 その光景を見た瞬間、胸に込み上げてくるものがあった。だって私の人生には存在しないものだから。どれだけ記憶を手繰り寄せようとも、誰かの腕に抱かれた思い出など存在しない。物心ついた時には既に一人で、スラムで暮らしていた。五歳の時にシルバさんに拾われゾルディック家で暮らすようになったけど、あの家の中で私はいつだって部外者で、異分子だった。家族だと認識されていなかったし、私自身もそう思っていた。それが当たり前だと思っていたから疑問に思うことすらなかった。
 なのに今、目の前の光景から目を離せない自分がいる。ここにいる人達は血の繋がりなどなくても、互いに親子のように寄り添っている。その事実に心が揺さぶられる。
 この感情はなんだろう。羨望か、嫉妬か。分からないけれど、ただひどく引き付けられるのは確かだった。

「ナマエ?」

 パクの呼びかけにハッと我に返る。無意識のうちに足を止めていたらしく、数歩先まで進んでいた彼女が不思議そうに振り返っていた。

「どうかした?」
「あ、いえ、何でもないです」

 慌てて誤魔化すと、パクはじっとこちらの様子を窺ってきた。見透かすような視線に耐えられず、しどろもどろになりながらも口を開く。

「ちょっとびっくりしちゃって。その、イメージと違ったというか」
「どんな風に?」
「もっとこう、殺伐としていて怖いところだと思ってました」

 思わず馬鹿正直に答えてしまい、しまったと思った。もう少しを言葉を選ぶべきだった。しかしパクは気にした様子もなく、むしろ愉快げに笑った。

「そう思われてたなら本望ね」
「? それってどういう……」

 意味が分からず首を傾げる私を見て、彼女は悪戯っぽく微笑む。
 パクはそれ以上説明する気はないのか、再び前を向いて歩き出した。釈然としない気持ちになりながらも、大人しくその後に続くしかなかった。



 その後もパクの案内で集落の中を練り歩くようにして歩いた。市場、食堂、診療所、作業場等々。想像以上に多くの施設があり、ちゃんと生活基盤が確立されている。文献上では決して知ることのできない流星街の実態を目の当たりにして、驚くと同時に感慨深い思いを抱いた。世界にはまだまだ私の知らないことがたくさんあって、己の知識や常識がいかに狭いものだったかを実感させられる。
 もう一つ驚いたのは、すれ違う住人達が私を見ても特に反応しないことだった。中にはちらりとこちらを見てくる人もいたけど、パクの姿を認めるとすぐに逸らして素通りしていく。私のことを余所者だと認識しているはずなのに、拍子抜けしてしまうほどに何事もなかった。

「本当に出歩いても大丈夫なんですね」
「ええ。あなたのことはすでに住人全体に通達済みだから」

 パクは事も無げに言うが、そんな簡単にいくものだろうか。いくらシャルの口利きのおかげで捕縛命令が解除されたとはいえ、私が外から来た人間であることに変わりはない。流星街の住人にとって私は得体の知れない存在のはずだ。おいそれと信じてもらえるとは思えない。

「どうして皆さん普通に接してくれるんですか? まだ数日しか経ってないのに、こんなにあっさり受け入れられてるのが不思議で……」
「あなたが流星街に棄てられた人間として見做されたからよ」
「えっ?」

 予想していなかった回答に虚を突かれる。パクは穏やかな口調で続けた。

「この街の人間は棄てられたものに対しては寛容なの。たとえそれが外の人間であろうとね。もちろん例外はあるけどほとんどの人間は無条件に受け入れるわ。ここはそういうところなの」
「……」

 なんだか不思議な話だった。棄てられたから受け入れるなんて、そんな簡単なことでいいのだろうか。排他的なのかそうでないのかよく分からない。流星街はそういう場所だと言われてしまえばそれまでだけど、彼らの独特の価値観に戸惑いを覚える。
 そんな私の心情を察したかのように、パクはふっと微笑んだ。

「腑に落ちないって顔してるわね」
「それは……はい」
「まあ、あなたの場合は私達が関わってるからっていうのも大きいでしょうけど」
「あぁ、なるほど」

 つまり、パクやシャルは流星街の中でそれなりの地位にいるということだろう。確かにそれなら住人にすんなり受け入れられたのも理解できる。力のある彼らがそばにいれば、大抵のことには対処できるだろうし。
 ひとり納得していると、パクは苦笑いを浮かべた。

「ナマエって、随分と疑り深いのね。全てが敵だと思ってるみたい」
「……そうかもしれません」

 イルミのことがあってからというもの、どうにも懐疑的に物事を捉えてしまう癖がついている気がする。それこそ自分自身のことも信用できないくらいに。

「すみません。気分悪いですよね」
「別に構わないわ。それだけ用心深くて慎重だということだし。ただ、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかしら。どうせしばらくはここにいることになるもの」

 パクの言葉に少しだけ考え込む。確かに彼女の言う通り、一旦は流星街に留まることになるだろう。監視がついている身ではすぐに離れられないだろうし、シャルの目的が達成されるまでは逃してくれないと思う。ならば、この機会を利用して少しでも情報を集めた方が賢明かもしれない。

(そのためには、私から彼らに歩み寄る努力をしないと)

 少なくとも、流星街はただの無法地帯ではないことは分かった。それなりに秩序が保たれているし、住人達は弱者を受け入れるだけの懐の深さもある。私が想像していたよりもずっと良い環境だった。

(まずは手を差し伸べてくれる人を信じてみよう)

 自分に言い聞かせるように内心呟いて、小さく深呼吸をする。そして、意を決してパクに向き直った。

「パクさん、お願いがあるんですけど――」


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