混沌




「う、そでしょ……」

 目の前に広がる光景に呑まれ、呆然と呟く。見渡す限りゴミ、ゴミ、ゴミ。人の気配は一切しない。生き物の姿も見えない。聞こえるのはただ風が吹き抜ける音だけだ。
 とても現実の光景とは思えなかった。夢でも見ているんじゃないかと思う。
 だけど、頬に当たる冷たい風や鼻腔を刺激する異臭がこれが現実であることを物語っていた。

(ここが、流星街――)

 まだ確定したわけじゃないけど、恐らく間違いないだろう。これほどの規模で廃棄物が放置されている場所が他に存在するとは思えない。

「なんでこんなところに……」

 疑問を口にするも、当然答えてくれる人は誰もいない。
 私は途方に暮れた。これからどうすればいいのか。何も分からない。ただ不安だけが募っていく。

 しかし、いつまでもここにいるわけにもいかない。とにかくまずは現状を把握しないと。そう思って、改めて自分の体を見る。
 両手両足を拘束していたロープは落下の衝撃で切れたのか、足の方は外れていた。手首のロープも解けないか試してみたけど、こちらは固く結ばれていてビクともしない。ナイフがあれば切れるかもしれないけどあいにく持ち合わせていない。とりあえず歩けるようになっただけでも良しとしよう。

(まずはここから移動しないと)

 立ちあがろうと足に力を入れると、全身に鋭い痛みが走った。思わず顔をしかめる。折れた肋骨が内臓を傷つけているのかもしれない。一刻も早く手当てしたいところだけど、今は我慢するしかない。大丈夫、まだ動ける。きっとなんとかなる。そう自分に言い聞かせながら立ち上がった。
 周囲に目を向ける。今、私が立っている場所はゴミ山の頂上付近だ。大小様々な廃棄物が散乱していて足場が悪い。下手に移動すると足を滑らせて転がり落ちそうだ。慎重に足を踏み出し、傾斜状に積んであるゴミ山を下りていく。数分かけてやっと平坦な場所にたどり着いた。とはいってもゴミがそこら中に散らばっていて歩きづらいことに変わりはない。

「さて、どうしたものかな……」

 私が流星街について知っていることは多くない。この世のなにを捨てても許される場所であるということ。そして、公式には無人とされているが実際は多数の住人が生活していること。この場所が本当に流星街だとしたら、きっとどこかに人がいるはずだ。
 まずは人が住んでる場所を探そう。あてはなくとも動くしかない。幸いなことに日はまだ高い位置にある。このまま夜になる前に安全な寝床を確保したい。できれば水と食糧も。私は痛む体を引きずりながら先へと進んだ。

 どれくらい歩いただろうか。
 相変わらず周囲にはゴミの山が積み上がっているだけで、人はおろか動物の姿すら見当たらない。本当に人が住んでいるのか疑わしくなってきた。

(やっぱり噂はデマだったのかな……)

 ふいに浮かんだ考えを振り払うように首を振る。いや、そんなはずはない。これだけ大量のゴミがあるということは、それだけ人間がここに出入りしていることを意味する。それに堆く積まれたゴミの中にはまだ新しいものもあるように見える。誰かが定期的にここへ来ているのは確かだ。
 希望を捨てず、黙々と前に進んだ。体が重く、ひどく怠い。怪我のせいで熱が出てきたのかもしれない。それに、なんだかさっきから気分も悪い。おそらくそこかしこから漂う悪臭のせいだろう。腐敗臭、生ごみ臭、ゴムが焼けるような匂い、それに糞尿の匂いも混ざっている。息を吸うだけで頭がクラクラしてくる。もしかしたら人体に有害なガスが発生しているのかもしれない。

(ここに長居するのは危険だ)

 袖口で鼻を押さえながら、歩く速度を上げて進み続けた。

 しばらく歩いていると、不意に後方からエンジン音が聞こえてきた。反射的に振り返る。見ると一台のトラックがこちらに向かって走ってくるところだった。

(人だ!)

 距離があるのでハッキリと確認はできないけど、どうやら荷台に何人か乗せているようだ。
 トラックはゴミ山の間を縫ってどんどん近づいてくる。思わず手を振ろうとして両手を縛られたままであることに気付き、私は慌てて声を上げた。

「おーい!」

 声が届いたのか、トラックは徐々にスピードを緩め、やがて目の前で停まった。これで助かったとホッとしたのも束の間、運転席から降り立った人物の格好を見てギョッとした。頭のてっぺんからつま先まで覆うような防護服に身を包んでいる。しかもガスマスクを装着していて顔も分からなかった。
 荷台からも同じ格好をした人たちがゾロゾロと降りてくる。その異様な雰囲気に気圧され、思わず後ずさった。

(あれ、なんかやばい感じ……?)

