幕間ぶつり
次に目が覚めたとき、外はすでに真っ暗になっていた。
(あれ……私、寝てた?)
一瞬状況が分からず、ぼうっとして天井を仰ぐ。まだ頭が覚醒しきっていないのか、なんだかふわふわしてる感じがする。まるで長い夢を見ていたような気分だ。
(ここ、どこだっけ)
薄目で周囲を見渡すと、窓から差し込む月明かりのおかげで室内の様子が朧げに見える。そうだ、確か廃教会に逃げ込んだんだっけ。そこで力尽きてそのまま眠っちゃったんだ。どのくらい時間が経ったのかわからないけど、結構長いこと眠っていた気がする。
上半身を起こし、軽く伸びをする。体のあちこちがズキズキと悲鳴を上げたけど、さっきよりだいぶ楽になったような気がする。これなら手首のロープも自力で切れるかもしれない。何か先が尖った物はないかと辺りを見回し、割れたステンドグラスの欠片を見つけた。それを拾い上げようとした瞬間、外に繋がる扉の向こうから人の話し声のようなものが聞こえてきた。
(――誰かいる!)
反射的に身を強張らせる。
(まさか、さっきの奴らに追いつかれた?)
耳を澄ませると、どうやら複数の人間が喋っているようだった。しかも、かなり近くまで来ている。私は咄嵯に物陰に隠れた。
(お願い、こっちに来ないで……)
必死に念じるも願いは届かず、程なくして扉が開かれた。ギシ、ギシ、と、床板を踏み鳴らしながら足音が近付いてくる。心臓が激しく脈打ち、額に汗が流れた。
どうしよう。もし見つかったら何をされるかわかったもんじゃない。逃げるべきか、それとも隠れ続けるべきなのか。焦りで上手く考えがまとまらない。
そうやってぐずぐずしているうちに、ついに目の前に人影が現れた。
「あ、起きてる」
「……え?」
思いがけず明るい声で話しかけられ、呆気に取られる。
そこに立っていたのはガスマスク集団ではなく、ごく普通の服装をした二人組だった。ひとりは背の高い金髪の男で、もうひとりは黒髪の男。どちらも二十歳前後くらいだろうか。
(誰だこの人たち)
警戒しながら相手の様子を窺う。見たところ二人とも武装していないし、敵意も感じられない。とりあえずいきなり襲われる心配はなさそうだけど、油断はできない。いつでも逃げ出せるようにと密かに足に力を込める。
すると最初に声をかけてきた金髪の方がおもむろに屈み込み、視線の高さを合わせてきた。いきなり縮まった距離に驚いて思わず身を反らす。そんな私の反応に構うことなく、男は視線を落とすと満足気に頷いた。
「ね、ほら。言った通りだろ?」
隣に立つもう一人の男に向かって言う。言われた方の男は、腕組みをしながらこちらをじっと見下ろしていた。
「よく気づいたな」
「こんなところに人がいるなんて珍しいからさー。それに、分かりやすい目印があったしね」
こちらの存在はお構いなしで繰り広げられる会話に私はひたすら困惑していた。いったい何の話をしているのだろう。目印って?
ぐるぐると考え込んでいると、金髪の方がこちらに向き直って再び口を開いた。
「ねぇ、キミって例の侵入者だよね。汚染区域にいたっていう」
「…………」
侵入者。汚染区域。一瞬何のことだか分からなかったけど、すぐにピンときた。
おそらく私が落とされたのは汚染区域というところで、外部の人間の立ち入りが禁止されている場所なんだろう。そう考えると、ガスマスクの集団に出会い頭で襲われたことも合点がいく。彼らはきっと私を不法侵入者として見做し、捕まえようとしたんだ。
(つまり、今の私はお尋ね者?)
ここの住民らしき目の前の二人も私の存在を認知しているということは、流星街では既に広まっている情報なのかもしれない。
(まずいな……)
背中を嫌な汗が伝っていく。これだけ伝わるのが早いのだから汚染区域に立ち入るのはかなりまずい行為だったに違いない。もし捕まったら、どんな目に遭わされるか分かったものじゃない。下手したら殺されるかもしれない。想像するだけでゾッとする話だ。
(どうしよう。すでに流星街の住民に見つかっちゃってるし、最悪すぎる)
絶望的な状況に打ちひしがれる私をよそに、金髪の男は嬉々として喋り続けた。
「やっぱりそうか。へー、すごいなぁ。あそこに生身でいてピンピンしてる人間がいるとは驚きだよ。それも女の子だなんて!」
興奮気味に身を乗り出してくる。アーモンド型の緑の目がキラキラ輝いて、まるで新しい玩具を見つけた子供みたいに無邪気だ。その勢いに押されて後ずさってしまう。
(な、なんでこの人、こんなにテンション高いわけ?)
