渦の中
金髪の肩に担がれたまま、数時間は歩いただろうか。その間、彼らは特に会話を交わすこともなく、淡々と足を進めていた。
(どこに行くつもりなんだろう)
時折周囲の様子を探ってみるものの、相変わらず廃墟とゴミ山が続くばかりで、人の気配は全く感じられない。目的地の見当すらつかない状況で、不安ばかりが募っていく。
(保護してくれるなんていったって、信用できるわけないし)
会ったばかりの無抵抗の人間に平気で念をかけようとしてくる連中だ。絶対に裏があるに決まっている。どんな罠が待ち受けているのか、考えただけでも恐ろしかった。
しかしそんな私の胸の内などお構いなしで、二人は迷いのない足取りで進んでいく。地面がでこぼこしているせいで振動がダイレクトに伝わってきて、満身創痍の身には辛かった。揺れるたびに全身が悲鳴を上げる。おまけに熱まで出てきたらしく、意識がぼうっとしてきた。
もういっそ気絶してしまいたいくらいだったけど、少しでも意識を飛ばそうものなら再びあのアンテナを刺されそうな気がして必死に耐え続けた。
そうしてしばらく歩いていると、周囲の景色に変化が訪れた。それまで瓦礫だらけだった道がなだらかな平地へと変わっている。建物もそれまでの廃墟とは異なり、きちんと形を残しているものが多い。その様子はまるで街のような佇まいを見せていた。
「あ、見えてきた」
金髪が前を指し示す。後ろ向きに担がれているため彼の背中越しに前方を見てみると、遠目に大きな建物が見えた。一瞬城のように見えたけど、よく見るとそれは教会だった。高い尖塔が空に向かって伸びていて、その先に十字架が掲げられていた。
「あれがオレたちの拠点だよ」
(拠点?)
つまり彼らのアジトということだろうか。あの規模の教会を根城にしているということは彼らの他にも仲間がいる可能性が高い。ますます危険が増したような気がして血の気が引いた。
そうこう考えているうちに、彼らは教会の敷地内に入っていた。敷地内には草木が多く植えられていて所々に花壇もある。先程までの荒廃した景色とは一変して、そこは随分と穏やかな雰囲気を醸し出していた。
やがて入口まで辿り着くと、黒髪が扉に手をかける。中は想像以上に広々としていて、天井も高く開放感があった。正面に祭壇があり、その奥の壁一面にステンドグラスが嵌め込まれている。おそらくここが礼拝堂だろう。人の気配はなく、しんと静まり返っている。
室内に入ったところで、ようやく肩の上から下ろされた。急に身体が自由になったことでバランスを崩した私は、その場にへたり込んだ。長時間無理な体勢でいたせいで関節という関節がきしみをあげている。めまいもひどくてまっすぐ座ることもできない。
「ちょっとパク呼んでくる」
「ああ」
頭上でそんな会話が交わされたかと思うと、金髪の男はどこかに行ってしまった。残された黒髪の方は私から少し離れた長椅子に腰を下ろした。
今が逃げるチャンスかもしれない。ふとそう思ったけど、すぐに無理だと悟った。こんな状態で逃げたとしてもすぐ捕まるのがオチだろう。下手したら殺されかねない。今は大人しくしているしかないと思い直し、私はその場にじっとしていた。
(――あ、まずい。これ本気でヤバいかも)
全身を襲う激しい痛みのせいでだんだん意識が混濁してくる。視界も霞んできた。このままでは本当に気を失ってしまう。そう思いながら必死に意識を保とうとしていると、不意に誰かが近づいて来る足音が聞こえてきた。
顔を上げると、金髪の男がこちらに向かって歩いてきていた。その後ろには一人の女性の姿もある。どうやらこの人がパクという人物らしい。背が高く、金髪の男と同じくらいの長身だ。美人だけど全体的に鋭利な雰囲気をまとっていて、冷たい印象を受ける女性だった。
「この子ね」
彼女は私を見据えると、確認するように訊いてきた。金髪の男が首肯する。途端につかつかと早足で距離を詰められ、目の前に立たれた。
(何されるんだろう……)
警戒しながら彼女の動向を見つめていると、腰を屈めて顔を覗き込まれた。至近距離で目が合う。その瞳には冷徹さこそあるものの、悪意や敵意といったものは感じられなかった。むしろ何かを探るようにじっとりと観察されているようだ。
「あれっ、なんか弱ってる」
いきなり金髪の声が割って入ってくる。彼はしゃがみ込んで私の様子を確認すると、首を傾げた。
「さっきより虫の息になってない?」
「……」
そりゃ肩に担がれた状態で何時間も移動させられたら衰弱するに決まってる。でもそれを口に出す元気はなかった。代わりに睨みつけると、金髪は「あ、元気そうだね」と笑った。
「先に傷の手当てをした方がいいわ。それから話を聞かせてもらいましょう」
「だねー。とりあえず部屋に運ぶか」
そう言うなり、金髪がこちらに手を伸ばそうとした。その動作にアンテナを刺された時のことがフラッシュバックし、反射的に身を引く。金髪は一瞬驚いた表情を見せた後、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「あはは、すっかり嫌われちゃったなー」
何が楽しいのか、にこにこ笑いながらそんなことを言う。私は嫌悪感を隠すことなく彼を見返した。
(何だこいつ……)
こうやって邪気のない笑みを浮かべながら人を手に掛けることができる人間だと知っている以上、相手の一挙手一投足に警戒してしまう。その気配が相手に伝わったのか、金髪は嘲笑とも冷笑とも取れる笑みを浮かべた。
「悪いんだけど、パクが運んでくれる?」
「いいわ」
次の瞬間、体が宙に浮いた。ぎょっと目を丸くしている間に、気づけば抱き上げられていた。いわゆるお姫様抱っこの状態だ。あまりの手際の良さに呆気に取られる。
「あのっ、ちょっと……」
「安心して。あなたに危害を加える気はないわ」
その声はとても落ち着いたトーンで、凛とした響きを持っていた。こちらに向けられる眼差しも理性の光が宿っている。この人はまだ信用できる、と直感的に思った。
途端に緊張の糸が切れて、一気に瞼が重くなる。体はとっくに限界を迎えていて、意識を保つことすら困難になっていた。
(まずい、ここで気を失うわけには――)
しかしそんなことを考えたのを最後に、私の意識は徐々にフェードアウトしていった。