 予想外の事態に戸惑う。すると相手も同じことを思ったのか、怪しげにこちらを窺うような仕草をした。ヒソヒソと小声で何かを話し合っている。なんとなくだけど、警戒されてることはわかる。互いに一定の距離を保ったまま膠着状態が続いた。

(どうしよう)

 この人たちに助けを求めていいものか判断に迷った。見た感じ、善良な住民というわけではなさそうだし、そもそもこんなところにいる時点で普通じゃない。かといって他に頼れる人もいないし……。
 とりあえず敵意がないことを示そうと、拘束された両手を上にあげてみた。それから少し迷ったあと、もう一度大きめの声で呼びかけた。

「助けてもらえませんか?」

 なるべく穏やかに話しかけたつもりだったけど、向こうの警戒は解けない。それどころか、ますますピリついた空気が流れる。え、どうして? と思いつつ、さらに言葉を続ける。

「あの、決して怪しいものでは……」

 すると、先頭にいた人物が近付いてきた。リーダー格らしい体格の良い男だ。彼はジリジリと距離を詰めながら懐に手を入れると、そこからナイフを取り出した。

(は!?)

 いきなりの展開に動揺する。男はナイフを手に、ゆっくりとした動作で私の方へ向かって歩いてくる。
 ちょっと待ってよ。無抵抗な人間にナイフを向けるなんて、いくらなんでも酷すぎやしないか。もしかして、これが流星街のルールなのか。いや、そんな馬鹿な。
 混乱する頭で必死に考えるも答えは出ない。その間もナイフを持った男が迫ってきて、ついに手が届く距離にまでやってきた。明確な殺意を感じ取り、私は咄嗟に男のナイフを蹴りあげた。ナイフが吹き飛び、カランと音を立てて地面に落ちる。
 ――あ、失敗した。と思ったときにはもう遅い。下手に刺激してしまったみたいで、後ろに控えていた人たちも一気に臨戦態勢に入った。彼らは一斉に武器を構え、じりっと間合いをつめてくる。

(だめだ、これじゃ話にならない)

 とにかく逃げないと。私は踵を返し、全力で走り出した。後ろを振り返る余裕はないけれど、足音が追ってきているのが分かる。捕まるのはまずい。なんとかして振り切らないと。
 私は死にものぐるいで走った。足がもつれそうになるたびに歯を食い縛り、全身を襲う痛みに耐えながらひたすら前に進む。やがて、背後の足音が遠のいていくのがわかった。どうやらそこまで足が速いわけではないらしい。それでも油断はできないので、立ち止まることなく前だけ見て走り続けた。

 どれくらいの時間、走っていただろうか。背後の気配はとっくに消えていて、すでに太陽は西へ傾き始めている。どうやらうまく撒けたようだ。
 私は走るのをやめ、乱れた呼吸を整えながら辺りを見渡した。無我夢中で走っていたせいで気づかなかったけど、さっきとは景色が違う。ゴミが散乱しているのは相変わらずだけど、建物がチラホラ見える。その建物も今にも崩れそうなほど朽ち果てた廃墟ばかりだけど。

(――あ、まずい、限界かも)

 緊張の糸が切れたのか、急に視界がぼやけ始めた。体が鉛のように重い。このまま倒れてしまいたい衝動に駆られるも、ここで意識を失うのは非常に危険だ。私は霞む目で周囲を見渡し、かろうじて屋根が残っている建物の中へと入り込んだ。

 薄暗い室内には祭壇らしきものが見えた。おそらく教会だった場所だろう。床には割れたステンドグラスの破片が散らばり、壁際にはボロ布で覆われた長椅子が何脚か置かれている。そのうちのひとつに腰を下ろし、大きく息を吐いた。

(ああ、つかれた)

 心の底からそう思った。
 体中が痛くて苦しい。でも、それ以上に精神的疲労が大きかった。改めて自分の身に起こった出来事を思い返すと、恐怖と不安が同時に押し寄せてきた。さっきの人たちは一体何者なんだろう。流星街の住民は皆あんな感じなのだろうか。だとしたら、これから先どうやって生きていけばいいんだろう。先のことがほんの少しも分からないのが心もとなくて、怖くて堪らない。
 しばらくの間、私はぼんやりと虚空を眺めながら、とりとめのない思考に耽っていた。しかし次第に瞼が重くなり、やがて抗いがたい睡魔に襲われて、いつの間にか眠りに落ちていった。


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