戸惑いを隠せないでいると、今度は黒髪の方が口を開いた。
「そいつ怯えてるぞ」
「あ、ごめん。つい興奮しちゃった」
金髪は悪びれた様子もなく謝ると、にっこりと微笑んだ。
「安心してよ。俺たちキミを捕まえようとか思ってないからさ」
「はぁ」
そう言われても、はいそうですかと鵜呑みにする訳にはいかない。まだ信用するには情報が少なすぎる。
「でも、あなたたちはここの住民ですよね?」
「うん、そうだよ」
「なら私のことを放置しておくのはまずいんじゃ……」
「んー、まぁ大丈夫じゃない? 俺たち別に自警団とかじゃないし。キミがここにいるのだって偶然見つけただけだしね」
あっけらかんとした態度に拍子抜けする。嘘をついているようには見えないけど、ちょっといい加減すぎやしないだろうか。目の前の二人からは危機感や警戒心の類が微塵も感じられない。
(なんなんだ、この人たち)
私は改めて二人の様子を観察した。金髪の方は一見優男風に見えるものの、よく見ると相当鍛えられているのが分かる。気安い態度とは裏腹に隙のない立ち振る舞いをしていた。黒髪の方も一見穏やかそうな好青年に見えるけど、どことなく只者ではない雰囲気を漂わせている。
(この人たちからしたら私なんて警戒するまでもないってことなのかな)
何にせよ、彼らがこちらに対して危害を加えるつもりがないのは確かなようだ。少なくともさっきのガスマスク集団よりかは遥かにましだと思う。
ひとまず危険はないと判断した私は、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「あの、ここって流星街で合ってますか?」
「そうだけど?」
金髪が不思議そうに答える。
やっぱりそうか。ほぼ確信に近い予想ではあったけれど、これでようやくはっきりした。
(ほんとに流星街にいるんだ、私……)
今更ながら自分がとんでもないところに来てしまったのだと思い知らされる。
すると、それまで黙っていた黒髪の男がおもむろに口を開いた。
「もしかして知らずにここまで来たのか?」
「えっと、はい」
「どうやって?」
「それは……」
正直に話すべきか一瞬迷う。でもここで変に誤魔化しても余計に怪しまれるだけだろうと思い、結局ありのままを話すことにした。
ミンボからの飛行船で本当はアイジエン大陸に向かう予定だったこと。それが飛行場で襲われ、気づいた時にはもう空の上だったこと。そして、そのまま墜落して流星街に落とされたこと――。
一通り話し終えると、最初に金髪の方が「なるほど」と呟いた。
「それじゃ、キミは何も知らないままここに落とされたってわけだ」
「そういうことになります」
「そりゃ災難だったねー。今は特に外部の人間への不信感が高まってる時期だし、タイミングも最悪だ」
「そうなんですか?」
「うん。ほら、少し前に流星街の住民が自爆テロ起こしたじゃん」
「自爆テロ!?」
物騒な単語に耳を疑う。
「あれ、知らない? 結構大きなニュースになってたんだけどなぁ」
「は、初耳です」
「ふぅん、そっか。ま、それが外の人間とのいざこざがきっかけで起きた事件だからみんなピリついてるんだよ。そんな時に汚染区域を歩いてる余所者が見つかったからちょっとした騒ぎになったってわけ」
そう言って金髪の男は私の手元を指し示す。
「まるで囚人みたいに縛られてるし、そりゃ目立つよね」
「……」
私はロープで拘束された両手を見下ろした。確かに、これでは悪目立ちしてしまうのも無理はない。
(迂闊すぎた……)
いくら流星街に落とされたショックで気が動転していたとはいえ、もっと慎重に行動すべきだった。後悔しても遅いけど、本当に間が悪すぎる。項垂れる私を見て金髪は明るい口調で言った。
「汚染区域を生身で歩いてる時点で普通じゃないからいずれにせよ目をつけられたと思うよ」
「そこって、そんなにヤバい場所なんですか?」
「そりゃね。有毒ガスが蔓延してるところだし、最奥部は高濃度の放射性物質で満たされてる。下手したら即死だよ」
さらりと恐ろしいことを言われて息を飲む。
まさかそこまで危険な場所だとは思わなかった。もし仮に私が落ちたところが最奥部だったら、きっと生きてはいなかったはずだ。最悪の想像にゾッとしていると、それまで沈黙を保っていた黒髪の方が口を開いた。
「なぜお前は無事なんだ」
「へっ?」
「ここまで生身で歩いてきたんだろう? なのにどうして平気なんだ」
「あー、それは俺も気になるなぁ」
黒髪の言葉に金髪の男も同調する。二人の視線が一斉に私に向けられて、居心地の悪さにたじろぐ。
「なぜと聞かれても……」
「心当たりは」
「あー、あるような、ないような……?」
「どっちだ」
「あ、あります」
有無を言わせない圧を感じて思わず口走ってしまった。しまったと思ったときには既に遅く、金髪が興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「へぇ、どんな?」
「ある程度の毒は効かない体質なんです。小さい頃から訓練させられて、それで耐性がついたというか……。多分それで助かったんだと思いますけど、詳しいことは分かりません」
「ふぅん、なるほどね」
金髪の男が何か考え込むように腕を組む。その目はじっとこちらを見ていたけれど、どこか値踏みするような感じがした。
居心地の悪さを感じつつ相手の出方を待っていると、金髪が振り仰いで黒髪に話しかけた。
「ね、どう思う?」
「いいんじゃないか」
「だよねー」
(いったい何の話?)
話の流れが分からず困惑していると、金髪が「よし」と呟いて立ち上がった。
「ね、最後にもう一度確認なんだけど、キミってほんとに流星街の人間じゃないんだよね?」
「はい」
ニコニコと愛想の良い笑顔で問われ、私は反射的に答えていた。
すると、彼の目がすっと細められる。その瞬間、全身に鳥肌が立った。なんだか嫌な予感がする。本能的な恐怖を感じた私は、すぐにでもこの場を離れたくなった。しかし立ち上がるのを防ぐかのように肩に手を置かれる。恐るおそる顔を上げると、そこには底冷えするほど冷たい眼差しがあった。
「――じゃ、もういいや」
トン、と頭頂部に軽い衝撃を感じる。次の瞬間、視界が真っ暗になった。